-表象の森- 秋色と東雲の空
裏門に秋の色あり山畠 支考
日中の相変わらずの暑気はともかく、朝夕はめっきり秋めいてきた。
身にしむやほろりとさめし庭の風 犀星
朝まだき頃、まだ寝ぼけた身体に秋の風が目を覚ましてくれる。
自転車をこぎだせば身も心も一気にシャキッと起き出してくるのがわかる。
大阪は、西は大阪湾、東は生駒・信貴や葛城連峰が連なっているから、沈む夕陽はどこでもよく目にするが、昇る朝日にはまずお目にかかれない。
ずいぶんと以前のことだが、元旦のご来迎を拝そうと、どこやらの橋で車を停めて待ったことがあったが、お日さまが山の端から姿を現わす頃は、空はすっかり白々と明けてしまっていて、あまり絵にならないご来迎に拍子抜けしたことがあったっけ。
そういえば、八甲田山の眼下にひろがる雲海を紅に染めながら、ゆっくりと姿を現わしてきた朝日、あれは圧巻だったが、そんな絶景をそうそう望んでもおいそれと行けるものではない。
横雲の風にわかるる東雲に山飛びこゆる初雁のこゑ 西行
だが、このところ、東雲の空を眺めていると、これが日々千変万化でなかなか見て飽かぬことに、今更ながら気づかされた。
生駒の山脈の稜線だけが赤く染まり出すのがくっきりと見えたり、あるいは山の端にかかる雲々の下の部分だけが染まって、かえって黒と赤のコントラストを強めたりと、さまざまにヴァリエーションを見せてくれる。
これが一日として同じ景色がないというのもあたりまえのことだが、造化の妙とは至るところにあるものだと独り得心しているこの頃だ。
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<秋-49>
おほかたの憂き身は時もわかねども夕暮つらき秋風ぞ吹く
後鳥羽院
続古今集、雑上、題知らず。
邦雄曰く、元久2(1205)年の元久詩歌合に「夕べは秋となに思ひけむ」と秀抜な歌句で、詩歌の帝の名をほしいままにした院が、ここに「夕暮つらき」と詠嘆の声をとどめた。初句から二句前半への鷹揚で悲嘆を帯びた姿は、天成の詩藻によるもの。また第二句のやや重い韻律は、武辺を好む院の自ずからなるますらを振りの類でもあろうか。知られざる秀作の一つ、と。
わが涙なにこぼるらむ吹く風も袖のほかなる秋の夕暮
後土御門天皇
紅塵灰集、秋夕風。
邦雄曰く、巷に発つ塵と灰、転じて俗世間、浮世を表す語を家集の題とした後土御門天皇は、その治世をおよそ応仁の乱に蝕まれて終った。鴨長明の「秋風のいたりいたらぬ」の本歌取りながら、「なにこぼるらむ」の二句切れは、本歌を超えてあはれを伝え、順徳院の「草の葉に置き初めしより白露の袖のほかなる夕暮ぞなき」の余韻もまた蘇ってくる、と。
⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。