―四方のたより― 大塔村星の国
後醍醐の皇子護良親王が拠った大塔宮にその名を由来する大塔村は、地図上ではすでに姿を消してしまっている。
旧大塔村は、隣接した吉野郡西吉野村とともに、’05年9月、五條市に合併編入されていたのだ。現在は五條市大塔町。
その大塔町にある星の国へ、二日つづきの晴天に満点の星空など子どもに鑑賞させてやれればと、昨夕、家族とともに車を走らせた。
ところが出かける頃から、夕空には雲がちらほらとと目立つようになってきた。午後7時にはまだ少し間のある頃、目的の地に着いたが、暮れかかった空は雲にさえぎられわずかにしか望めない。
正面円形の建物は道の駅「吉野路大塔」、右の坂が星の国へのアプローチ。
坂を登っていくと左右にいくつかのドーム付バンガローやログキャビンが配され、登りきった辺りに天文台、その奥手にロッジがある。
天文台に入って望遠鏡を覗くも、まったく星は見えず、やむなくプラネタリウムへと移動、スクリーンでの星座鑑賞と相成ってしまった。
―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-234
8月31日、曇后晴。4時半起床、朝食7時、勤行8時、読書9時、散歩11時、それから、それから。‥‥
裸体で後仕舞いをしてゐたら、虫が胸にとまつた、何心なく手で押へたので、ちくりと螫された、蜂だつたのだ、さつそく、ここの主人にアンモニヤを塗つて貰つたけれど、少々痛い。
駅まで出かけて、汽車の時間表をうつしてくる、途上で野菜を買ふ、葱1束2銭也-この葱はよくなかつた-。
川棚から小郡へきた時、私の荷物は三個だつた、着物と書物とで岳行李が一つ、蒲団と机とで菰包みが一つ、外に何やら彼やらの手荷物一つである、ずいぶん簡単な身軽だと思つてゐたのに、樹明兄は、私としてはそれでも荷物が多過ぎるといふ、さういへばさうもいはれる。
ざーつと夕立がきた、すべてのものがよろこんでうごく、川棚では此夏一度も夕立がなかつたが。
午後、樹明さんが黒鯛持参で来訪-モチ、銘酒註文-、ゆつくり飲む、夕方、山口まで進出して周二居を驚かす、羨ましい家庭であつた、理解ある母堂に敬意を表しないではゐられなかつた。
そけから-、それからがいけなかつた、徹宵飲みつづけた、飲みすぎ飲みすぎだ、過ぎたるは及ばざるにしかず、といふ事は酒の場合に於て最も真理だ、もう酒には懲りた、こんな酒を飲んでは樹明さんにすまないばかりでなく世間に対しても申訳ない、無論、私自身に対し、仏陀に対しては頭を石にぶつけるほどの罪業だ。
我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡、従身語意之所生、一切我今皆懺悔、
―ほんとうに、懺悔せよ。
※表題句の外、1句を記す
Photo/北の旅-2000㎞から―函館、トラビスチヌ修道院-’11.07.24
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