山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

わらや一つ石楠花を持つ

2010-12-28 00:15:48 | 文化・芸術
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―四方のたより―

寒風が吹きつけるEVEの夜、予想通り?数のうえでは寂しい客席だっが、
演者たちは舞も奏も心を尽していい出来だった。
約束の会合があるのですぐにも退散しなければと云っていたOさんも、
気の毒に?その機を逸したまま最後までご覧になっていた。

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終ってからオーク1階の居酒屋でお疲れさん会、
一年の垢を落とすがごとき仲間との語らいは熱く、終電近くまで続いた。

―日々余話― Soulful Days-45- Postscipt-あとがき-

  詩人田村隆一の「四千の日と夜」のなかに
一篇の詩を生むためには、
われわれはいとしいものを殺さなければならない
これは死者を甦らせるただひとつの道であり
われわれはその道を行かなければならない
   という四行がある。          
  詩と死――
  不慮の事故、逆縁の死
  などという災禍が降り来たった
  その母は、また、その父は
  語るべき言葉など、ほんとうはなにもない
  ただ、それぞれの残された生に
  言葉にはなりえぬ、
  無言の詩を刻みつけるだけなのだ。

―山頭火の一句― 行乞記再び -132
5月16日、晴、行程4里、三隅宗頭、宮内屋

すつかり初夏風景となつた、歩くには暑い、行乞するには懶い、一日も早く嬉野温泉に草庵を結ぼう。
けふの道はよい道だつた、こんやの宿はよい宿だ。
花だらけ、水だらけ、花がうつくしい、水がうまい-酒はもう苦くなつた-。
途上で、蛇が蛙を呑まうとしてゐるのを見た、犬養首相暗殺のニユースを聞かされた。

※表題句の外、4句を記す

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Photo/長門市三隅上宗頭にある宗頭大歳社


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葉桜となつて水に影ある

2010-12-24 00:12:45 | 文化・芸術
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-表象の森- 親鸞の悪人と凡夫
今村仁司「親鸞と学的精神」より

<悪人―存在>
親鸞の「悪」は存在論的概念
「屠はよろづのいきたるものをころしほふるものなり、これはれうし-猟師-といふものなり。沽はよろづのものをうりかうものなり、これはあき人-商人-なり。かやうのものどもは、みないし-石-・かわら-瓦-・つぶて-礫-のごとくなるわれらなり」
親鸞のいう「われら」とは現世-五濁悪世-において煩悩に縛られ、すべての煩悩をかかえたままに生きる「例外なくすべての人間たち」である。
現世のなかにいるかぎり「汚染され濁った人間」つまりは「悪であるほかはない人間」であり、「悪人」の対概念は「善人」ではなく「浄人」あるいは「覚者-覚醒した人」である。
人間はおしなべて例外なく「悪-人」である、人間であることは悪人である宿命を免れることはできないのだ。
問題は自分が世俗的本質、世俗的人間としての本質を自覚するかどうかであり、社会的規定が何であれ自分が世俗的人間であるかぎり、全面的に悪人であると自覚する者だけが、自我に執着して自己の力量を自慢し誇示することの絶対的不可能を認識し、自力救済の不可能の確信から他力への信頼を腑に落ちるようにして自覚できる。
救済とはこの我執的存在をはっきりと知るに至りながら、我執を自分で取り去ることができないという根源的な事態に直面する人、これが悪人であり、その人だけが厳密な意味で救済の対象になる。
この臓腑的知こそ親鸞が力説する「信」である。

人間なるもの-凡夫
凡夫とは「煩悩具足」の存在であり、煩悩とは玄奘の訳語で云えば「計所執性」
遍計所執性とは
1. 遍く計らうことであり、これには、①-自己を計らうことと、②-自分以外の周り-対象を-計らうこととがある。
2. はからうことに執する-はからう自我に執する
3. はかられたものに執する-はかられたものに執する-はかられた対象に執する。
4. 執することに執する
「我はからう」-根源的な「生きる欲望」-「力への意志」

―四方のたより― DANCE CAFÉ 2010 EVE
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―山頭火の一句― 行乞記再び -131
5月11日、12日、13日、14日、15日

酒、酒、酒、酒、酒、‥遊びすぎた、安易になりすぎた、友情に甘えすぎた、伊東君の生活を紊したのが、殊に奥さんを悲しませたのは悪かつた、無論、私自身の生活気分はメチャクチャとなつた。‥‥
いよいよ15日の夕方、大田から1里ばかりの山村、絵堂まで送られて歩いた-このあたりは維新役の戦跡が多い、鍾乳洞も多い-。
秋吉台の蕨狩は死ぬるまで忘れまい。
しつかりしろ、と私は私自身に叫ぶ外なかつた、、ああ。

――赤郷絵堂、三島屋

※表題句の外、16句を記す

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Photo/高杉晋作の奇兵隊ゆかりの大田・絵堂の戦の本陣跡

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Photo/現・美祢市美東町の赤郷八幡宮

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Photo/秋吉台の原生林、長者ケ森


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けさの風を入れる

2010-12-22 00:57:50 | 文化・芸術
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―四方のたより― DANCE CAFÉ 2010 EVE

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―山頭火の一句― 行乞記再び -130
5月10日、晴、2里ばかり歩いて3里は自動車、伊東宅-大田-

樹明君がどうでも大田までいっしょに行くとの事、職務妨害はいけないと思ったが-君は農学校勤務-、ちつとも妨害にはならないといはれるので、一杯機嫌で伊東君の宅へころげこんだ、幾年ぶりの再会か、うれしかつた。
街の家でまた飲む、三人とも酒豪ではないが、酒徒であることに間違はない、例によつて例の如く飲みすぎる、饒舌りすぎる。

葉山葵はおいしかつた、苣膾-チシャ-はなつかしかつた

※句作なし、表題句は5月9日所収の句
小郡は、この後、山頭火が其中庵を結び、6年間におよび常住する地であるが、昭和40年代、50年代の時ならぬ山頭火ブームの所為だろう、今では市内各所に20数ケ所の句碑を数えるという。

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Photo/小郡市内にある山頭火句碑の変わり種、「ポストはそこに旅の月夜で」

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Photo/同じく、「蛙になりきって跳ぶ」


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こんやはここで寝る鉄瓶の鳴る

2010-12-19 23:49:46 | 文化・芸術
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―日々余話― 嵐山花灯路

昨夕、親子三人連れで、嵐山の花灯路へ行ってきた。
さすがに阪急電車のに乗った段階からかなりの混みようで、桂からの嵐電はさらに輪をかけて満杯状況。
渡月橋は人、人、人であふれかえり、左側通行に規制された歩道は数珠つなぎで、ぞろぞろと歩いては止まり、また歩いては止まりで、ただ渡りきるだけで20分近くかかったのではないか。
天竜寺の門前を通り、竹林の小径、大河内山荘、常寂光寺、去来ゆかりの落柿舎と経めぐって、また門前へと戻ってくるのに1時間半は要したろう。

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ほっと息抜きのつもりで出かけたのだが、豈図らんや、かえって疲れを溜め込んだような始末。
とんだ災厄となったのは子どものほうで、よほど消耗したとみえて、しばらくご無沙汰だった喘息の気が、昨夜の就寝前からまたぞろ出てきたようだ。
かほどの人出を予想しなかった私のしくじりと、反省しきり。

―四方のたより DANCE CAFÉ 2010 EVE

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―山頭火の一句― 行乞記再び -129
5月9日、曇、歩いて3里、汽車で5里、樹明居-小郡-

文字通りの一文なし、といふ訳で、富田、戸田、富海行乞、駅前の土産物店で米を買うていただいて小郡までの汽車賃をこしらへて樹明居へ、因縁があつて逢へた、逢ふてうれしかつた、逢ふだけの人間だから。
街の家で飲んで話した、呂竹、冬坊、俊の三君にも逢つた、呂竹居に泊る、樹明君もいつしよに。
戸田ではS君に逢ひたくてたまらなかつた、君は没落して大連にゐるのに。
椿峠で二人連れのルンペンに逢つた、ルンペンらしいルンペンだつた。
今日の行乞相は90点以上。
防府を過ぎる時はほんたうに感慨無量だつた。
樹明居は好きになつた、樹明君が好きになつたやうに。

※表題句の外、17句を記す

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Photo/周南市と防府の境の椿峠あたりから富海の海を望む

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Photo/富海宿の本陣跡


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ふるさとの夢から覚めてふるさとの雨

2010-12-17 12:09:35 | 文化・芸術
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―日々余話― Soulful Days-44- 事の本質とは
この稿は、今年3月に書きかけていたのを補綴し言挙げするものである。

交通法規以前の、法以前の、事の本質というものを考える
たとえば、小沢一郎問題、
仮にこのまま政治資金規正法等からは罪に問われず落着したとしても、これはやはり、悪徳きわまるものと受けとめざるをえない。それが事の本質だ。
新生党や新進党あるいは自由党と、立党解党を繰り返したはてに、政党交付金の余剰を5億あるいは6億と懐にしたと巷間伝えられる。立証は出来ないがさりとて逆の証明もできない、疑いなく事実であろう、と世間はみなそう考えている。政党交付金という国民の血税をも含めたカネが原資となって、10億の不動産へと化け、陸山会に帰属せしめているという事実、しかも政治資金管理団体は不動産を登記できないから、小沢一郎名義の登記物件だ。
これらを決して私しない、と検察特捜部に一筆取られたというから、政治資金管理団体陸山会への帰属は動かせなくなるだろうが、小沢はそんなこと端から百も承知、私することなど要せず、どこまでも陸山会所有のままでよい、これら不動産が政治団体帰属であるなら、小沢一郎個人の登記物件であろうとも、個人財産として相続税の対象にはならない、政治団体はただ継承されるものなのだから、仮に小沢の親族が後継となれば、不動産もろともそっくりそのまま引き継がれることになる。
法にはかからぬが、こんな全容を知れば、いやおおかたの国民はすでにそんなものかと推量していようから、多くの人がこんな悪はないと思っているだろう。

さて、RYOUKOを死に至らしめた事故の、事の本質とは‥
現場は中央大通りという阪神高速の高架も走る広い道路、速度制限は60km/h、その辰巳橋南詰交差点内、
RYOUKOを乗せたタクシー-M車-が最徐行しながら、右折から直進行為に入った時、直進の対抗車-T車-が後部左側に激突した。衝突時、直進車の速度は時速70km/hだったと推定され
ている、制動操作はまったく間に合わなかったのか否か‥。
交通法規においては、直進車優先の原則があるが、午後8時15分頃という事故発生時において、この直進車が無灯火であったり脇見運転であったりすれば、どういうことになるか。
そういった法以前の、事実関係のみでいえば、最徐行で右折から直進へと移行しつつあったM車に、その横合いからTが急ブレーキも間に合わないままぶつかってきたもので、このとき、正確には衝突の1.0秒前から1.5秒前、T車は次の瞬間に起こる出来事を予知できている訳である。一方、MがぶつかりくるT車にどの時点で気づきうるかと考えると、T車が前照灯を灯火していれば、横合いからとはいえ迫り来るその灯りを2秒前にも気づくことはありうるが、仮に無灯火であった場合にはぶつかってくる瞬間まで気づきえないことになる。ましてや乗客であったRYOUKOにとってはまったく無防備なままに激突の衝撃をまるごと受けることになる。
もはや避けえない衝突を、ほんの一瞬とはいえ直前に予知できたT車の運転手は、次の瞬間に起こる衝撃に対し咄嗟に身構えることも出来るが、M車の運転手とその乗客RYOUKOにとっては、そのわずかな抵抗すら、咄嗟に怯むことさえ不可能である。
この違い、この差は、決定的に大きなものではないだろうか、と私は思う。

この事故を考えるとき、私は過去の私自身の経験のなかでの二つの出来事を思い出さずにはいられない。
ひとつは、まだ幼い頃の遠い昔のこと、私が小2の時であった。朝、学校へ登校してまもない始業前の時間、たくさんの児童が運動場で遊んでおり、何をしていたか記憶にないが、私も校庭に居た。そこへ突然、背後から強い衝撃に襲われ転倒、固い地面に頭部を打ってそのまま気絶してしまったのである。
当時、上級生の男子ならほとんどだれもが遊んでいた、軍艦ごっことか水雷・艦長と呼ばれた遊び、これに興じて走り回っていた6年生の男子が、なにかほかに気を取られていたからだろうが、私にぶつかってきたというのが事の経緯だった。
気を失ったまま眠り込んでしまっていた私が、気がついたのは1時間後だったかそれとも2時間後だったか、気がついたとき真っ先に眼に映ったのは、私の顔を心配そうに覗き込んでいる次兄-当時6年生だった-の姿だった。

もう一つは、私が40歳を過ぎたばかりの頃、居眠り運転で自身が乗っていた車を大破させてしまった事故のことだ。当時の私は自宅で小さな学習塾をしていたのだが、収入も心許ないことから深夜のアルバイトを始めてまだまもない頃で、たしか2週間目くらいだったと記憶する。私が運転していたのは積載1屯の保冷車、時間は午前0時を30分もまわっていたろうか、梅田の北側のコンビニに配達をして次の店に向う途中、高速の高架下を走っていたのだが、睡魔に襲われフッとなっては眼を凝らすといったことが二、三度繰り返されただろうか、ハッと気がついたとき暗い前方に停車している大きな車-ダンプ車だったか工事用の大型車両だったか-が眼に入った、大慌てで急ブレーキをかけたがもう間に合わない、ガシャーンと金属音をたてて衝突、運転していた保冷車は大型車の後部へめり込むようにへしゃげて止まった。ほんの数秒気を失っていたと思うが、ペシャンコになった運転席で気がついた私は、容易に身動きはならないのだが、身体にはほとんど異状がない、車前部大破で保冷車はそのまま廃車となった損傷の大きさに比して、軽い打ち身や擦り傷はあったものの五体満足、ほんの一瞬の差で大怪我ともならず命拾いをしたのだった。

この二つの事例からみても、能動的に自らぶつかりゆく者と受け身的にぶつけられる者、その違いが事故の衝撃によって受ける損傷において、被害の度合を大きく分け隔てることにもなるのは明白だろう。
ぶつかり来たった者=Tは、その一瞬先に起こる衝撃に対し、身を挺しつつぶつかりゆくのであり、ならばこそその衝撃に比し軽傷で済む場合は多々あり得るが、ぶつけられた者=RYOUKOは、まったく不意を突かれることであってみれば、その激しい衝撃を100%そのまま身に蒙らざるを得ないのだ。

それが、この事故の、法以前における、事の本質なのだ、と私は思う。
RYOUKOを帰らぬ人としてしまった直接の原因は、脳外傷による急性の硬膜下出血であり脳浮腫であったが、治療にあたった医師の説明によれば、他に、肝臓部に外傷、脾臓にも傷痕、ともに変色がみられ、左胸部肋骨の上部に骨折、骨盤の仙骨部左右が骨折、右脚部膝下部位に骨折、と身体の各所に異状や損傷が見られたという、その衝撃の凄さと悲惨さを物語るものであった。

―四方のたより― DANCE CAFÉ 2010 EVE

Dancecafe20101224a401

―山頭火の一句― 行乞記再び -128
5月8日、雨、しようことなしの滞在、宿は同前。

終日読書静観、ゲルトがないと坊主らしくなる。
同宿4人、みんな世間師だ、世間師はそれぞれ世間師らしい哲学を持つてゐる、話してもなかなかおもしろい、世間師同士の話は一層おもしろい-昨日今日当地方の春祭だから、それをあてこんで来たものらしい-。

痔がいたむ、酒をつつしみませう。
この宿のおかみさんはとても醜婦だ、それだけ好感が持てた、愛嬌はないが綺麗好きだから嬉しい。
世間する、といふ言葉は意味ふかい、哲学するといふ意味のやうに。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/厳島の合戦で毛利元就に敗れた陶晴賢の居城だった周防若山城跡、二の丸から市街地を望む

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Photo/陶の道とよばれた嘗ての武者道は、徳山の陶氏居館跡とをつなぐ


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