山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

寒い空のボタ山よさようなら

2010-03-31 23:54:55 | 文化・芸術
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-表象の森-「中国書史」跋文より-承前

編集者八木俊樹による幾つかの帯文

・書の回遊魚たちに対して-
書と道と生の哲学-宗教-を巡る凡ての言説は見え透いた意匠に過ぎない。文字の整調と階調とあるいは変形美-デフォルマシオン-を競うのは、実用性から見ても歴史的に見ても、日常性の誤りのない算術である。ただ、教育家と僧侶とこの世の美の請負人-アーティスト-が、芸術としての書の独立や自立を強いられたとき、文字や言葉や書する劇-ドラマ-の解析学や微積分学を推進めて考える労を取ることなく、文字の美的工夫や造形美の表面-うわべ-と取引して、己の地位や商売や趣味を保守せんがために美に雄弁たらんと、修練や仏教的呪文や、書は散也懐抱を散ずる也の曼荼羅を唱え、また心的に行動的に形容し死化粧したに過ぎない。

・文字と言葉と意識-社会-について-
一般的に言えば、文字は外化された言葉であり、言葉は外化された意識である。逆に言えば、文字は言葉という星雲の、言葉は意識宇宙-社会-の原子核である。この順逆の、陰陽の構造を明らかにしたものは誰もいない。言葉の肉体-陰-を書する逆説-パラドクス-、書の本質を問うことによって、文字と言葉と意識-社会-の構造をもはじめて露わにすることができるに違いない。

・書する人々に-
書とは如何なる芸術-アルス-か-。ここに、書と書する自己の半ば無意識のうちに緘黙していた美を解剖して、書の理論-テオリア-と書的行為-プラクシス-と技法-テクネーの三位一体の、凡ての逆説にみちた脈絡と必然性が微と細の極限まで辿られ視覚化された。ここに、書の美は書家たちの曖昧に装飾語たることを脱し、、書の現代に立ち会うことができる。

・異境の職人たちへ-
書とは言語-詩-の逆説であり肉体であり、社会への距離の函数の、陰画-ネガ-からの対照法である。文明に対する根源的な懐疑とその一般化が現代であるとすれば、書と書的思考はそれ故、言語という陰画-ネガ-世界をも蝕筆し相対化するものである。本書は、蝕筆によって現代を計量する異彩の文明論であり、反時代的考察でもある。

―山頭火の一句― 行乞記再び -19-
1月10日、晴、2里、散策、神湊、隣船寺。
-記載なし-

1月11日、晴、歩いたり乗つたりして10里、志免、富好庵。
-記載なし-

1月12日、雨后晴れ、足と車で10余里、姪ノ浜、熊本屋
此三日間の記事は別に書く。

※表題句の外、2句を記す

山頭火は、10日には俊和尚が寺に帰ってくる、と和尚の妻から聞いていたのだろう。この日、隣船寺へと戻って俊和尚と再会をはたし、うちとけた嬉しい時間を過ごしたとみえる。

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俊和尚は田代宗俊、彼は俳人としての山頭火を高く買っていたらしい。この邂逅の翌々年、昭和9年には、隣船寺境内に「松はみな枝垂れて南無観世音」の句碑を建立している。もちろん山頭火生前のうちに建立された句碑は、この1基のみである。斯様な二人のあいだであってみれば、俊和尚と別れたあとも山頭火の心は、あれこれと想いは涌きたちよほど昂ぶっていたのではないか。ましてや二人の邂逅の直前には、「鉄鉢の中へも霰」の自信句も得ている。10、11日と記載なく、12日には「別に書く」としたは、心の昂揚ぶりをあらわす証左だろう。
現在の宗像市神湊の隣船寺は、禅宗大徳寺派、海岸線より200mも離れていない海辺の寺である。鳥の囀りと海潮音のみが聴こえる静かな境内の梵鐘の傍らにひっそりと立つ句碑は、石に刻まれた文字も些か判じがたいほどに風化している。


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暮れて松風の宿に草鞋ぬぐ

2010-03-30 23:55:50 | 文化・芸術
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-日々余話- 書と気力

偶にでしかないが、書道教室に通っている子どものKAORUKOと習字ごっこをすることがある。概ねは子どもの筆の持ち方や運びに注文をつける役回りなのだが、自分でも2枚や3枚書いてもみる。そんな折に、とりわけ臨書よろしくモデルを見ながら書いたりすると、まあとんでもない、頗る気力を要することに気づいては今更ながら愕然としている自分が居るのだ。ほんの数分とはいえ、こんなにも緊張と集中を迫られ、気力を振り絞っている自身の姿は、もはや古層と化した遠い記憶の彼方にしかないような、そんな気さえしてくるのである。

勿論この背景には、このところずっと石川九楊に導かれながら、彼の説く書論や書史にどっぷりと浸ってきている日常が大きく与ってあるのだろう。そうに違いないのだけれど、それにしてもこの気力の再発見は、すでに六十路半ばを過ぎようとしている自身にとって、意外に大きな出来事なのかもしれない、とそんな想いにとらわれたりもしているのだ。

どうやら、近頃の私は、またぞろ転換期に差しかかっているらしい、おそらく人生三度目か、四度目の‥。

-今月の購入本-
今月もまた石川九楊オンパレード、これは否応なく翌4月にも及ぶこと必至。

・石川九楊「中国書史」京都大学学術出版会
大著「書史」三部作の第1作は'96年刊。本書の刊行は京都大学学術出版会であるのに対し、続く「日本書史」、「近代書史」が、なぜ名古屋大学出版会の刊行となったのか、疑問に思っていたら、この「中国書史」の編集を担当した八木俊樹なる人物は、石川九楊の友人でもあったらしく、めずらしいことに本書巻末の跋文を書いてもいるのだが、この出版後まもなく死亡したとみえ、そういった事情が背景にあるようである。

その跋文に曰く
宣言文-マニュフェスト-として-
書ははじめてその理論をもった。書史ははじめてその論理と文体をもった。ここに書が自らを定立する体系が提示されている。

定式-テーゼ-風に-
従来のすべての書論や書史の主たる欠陥は、書が、筆触と筆蝕が、ただ文字の形態美すなわち直感の形態のもとにのみとらえられて、書する現実性としてとらえられず、書が主体的に逆説的にとらえられないところにある。従って、書の主体的営為は観念的に、人格と心理と感情の抽象的様相や形として解釈されたに過ぎず、書史は又、書の便覧とその訓詁と注釈の展覧となる他はなかったのである。

著者の代理人-エージェント-として-
書の主語とは何か、書の述語とは何か、書するとは何であるのか、これらの根底の問いと謎に応接することによって、書的表出を筆蝕と角度による放縦で慎重な戦術と、それに機能的に領導され、それを領導し返す構成と断定するに到った。私なりに解して、ここに、書の自立を宣言する、書の言わば哲学大系を叙述し、書的表出の哲学史を遠近しえたと思う。書が書の近代の不在という貧困に孤独であったとすれば、これによって私は、漸う書の現代に直面し、そこに自己と世界を賭けることができるであろう。

・「石川九楊の書道入門」芸術新聞社
本書では、楷書の手本として褚遂良の「雁塔聖教序」を採っている。欧陽詢の「九成宮醴泉銘」の楷書では、点画がやや直線的で硬く、石に刻った姿が色濃く投影されている形象と見る。これに比して、「雁塔聖教序」は筆で字を書いたそのままの姿が石碑に刻られているものと見え、行書や草書への階梯もわかりやすくより役立とう、としている。

-図書館からの借本-
・石川九楊編「書の宇宙 -13-書と人と・顔真卿」二玄社
・石川九楊編「書の宇宙 -14-文人の書・北宋三大家」二玄社
・石川九楊編「書の宇宙 -15-復古という発見・元代諸家」二玄社
・石川九楊編「書の宇宙 -16-知識の書・鎌倉仏教者」二玄社
・石川九楊編「書の宇宙 -17-文人という夢・明代諸家」二玄社
・石川九楊編「書の宇宙 -18-それぞれの亡国・明末清初」二玄社

-表象の森- 筆蝕曼荼羅-八大山人
石川九楊編「書の宇宙-№18-それぞれの亡国・明末清初」二玄社刊より

八大山人「臨河序」
臨河序とは蘭亭序の異文、八大山人が長い条幅に書いた-1700年-ものを、短い条幅に仕立て直している。突然現れた、稚拙、舌足らずの、滋味溢れる、ちっぽけな表現世界。その世界は、対象-紙-に対して角度をもたずに突き立てたままの垂直状態の筆の尖端を用いて、ちびちびと、こすりつけるような均等圧の書きぶりに生じている。字画は均一な太さとなり、転折は曖昧化する。八大山人の癖ともいうべき<口>の部の描法、ちびたけちな寸足らずの造形‥。

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永和九年暮春。/會于會稽山陰之/蘭亭。脩禊事
也。羣賢畢至。少/長咸集。此地酒峻/領崇山。茂林脩

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竹。更清流激湍。暎/帶左右、引以/爲流觴曲水。列坐其
次。是日也。天朗氣/清。恵風何暢。娯目/騁懐。洵可樂也。

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雖無絲竹管絲之/盛。一觴一詠。亦足/以暢敍幽情已。故
列序時人。録其/所述。/ 庚辰至日書。 八大山人。

・寸足らずの造形-力動感の感じられない<暮><會><崇>などは、子供が筆をもって書いたような字。寸足らずで、均衡を欠いた均衡を見せるといった、奇なる造形と化している。
・均一な太さの字画-<亭>や<脩>は、まるでサインペンで書いたかのよう。
こすりつけるような筆蝕-<賢><脩><日>などは、筆尖のちびた筆に少量の墨をつけて、こすりつけるように書いたかのようなケチな表情。
・歪む口部-<和>をはじめ<羣><右>など、例外なく口部が左短右長-縦筆・上急下緩-横筆-の歪んだ癖のある表現と化している。癖とでも呼ぶべき表現は、この時代に本格的に登場する。
・筆蝕の必然性なく揺れる画-<帶>の最終画のゆれは、臨場からくる速度や力の必然から生まれているのではなく、垂直・均等圧の筆蝕で、揺れるように姿を作為的に描き出しているもの。
・垂直・均等圧の筆蝕-垂直・均等圧の筆蝕で書かれているため、<地>や<氣>や<風>の辶部の中ほどの曲がり部分に力の抜けが出現せず、同程度の太さで書かれている。
・転折が曖昧-筆蝕が力動性を失うため、どのような表現も可能となり、ここでは転折が曖昧化している。<賢>の貝部や<崇><朗>はその典型。
・清朝碑学の書の魁-明末連綿草とは異なる、八大山人の垂直・均等圧の筆蝕の延長線上に、清朝碑学の無限微分筆蝕による書が生まれることが理解される。

―山頭火の一句― 行乞記再び -18-
1月9日、曇、小雪、冷たい、4里、鐘ケ、石橋屋

とにかく右脚の関節が痛い、神経痛らしい、嫌々で行乞、雪、風、不景気、それでも食べて泊るだけはいただきました。

今日の行乞相はよかつたけれど、それでもそれでも時々よくなかつた、随流去! それの体現までいかなければ駄目だ。

此宿はわるくない、同宿3人、めいめい勝手な事を話しつづける、政変についても話すのだから愉快だ。

同宿のとぎやさんから長講一席を聞かされる、政治について経済について、そして政友民政両党の是比について、-彼は又、発明狂らしかつた、携帯煽風機を作るのだといつて、妙なゼンマイをいぢくつたり図面を取り散らかしてゐた、-略-

昨夜はちぢこまつて寝たが、今夜はのびのびと手足を伸ばすことが出来た、「蒲団短かく夜は長し」。此頃また朝魔羅が立つやうになつた、「朝、チンポの立たないやうなものに金を貸すな」、これも名言だ。

人生50年、その50年の回顧、長いやうで短かく、短いやうで長かつた、死にたくても死ねなかつた、アルコールの奴隷でもあり、悔恨の連続でもあつた、そして今は!

※表題句のみ


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木の葉に笠に音たてゝ霰

2010-03-29 23:58:07 | 文化・芸術
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-日々余話- 大和都市管財破綻、国賠闘争の記録

もう2週間ほどになるか、嘗て木津信抵当証券の被害者救済訴訟で苦楽をともにした櫛田寛一弁護士から一冊の新刊書が贈られてきた。

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花伝社刊の「闇に消えた1100億円」、著者今西憲之はどうやらフリージヤーナリストのようである。一昨年の9月、大阪高裁判決で、国の監督責任を認めさせ、一定部分といえ国賠訴訟に初の勝利をものした、被害者17000人余を数えた大和都市管財破綻事件における被害者救済の闘争記録である。帯に「原口一博総務相推薦!」と大書してあるのは、彼自身、この救済問題に当初から関心を寄せ、政府への請願や交渉に協力してきた、そんな経緯があってのことのようだ。

大阪・東京・名古屋の三都市で組織された被害者弁護団が合同して、管轄官庁たる財務省近畿財務局の監督責任を問い、国家賠償請求訴訟へと展開していったわけだが、その初期においては弁護団としても勝訴への確信はほとんど持ち得ていなかっただろうと、当時の報道などを見るにつけ私などにはそう思わざるを得ず、またしても火中の栗を拾った闘志の人櫛田弁護士も、今度ばかりは報いられえぬ苦労に終始するのではないかと、他人事ながら要らぬ心配をしながら関係報道に注目してきたものだ。

大和都市管財が破綻したのは平成13年4月、だがそれよりずっと以前、平成7年8月、近畿財務局は業務改善命令を出す筈であったにもかかわらず、どういう背景からかこれを撤回してしまっていたらしい。もうこの頃から危険視され、破綻も時間の問題とみられていたのだろう。それを6年も7年も生きながらえさせ、被害を甚大なものにしてしまったのはなぜか、近畿財務局や財務省に決定的な落ち度はなかったのか。

本書によれば、国側の責任を認めさせたこの判決をもたらす突破口となったのは、大勢の関係官僚の中からたった一人現れ出た参事官の、その勇気ある証言によるものだった、という。まさに救世主あらわるだが、このあたりの事情についてかなり詳しく書いてくれているのが、ルポルタージュとしてもたのしめる要素ではある。


-表象の森- 筆蝕曼荼羅-明末連綿草、その3

石川九楊編「書の宇宙-№18-それぞれの亡国・明末清初」二玄社刊より

傅山「五言律詩」
狂草的に動き回る愉快な明末連綿草。どこまでも作為的な王鐸の臨二王帖とは異なり、傅山のこの作は、速度や臨場によってもたらされる自然な表現も見られるが、それでもやはり全体を作意が貫き、時折、場面転換も姿を見せている。一筆書き風であるにもかかわらず、実際には、それほど連綿連続していない。
行書体を基礎に書かれていることもあって、既に書き終えた画を次の画が平気で横切るなど、王鐸よりもいっそう筆路が迷路化している。
王鐸とは異なり、筆尖がやや角度をもって紙-対象-に対するところから、痩せた書線ながらも、筆蝕の揺れ、また筆毫の割れも生じている。速度を主体とする表現であるため、ハネやハライが、まったくといっていいほど深度をもたない。

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月黒一綫白。林底林端榮。木心信石路。只/覺芒鞋平。雲霧遮不断。禽獣蹂/不奔。侶伴任前後。不譲亦不爭。/樵徑一章。 傅山。

錯綜する筆路、そして筆毫の割れ

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傅山「五言律詩」部分
遮不断/不譲亦


―山頭火の一句― 行乞記再び -17-
1月8日、雪、行程6里、芦屋町

ぢつとしてゐられなくて、俊和尚帰山まで行乞するつもりで出かける、さすがにこのあたりの松原はうつくしい、最も日本的な風景だ。

今日はだいぶ寒かつた、一昨日6日が小寒の入、寒くなければ嘘だが、雪と波しぶきとをまともにうけて歩くのは、行脚らしすぎる。

ここの湯銭3銭は高い、神湊の2銭があたりまへだらう、しかし何といつても、入浴ほど安くて嬉しいものはない、私はいつも温泉地に隠遁したいと念じてゐる、そしてそれが実現しさうである。
万歳!

-略-、途上で、連歌俳句研究所、何々庵何々、入門随意といふ看板を見た、現代には珍しいものだ。

※表題句の外に、代表句として人口に膾炙した
「鉄鉢の中へも霰」を記す


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遠く近く波音のしぐれてくる

2010-03-28 23:56:12 | 文化・芸術
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-四方のたより- 無為なるを知る‥か

昨日の午後、KAORUKOを連れて生國魂神社の坂下、應典院に出かけた。無論、小嶺由貴の公演、そのゲネプロを観るためである。着いたのは2時過ぎ、かなりの樹齢とみられる一本の桜木は、もう三分咲きほどにもみえた。

二階のホールではすでにキッカケ合せがはじまっていた。舞台奥には、3尺幅ほどの布かと見紛う-実際、最初はそう思ったのだが-紙が、少し間隔を空けて5本、天井から降りている。これがスクリーンとなって、静止画像が映し出されるのだが、画像自身もまた転換も、さほど煩くもなく抑制されているのが、心象風景づくりの補助として活きていたのではないか。

バックに画像スクリーンというプランが、衣装の色の選定に影響したか、D.マリィも小嶺も、基調はBrown、それもかなり濃色、これが悩ましかった。というのも、スクリーン画像を除けば、背景色はどこまでも黒基調、その空間比は黒基調のほうがずっと大きい、そこへ踊りの衣装は両者とも濃いBrownなのだから、これは計算ミスではなかったか。

作品構成は、時間にして50分ほどか、小嶺の頭の中で考えられ、計算された構成はごくシンプルなもので、D.マリィ、小嶺、そしてD.マリィと短いSceneで積み上げる前半が、Imageの筋売りの役割を果たしたうえで、後半の長いSoloパート-もちろん小嶺の踊り-へと凝縮、昇華させようというものだが、ここではからずも露呈してしまったのは、小嶺自身が、四方館から離れざるを得なかったこの1年半近い歳月を、いかに日常的に、踊ることそれ自体から遠ざかってきたか、ということだ。

彼女自身、怠りなくトレーニングはつづけてきたにちがいない、それは彼女の気性からしても充分察しのつくところだし、彼女なりに思料しうる身体的な技法の錬磨も重ねてきたにはちがいない。そうにちがいないが、自身が踊ることそのもの、つねに、現に踊る、その心機を鍛えこむこと、その現場性をいかように保証しつづけるかを、どうやら彼女は自ら課してはこなかったようである。

昨晩と今日、ささやかなりとはいえ自身の進退を賭した筈の、さりながらまた無為ともいうしかないような孤独な闘いの、2回のステージを終えて、いま、彼女にいかなる想念が去来しているか‥。高価な授業料とはいえ、その無為なるを思い知ったとすれば、それはそれで一功あり、といえようけれど‥。

-表象の森- 筆蝕曼荼羅-明末連綿草、その2

石川九楊編「書の宇宙-№18-それぞれの亡国・明末清初」二玄社刊より

王鐸「臨徐嶠之帖」
作為的で多彩な書きぶりをみせる、書線の肥痩落差が極端な徐嶠之の臨書。
王鐸の書は基本的に垂直方向から筆圧が加わるため、均一な書線の表現が多くなる。<都>にみられる作為的な倒字なども、他の明末連綿草には見られない、作意に満ちた表現が誕生している。

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春首餘寒。闍棃安穏動止。弟子虚乏。謬承榮寄。/蒙恩奬擢授名。一歳三遷。既近都邑。彌深/悉竊。戰懼之情。弟子徐嶠之。 王鐸為/晧老先生詞壇

王鐸「臨二王帖」
一筆書きのごとき王鐸の臨二王帖は、草書体で書かれた正真正銘の明末連綿草。
南宋代の遊糸書や明代の連綿草と決定的に異なるのは、先行の書が書字の臨場と速度の必然によって一筆書き化しているのに対して、本作では、脈絡-連綿や筆脈-と字画を等質に描き出そうとする意志が成立し、筆路そのものが書であるという構造に至っている点である。
そのため、連綿と字画の区別がなくなり、筆路に場面転換が挿入され、迷路のごとき作為的な筆路や連綿が挟み込まれている。

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豹奴此月唯省一書。亦不足慰懐邪。吾唯辨ヾ。知復/日也。知彼人巳還。吾此猶往就。其野近當往就/之耳。家月末當至上虞。亦倶去。 癸未六月極熱臨。/驚壇詞丈。

・一筆書き-書き出しは8字、次いで1字、さらに5字という具合に、基本的に文の切れ目まで連綿連続している。
・字画と筆脈の区別が無くなる-<匈奴>の間、<省一>の間、<知彼>の間の連綿が、自覚的に書かれることによって棒状の姿を晒し、字画と筆脈の区別を喪失している。
・場面転換-字画と筆脈とが区別を喪失したこともあって、<野>では終盤で墨継ぎし、作為的な場面転換が出現している。<往就>部で<往>の連綿を長く伸長させた後、新たに墨をつけなおしているにもかかわらず、この連綿に連続するかのごとく<就>字を書き出す。
・迷路のごとき筆路-<豹奴此><慰懐><野>などは、これほどまで連綿しなくともと思えるほどの、迷路のごとき筆路で書かれている。
・筆毫の表裏の無法化-字画と脈絡の等質化によって、筆毫の表裏を無視して均一な太さの書線を用いる無法の書法が、<還>字に見られる。
・垂直筆-紙-対象-に対して垂直に筆圧が加わる垂直筆主体で書かれていることが、<豹><一><猶>などの均一な太さの書線からわかる。
・大回りする筆蝕-豹奴此><吾此猶>などにみられるように、書字の速度の必然からではない、作為的な大回りの筆路が覗える。

―山頭火の一句― 行乞記再び -16-
1月7日、時雨、休養、潜龍窟に蛇が泊つたのだ。

雨は降るし、足は痛いし-どうも-脚気らしい-、勧められるままに休養する、遊んでゐて、食べさせていただいて、しかも酒まで飲んでは、ほんたうに勿躰ないことだ。

※表題句の外、1句を記す


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咲き残つたバラの赤さである

2010-03-27 23:23:57 | 文化・芸術
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-表象の森- 筆蝕曼荼羅-明末連綿草

石川九楊編「書の宇宙-№18-それぞれの亡国・明末清初」二玄社刊より

・張瑞図「飲中八仙歌巻」部分

鋭い鋒の剣の乱舞、あるいは剃刀の舞いという趣き、緊張感溢れる張瑞図固有の筆触からなる明末連綿草。杜甫の飲中八仙歌を書いた名作-1627年-。
左右に拡張し縮退する横筆を主体とした、直線的な思い切りのよい力動から成立し、回転部が角立つ緊迫した姿態を晒している。連綿の字画化と、字画の連綿化が見られ、また時折、偏大旁小の大胆な構成を見せる。

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咽。焦墜/五斗方卓

20chyozuito

然。高談/雄辯驚


―山頭火の一句― 行乞記再び -15-
1月6日、晴、行程3里、神湊、隣船寺。

赤間町1時間、東郷町1時間行乞、それから水にそうて宗像神社へ参拝、こんなところにこんな官幣大社があることを知らない人が多い。

神木楢、石碑無量寿仏、木彫石彫の狛犬はよかつた。

水といつしよに歩いてゐさへすれば、おのづから神湊へ出た、俊和尚を訪ねる、不在、奥さんもお留守、それでもあがりこんで女中さん相手に話してゐるうちに奥さんだけは帰つて来られた。、遠慮なく泊る。

※表題句の外、2句を記す


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