山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

おわかれのせなかをたたいてくれた

2010-09-29 15:15:11 | 文化・芸術
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―世間虚仮― 恫喝外交中国のバブル危機

中国人船長逮捕の尖閣諸島沖事件、中国のあの手この手の恫喝に船長釈放をしてしまった政府に対し、国内では非難囂々の嵐だが、恫喝するだけしておいて目下の利を収めた中国はさっさと矛を収めようとしているようで、さすが眼も鮮やかな恫喝外交というところだが、中国の国内事情、バブル崩壊の危機は、もうそれどころじゃないのではないか。

いまだ大都市圏で建設ラッシュが続き、林立する高層マンションでは50%以上の空室が常態といわれ、延べ8000万もの空室を生み出しているという。この居住者なき膨大な不動産は、なべてひと握りの富裕層たちの投機の対象でしかないわけだ。-その件については此処に詳しい-

それよりも深刻なのは爆発的なエネルギー消費のほうだろう、IEA-国際エネルギー機関-の統計によれば、中国の総消費エネルギーはこの10年で倍増、09年時点において、すでにアメリカのそれを上回り、世界一の消費国となっている。-参照-

これにともなう石油の輸入依存は急速に強まってきた、世界5位の産油国でありながら、93年に純輸入国へと転落して以来、急激な原油輸入の拡大は、やがて中国発のオイルショックを招いては、世界中を恐慌の嵐に巻き込んでしまうだろう。

―山頭火の一句― 行乞記再び -107
4月17日、花見日和、午前中行乞、宿はおなじく

わざと中洲-福岡市に於ける第一流の小売商店街-を行乞した、行乞相はよかつたけれど、所得は予想通りだつた、2時間で15銭、まあ百軒に一軒いただいたぐらゐだらう、いただかないのになれて、いただくと何だかフシギなやうに感じた。

大浜の方は多少出る、少し歩いて、約束通り酒壺堂房を訪れる、アルコールなしで、短冊60枚ばかり、半切10数枚書いた-後援会の仕事の一つである-、悪筆の達筆には主客共に驚いたことだつた、折々深雪女来訪、酒がまはれば舌もまはる、無遠慮なヨタはいつもの通り、夕方、酒君と共に農平居を襲ふ、飲んだり話したり、山頭火式、農平式、酒壺堂式、10時過ぎて宿に戻る、すぐ、ぐつすり寝た。

どうも近来飲みすぎる、友人の厚情に甘えるのもよくないけれど、自分を甘やかしてもよくない。-略-

※表題句の外、1句を記す

大浜地区は、博多駅前から大博通りを海岸のほうへ行った、呉服町や大博町の界隈。

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Photo/その大浜で8月下旬に行われる流灌頂祭りの大武者絵灯籠

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Photo/祇園山笠が行われる櫛田神社は、祇園町近くの上川端町にある


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昼月に紙鳶をたたかはせてゐる

2010-09-27 15:06:30 | 文化・芸術
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―日々余話― バイオフィルム

いくつか購読しているメルマガのなかに、たしか以前にも触れたことがあるが、(財)生物科学研究所の主任研究員を務めるI.A氏による「明快!森羅万象と百家万節の系譜」というのが、毎週土曜日に配信されている。
普段、あまり熱心な読者ではないのだが、最新号の「生体防衛論」のなかで話題に供されていた「バイオフィルム」の語に眼が惹かれた。以下、その一文から引用させていただく。

「多細胞生物のような細菌社会」
-細菌も目に見えるような巨大な社会を作り上げる-
小さな細菌が目に見えるような巨大な社会を作り上げることがわかってきました。バイオフィルムと呼ばれます。原始の海ではバイオフィルムのような 原核生物の社会が存在していたのではないでしょうか。
バイオフィルムとは微生物が排泄するスライムで包まれた微生物の集合体です。無生物もしくは生きた表面に付着しています。歯の上に付いたプラー ク、パイプのヌルヌル、花を1週間いけておいた花瓶の内部のゲル状の薄膜など。
バイオフィルムは水があるところならどこでも、台所でも、コンタク トレンズでも、免疫力が弱っていれば、動物の腸にもできます。自然界の細菌の99%以上はバイオフィルム社会に住んでいます。ほとんどの細菌は無害です。
中には有益な働きをする細菌もいます。たとえば、汚水処理プラントはバイオフィルムの働きで水から汚染物を除去します。一方、問題も起こします。 バイオフィルムは金属性のパイプを腐食させたり、水フィルターを詰まらせたり、病院でインプラント(留置器具)の拒絶反応を起こしたり、飲料水を 汚染させる細菌を保持します。
微生物学者は病原菌をターゲットにしてきましたから、伝統的に実験室内の培地に発育する細菌に焦点を当ててきました。菌を分離して、純粋培養した 菌を感染させることで病気が起こることを確認します。コッホの三原則といいます。ワクチンを作るにも菌を純粋培養する必要がありました。しかし、 微生物学者は最近になって自然界では多くの細菌はバイオフィルムとして集って暮らしていることに注目しています。培地の中とバイオフィルムの中では細菌の振舞いは異なっています。

-細菌は多様な環境下で生きるための仕組みを持っている-
微生物はきれいな水に落ちるといった飢餓状態に直面すると、固体表面への親和性を高めるために細胞壁の構造を変化させます。外膜のタンパク質と脂質の構成を変化させ、細胞壁を疎水性にします。疎水性の細菌表面はプラスチックのパ
イプ表面に引きつけられます。
細菌は持っている遺伝子セットの中から、環境の変化に合わせて異なるセットの遺伝子のスイッチを入れて変身します。たとえば、菌がガラスにつく と、アルギン酸塩(スライムの粘着性物質)の合成に関与する遺伝子にスイッチが入り、細菌がアルギン酸塩に取り囲まれるとそのスイッチを切りま す。固着菌と浮遊菌とでは、細菌細胞壁に存在するタンパク質のうち、30~40%が異なっています。
大腸菌の遺伝子は約4000ありますが、培養液で増やす場合、そのうちの半分しか使いません。つまり、半分あれば基本的な増殖ができるわけです。 残りの半分は何のためにあるのでしょうか。現在の仮説では多様な環境下に適応するための遺伝子であると考えられています。多様な環境下とは、他の 生物体内、清浄な環境下、捕食者の多い環境下、低温、高温。乾燥状態などです。いままでの細菌学は実験室内での分離培養に力点が置かれていたた め、これらの遺伝子の存在自体がわかっていませんでした。

-細菌もコミュニケーションする-
バイオフィルムのような複雑な社会を作るにはコミュニケーション分子が必要です。細菌のコミュニケーション・システムをクオラム・センシングと呼 びます。細菌には目も耳もないですから、コミュニケーションには水に溶ける分子が使われます。たとえば、細菌はシグナル分子(オートインデュー サ-autoinducer)の量を測ることで、自分達の細胞密度を感知できます。
Autoinducerはビブリオ属細菌における菌数依存的な蛍光物質の生産という現象から見つかりました。緑膿菌をはじめとする多くの病原細菌がクオラ ムセンシングを用いて病原因子の発現をコントロールしていますし、autoinducer分子が生体細胞に対しても多彩な影響を及ぼすことが報告され、菌側と生体側の両面から感染症の発症に関与することがわかってきました。

人間に限らず、脊椎動物は腸内やそのほかの粘膜にたくさんの細菌が棲みついています。お互いの存在が、お互いの利益になっている=相利共生が成 り立っていると、細菌と人間が共同生活をしていることになります。ゲノムの面から俯瞰すると、進化(遺伝子の変化)が急速な細菌ゲノムと、ゆっく りとした人間ゲノムがお互いに助け合って、地球環境の変動に立ち向かい、うまく立ち回っているように見えます。時にはけんかすることもあります。 人間と細菌叢はユニークな生態系(ecology)を形成し、共に進化(co- evolution)しているのでしょう。


―山頭火の一句―
行乞記再び -106
4月16日、薄曇、市街行乞、宿は同前

福岡は九州の都である、あらゆる点に於て、-都市的なものを感じるのは、九州では福岡だけだ。
今日の行乞相はよかつた、水の流れるやうだつた、-まだ雲のゆくやうではないけれど-、しかし福岡は-市部はどこでも-行乞のむつかしいところ、ずゐぶんよく歩いたが、所得はやつと食べて泊つて、ちよつぴり飲めるだけ。
一銭、一銭、そして一銭、それがただアルコールとなるばかりでもなかつた、今日は本を買つた、-達磨大師についての落草談-、読んで誰かにあげやう、緑平老にでも。

春を感じる、さくらはあまり感じない、それが山頭火式だ。
夜は中洲の川丈座へゆく、万歳オンパレードである、何といふバカらしさ、何といふホガらかさ。
-飲んだ、歩いた、歩いた、飲んだ-そして今日が今夜が過ぎてしまつた、ただそれだけ、生死去来はやつぱり生死去来に御座候、あなかしこ。

夜は万歳を聞きに行つた、あんまり気がクサクサするから、そしてかういふ時にはバカらしいものがよいから、-可愛い小娘がおぢさんおぢさんといって好意を示してくれた。
世の中味噌汁! 此言葉はおもしろい。
今夜、はじめて蕨を食べた、筍はまだ。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/寄席の川丈座は、中洲の川丈旅館の隣にあったという

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Photo/屋台が建ち並ぶ現在の中洲夜景


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松風のゆきたいところへゆく

2010-09-23 08:01:21 | 文化・芸術
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―表象の森― 韋駄天商店街

狭いアーケードの中に設えられた直線のトラックを、老いも若きもアスリートたちが、それぞれの記録をかけて駆け抜ける-韋駄天商店街は、今日23日、12時から開始、今年で4回目か。

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今年は「韋駄天尊像」がお目見得する、平城遷都1300年のマスコット「せんとくん」をデザインした藪内佐斗司に制作を依頼し、出来上がったもの、という。

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夕刻からは、その韋駄天さんを囲んで、繁栄韋駄天尊祭りも催されるのだが、そこにデカルコマリィの一味も出没することになった。

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朝から嵐のような雨だが、はて、いかさまどんなことになるやら‥。


―山頭火の一句― 行乞記再び -105
4月15日、夜来の雨が晴れを残していつた、行程2里、福岡へ予定の通り入つた、出来町、高瀬屋

この町-出来町-はヤキとヤキを得意とする店ばかりだ-久留米の六軒屋と共に九州のボクチン代表街だ-。
早く起きて松原を散歩した、かういふ旅にかういふ楽がある。

午前中の行乞相はよくなかつたが、午後のそれはよかつた、行乞もなかなかむつかしいものである。
山吹、連翹、さつき、石楠花、-ことしはじめて見る花が売られてゐた。
博多名物-博多織ぢやない、キツプ売-電車とバス-、禁札-押売、物貰、強請は警察へ-、と白地に赤抜で要領よく出来てゐる-西新町のそれはあくどかつた、字と絵とがクドすぎる-。

西公園を見物した、花ざかりで人でいっぱいだ、花と酒と、そして、-不景気はどこに、あつた、あつた、それはお茶屋さんの姐さんの顔に、彼女は欠伸してゐる。
街を通る、橋を渡る、ビラをまいてゐる、しかし私にはくれない、ビラも貰へない身の上だ、よろしい、よろしい。
酒壺洞君を搾取した、君は今、不幸つづきである、君に消災妙吉拝。‥
さくら餅といふ名はいい、餅そのものはまづくとも。

此宿はよい、何となくよい、-略-、今日もよい日だつた、ほんたうにほどよい日だつた、ほどよく酔ひ、ほどよく眠つた。
よい食慾とよい睡眠、これから人生の幸福が生れる。

※表題句の外、6句を記す

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Photo/出来町公園は旧博多駅のあったところ、「九州鉄道発祥の地」の碑がある

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Photo/公園内にある白い桜の樹


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すこし濁つて春の水ながれてくる

2010-09-22 02:09:32 | 文化・芸術
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―日々余話― 息抜きの小旅行

息抜きといっても、日頃息抜きばかりのような私自身には要らぬもの。
元来気質として対人恐怖症的な一面をもっている連合い殿の、それなのに仕事は対人の応接、サービス事業が主体で、それも些か責任ある立場におかれては、おそらくは同僚たちより倍して自身を鼓舞、強いなければならないだろうから、彼女にとっては時折の息抜き・ガス抜きが欠かせないものとなる。
そこで気は心、ないよりはましの、一泊の小旅行を、急場しのぎのように、この三連休に挟み込んだ。
とにかく企図したのがつい2週間ほど前、思うようには宿泊先もとれないから、友人の力を頼みとした。急遽押さえてもらったホテルは、嘗て彼自身が総支配人として君臨したというもの、顔の利かない訳はない。

日曜-19日-の稽古を終えてから、そのホテル-草津-へと直行、1号線から京滋バイパスをとったからか、思ったよりスムーズに走行、早々と4時過ぎにはホテルに着いた。
ゆったりまったりと寛いだ後、夕食に外へと出た。食事を終えてもまだ7時前という宵の口、此処、JR草津の西口駅前は東口に比べて新興の街並みなのだろう、その街路を少し散策してから、A-SQUAREなる大きなショップセンターに入っていく。なにしろ駐車場3000台を収容するというから、かなりの規模の複合施設。こういう類を目的もなく散策するなど、初老の男にとっては、あまり時間持ちのしないものだが、女と子どもにとってはけっこう楽しめるものらしい。結果、2時間近く過ごしてしまったか。

翌朝-20日-、ゆるりと10時前に出立。琵琶湖畔に沿って車を走らせ、先ずは近江八幡の八幡堀界隈へ。いわゆる近江商人発祥の町並を散策というもの。「近世畸人伝」を著したという伴蒿蹊ゆかりの、明治には小学校や女学校にも使われたという壮大な3階構造の旧・伴家住宅、平屋造りだが、その広い平面を、商いとしての公と居宅としての私をいかにも合理的に分割構成した間取りをもつ旧・西川家住宅など。
文化財保護法の改正によって「伝統的建造物群保存地区」の制度が発足したのは昭和50年だったそうだ。修理修景費用や関連費用に国からの補助金がつき、税制優遇措置もあることから、以来、全国各地から相次いで名告りが挙がり、現在では74市町村で87地区、約16,180件の伝統的建造物が保存すべき建造物として特定されているそうな。

次いでさらに足を伸ばして彦根へと向った。彦根城の大手門前筋、「夢京橋キャッスルロード」と名付けられた300m余りの行楽客向けに整備された街並には、ちょいと吃驚させられた。ゆるキャラ「ひこにゃん」の誕生は4年前だそうだが、それより以前、平成11-‘99-年にはほぼすべての整備を終えたという、この些か恥ずかしいような名を冠した街並み、どう考えても長浜の黒壁スクエアの成功に刺戟されてのことだろう。自動車の通行も多く、スローモーにしか進まぬ車中から眺めただけだが、なんだかあざとい臭いが先に立つような光景だった。

その彦根城を少しばかり通り過ぎて、次の目的地、龍潭寺に着いたのは2時頃だったか。石田三成の居城でもあったという佐和山城趾の麓に座すこの寺は、小堀遠州ゆかりの寺というので訪ねてみた。
方丈の南庭は、枯山水で「ふだらくの庭」と称されるという。あの竜安寺の石庭は、大小の石が15個使われているだけだというが、こちらの庭ではその数48個、その数の差が、発想の違いを表し、また造形の違いともなる。この枯山水の作庭は、寺のパンフによれば、小堀遠州ではなく、開山僧の昊天-コウテンと読むか-であるらしい。

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Photo/龍潭寺の方丈南庭、枯山水のふだらくの庭

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奥の書院東庭は、背後の佐和山を借景した「蓬莱池泉庭」と称されるが、こちらはその昊天と遠州の合作とされる。なんとなくわずかに窮屈そうな感じがするのは、地形的条件からくる制約の所為か。
もう一つの瀟洒な庭、書院の北庭は、小さな裏木戸から茶室へと通じる路地の庭といったものだが、文字通り瀟洒なという形容が相応しく、自然で控えめな感じのするものだった。
方丈の裏側には、小さな4つの座敷があり、その3つには、それぞれ襖絵が描かれていたが、これらの絵の作が森川許六とあり、芭蕉の弟子、蕉門十哲にも数えられる許六その人であり、その許六が狩野派の絵師でもあったことは寡聞にして知らなかった。

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Photo/同じく書院東庭、蓬莱池泉庭

帰路もまた琵琶湖畔を走り、石山で京滋バイパスへ、三連休の終日というのに渋滞に巻き込まれることもなく午後6時半無事帰着。

―山頭火の一句― 行乞記再び -104
4月14日、雨となるらしい曇り、行程3里、生きの松原、その松原のほとりの宿に泊る、綿屋

行乞途上、わからずやが多かつたけれど、今日もやつぱり好日。
女はうるさい、朝から夫婦喧嘩だ、子供もうるさい、朝から泣きわめく、幸いにして私は一人だ。-略-

どうでもといはれて、病人のために読経した、慈眼視衆生、福聚海無量、南無観世音菩薩、彼に幸あれ。
今年はじめての松露を見た-店頭で-、松原らしい気分になった、私もすこし探したが一個も見つからなかった。-略-

此宿はよい、家の人がよい、そして松風の宿だ、といふ訳でずゐぶん飲んだ、そしてぐっすり寝た、久しぶりの熟睡だつた、うれしかつた。
途中、潤-うるふ-といふところがあった、うるほさないところだつた。
私は此頃、しゃべりすぎる、きどりすぎる、考へよ。
同宿6人、みんなおへんろさんだ、その中の一人、先月まで事件師だつたといふ人はおもしろいおへんろさんだつた、ホラをふいてエラがる人だけれど憎めない人間だつた。
木賃宿に於ける鮮人-飴売-と日本人-老遍路-との婚礼、それは焼酎3合、ごまめ一袋で、めでたく高砂となつたが、かなしくもうれしいものだつた。

※表題句の外、新句4、再録6句を記す

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Photo/生の松原は現在の福岡市西区

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Photo/生の松原の東側には、今に残る元寇の防塁跡


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春あおあおとあつい風呂

2010-09-19 08:51:51 | 文化・芸術
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-日々余話- きしもと学舎だより

些か旧聞になるが、ネパールの「きしもと学舎だより」-vol.12-が8月に出されていたのだが、ここに紹介しておこう。

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2面には彼、岸本康弘の古い詩集-1977年発行というからもう33年も前だ-から一篇の詩が掲載されている。

「地球のヘソのあたりで」

闇を一瞬 光をかえて
夜行列車が走りすぎて行く
それを見送るのが ぼくは好き
闇の底に沈んで行くテールランプを見つめてるのが好き
そう
大地を汽車が走りつづける
数々のロマンや悲しみを創るために
地上をひたすら駆けまわっている

今も生れようとしている
そしてとにかく
生きつづけている
人間・ぼくは生きつづけている
地球のヘソのあたりで
エロスの香りをかぎながら。

ヘソは観念ではない
生きることである
創-キズ-をつくり
血を流し
汗を流し
もだえて
三十何年 生きつづけた今
ぼくは 地球のヘソのありかを知った

歌とは腹の底からうったえる(訴える)ことからきているという
そしてヘソは 体内の神経が集中しているところだという

ぼくは
地球のヘソのあたりで
根限り生きまくる
腹から地声をはりあげて
へたなうたを歌いつづける!

―山頭火の一句― 行乞記再び -103
4月13日、晴、行程2里、前原町、東屋

からりと晴れ、みんなそれぞれの道へゆく、私は一路東へ、加布里、前原を5時間あまり行乞、純然たる肉体労働だ、泊銭、米代、煙草銭、キス代は頂戴した。
今朝はおかしかつた、といふのは朝魔羅が立つてゐるのである、山頭火老いてますます壮なり、か!

浜窪海岸、箱島あたりはすぐれた風景である、今日は高貴の方がお成になるといふので、消防夫と巡査で固めてゐる、私は巡査に追はれ消防夫に追はれて、或る農家に身を潜めた、さてもみじめな身の上、きゆうくつな世の中である、でも行乞を全然とめられなかつたのはよかつた。

初めて土筆を見た、若い母と可愛い女の子とが摘んでゐた。
店のゴム人形がクルクルまはる、私は読経しつづける。
犬ころが三つ、コロコロころげてきた、キッスしたいほどだつた。
孕める女をよく見うける、やつぱり春らしい。
日々好日に違ひないが、今日はたしかに好日だつた。

此宿は見かけよりもよかつた、町はづれで、裏座敷からのながめがよかつた、遠山の姿もよい、いちめんの花桑畑、それを点綴する麦畑-此地方は麦よりも菜種を多く作る-、その間を流れてくる川一すぢ、晴れわたつた空、吹くともなく吹く風、馬、人、犬、-すべてがうつくしい春のあらはれだつた。-略-

酒については、昨日、或る友にこんな手紙を書いた。-
「‥酒はつつしんでをりますが、さて、つつしんでも、つつしんでもつつしみきれないのが酒ですね、酒はやつぱり溜息ですよ-青春時代には涙ですが、年をとれば-、しかし、ひそかに漏らす溜息だから、御心配には及びません。‥」

※句作は表題句のみ

佐賀から福岡へと県境を越えた。

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Photo/福岡県志摩町の陸続きにある箱島神社

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Photo/福岡県前原市、加布里の漁港


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