山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

夫婦仲よく鉄うつやとんかん

2010-09-03 23:52:47 | 文化・芸術
Santouka081130048

―日々余話― Soulful Days-40- 三回忌に迎える山場

午後1時前、地下鉄淀屋橋の駅から地上にあがるとうだるような暑さ。堂島の川風も湿気をいっぱいに含んでなんの慰めにもならない。裁判所近くの弁護士事務所までの5.6分の距離も、右に左にと、わずかなビルの日陰を求めながら歩く。

明日はRYOUKOの三回忌の法要を内々に執り行うことになっているが、その前日に弁護士と会うことになったのは、この13日に控えた公判期日の打合せのためだ。7月30日の前回公判で裁判官からの提案で、いわば和解勧告へ向けた布石としてだろうが、被告と原告双方が直に向き合い話し合う機会を得たいと、次の公判期日が設定されたのである。事故から丸2年、事故究明に端を発した刑事・民事双方の訴訟も、刑事は5月に決着をみ、民事もまた解決へと急転していくその山場を向かえようとしているわけだが、その日があろうことか、命日の前日というのはなんという符号か。それが決められた際に私は同席していたのだが、思わずRYOUKOの面影が脳裏を走り、小さく呻ってしまったものだった。

さかのぼって、5月21日付、われわれは被告Tに対し「請求の拡張申立」を行っていた。
被告側がわれわれの損害賠償請求に対し冒頭より無過失を主張したり、医師免許国家試験受験の欠格事由にあたる罰金刑となるのは必定であったにもかかわらず、どさくさに紛れるかのように2月に本年度試験を受験したりといった行為が、まったく事故責任を省みないものであり、また一片の反省の色なく、被害者心情を著しく傷つけるものとしての申立てであり、損害賠償請求に加えての慰謝料請求といったものである。
この申し立ての際に付した「T.K宛慰謝料請求のために」と題した陳述書は、その殆どの部分が先の「述べられなかった意見陳述草稿」に重なる。

この申立てに対し、6月25日付、被告代理人から答弁書が出されてきたのだが、その内容がまたこちらの心情をいたく逆撫でするものだった。よって私は反論の反論のため、またまた長い文書を書く仕儀となってしまった。先の文書が、自身のための、いわば総括的なものであっただけに、どうにも腰が重かったのだが、そうもいっておられず、無理強いにのようになんとかモノしたのが以下の文書で、7月30日付、裁判所に提出したものである。

 陳 述 書
平成21年(ワ)第****号 交通事故による損害賠償請求事件
大阪地方裁判所 第15民事部**係 殿

平成22年6月25日付、
被告代理人が提出した「請求の拡張申立に対する答弁」における、
主に「第3-被告Tの主張」に関して

1について-
事故当夜における対面は、事故当事者である両者-MとT-からともに当事者である旨の挨拶を受けたものであり、この一言二言の自己紹介的な挨拶を謝罪と数えあげるのは、事故直後の救急車で運ばれる時より被害者RYOUKOが意識不明の重篤にあったことを認識していなかったわけでもなかろうに、事態の深刻さをあまりにも軽んじた言い分である。
また、この折、Tに付き添ってきた婦人が母親であることは、名告りも受けていないし、まったく接触もしていないのだから、私としては母親と知る由もない。
よって、この両者から謝罪の言葉を頂戴したという主張は、まったくもって人を喰った話というしかない。

以下、2から5について-
まず反証資料として、
1.平成20年9月23日付、私からT.K宛送付した書面の写し、
2.同9月30日付発信の、T親子から送付された返書の写し
3.同10月2日付、私からT.K及び父Aに送付した書面の写し
4.同10月10日付発信の、T親子から送付された返書の写し
の4つの書面を付したい。
とくに、10月2日付の私からの書面にあるように、被害者RYOUKOが生死の境にあって集中治療室にある以上、なによりもその家族と接触を図り、それが被告らにとってどんなに耐え難いことであろうとも、直々に謝意を伝え、相手の心の傷みや苦しみを正面から受け止めようとするのが喫緊のことであり、人倫としての務めであること。
その喫緊の人倫の務めを怠りながら、被害者家族にまったく見えないところで、回復祈願をし、さらには冥福を祈り供養をしたとて、それは何のための誰がための祈願であり供養だろうか、なによりも自分たち自身のため、自分たち自身の心の呵責を癒すためのものでしかなく、いわば自慰行為にも等しいものだということであり、被告及びその両親は、私からの書面に発したこれら4つの書面のやりとりまでは、RYOUKOの死という犠牲を招いてしまった事故の、この悲劇的な事態にまったく正面から向き合おうとせず、逃避行を決め込んでしまっていたのである。自分たちは自分たちなりに回復祈願を、あるいは供養をというのは、被害者及び被害者家族の沈痛な嘆きや心情を無視した、あまりに偽善、あまりに身勝手な善人面の仮面というしかない。

6について-
まず注意を喚起しておきたいことは、10月9日の午前、被告Tとその両親は、前触れもなく原告林田育代宅を訪ね、不在であったためメモを残しているというのは確かであるが、被告らのこの行為が、私の再度の書面に対し返信-10月10日付発信-する前日のことだということに留意してもらいたい。
被告側からの返信はすべて被告Tの父Aが書いたものであることは一目瞭然であるが、父Aは、私からの二度目の書面を読んで返答に窮したと容易に察せられる。そこでいわば局面打開の実力行使に出た、私とは別居してきた被害者RYOUKOの位牌のある場所即ち原告育代宅を突然訪ね、直々にお参りをという行為にでたのである。ところが折悪しく不在であったため名刺のメモを残したということだ。
そして、その日のうちに、私宛の返信を書き、翌日投函しているわけだが、その朝の原告育代宅訪問については、近日中に参りたいと思いますと記すのみで、不在だったものの既に訪問してみたことはなぜだか伏せている。
同じ9日の午後、原告育代から私に電話があった。「私が留守中でよかった、もし居たとしたら、今の自分にはとても冷静に応接など出来るはずもない、自分自身なにを口走るか、考えるさえ怖い。だから来ないようにして欲しい。」とそんな内容だった。
そこで私は夕刻になってから、被告Tの携帯に連絡をした。電話といえばこの携帯しか知らなかったからだ。単刀直入、「父親に電話をするように」と。
折り返し、父Aからの電話に、「勝手に実家-原告育代宅-を訪ねるようなことは、今後けっしてしてくれるな。本人は、突然またいつ来られるかと思えば、それだけで胸苦しくさえなると訴えている。何をするにも私を通してもらいたい。いずれ受け容れられるようなときがきたら、私から連絡もしよう。」といった旨を伝えたにすぎない。

7.8について-
このたびの請求の拡張申立における書面において、私自身記したように、交通事故とは偶然に満ちたものであり、運転者双方の些細なミスによって生じるものであり、誰も故意に起こすものではない。ならばその僅かな不注意で、人一人を死に至らしめるというとんでもない事態を招いたとすれば、その原因となった事故当事者たるもの、犠牲者及びその家族とはまた別次の責めや傷みを負わざるをえないと容易に察せられる。だから相手を恨んだり責めたりはすまい、しないと自分を律してきたつもりである。
そのことは現在に至るも同じで、今も被告Tを恨んだりはしていない。なんで事故なんか起こしたんだなどと責めるつもりもない。そういった責める思いと、誰にも起こりうることであってみれば、責めるのは可哀相だ不憫だと、ジレンマに陥らざるをえないのはむしろ被告Tの両親のほうだろう。
そんなことは分かりすぎるからこそ、私は、被告T自身の謝罪に対してというよりは、父Aの子を思う真摯な謝罪に対して、一定の受容をしてきたのである。
現に被告T代理人によって提出された答弁書全容からも容易に覗えることは、被告T自身による一連の謝罪行為というよりは、どこまでも父Aが主体となった謝罪であり、私とのさまざまの応接である。
もう30歳にもなろうかという立派な成年男子でありながら、被告Tが自ら主体的に、私に向かって、はっきりと物を言い、また何かを為したということはなく、親に伴われて、借りてきた猫のごとく、そこにただ居合わせてきただけである。
それでも私は、母親である原告育代や、被害者のたった一人の弟の、被告Tへの心情的な受け容れがたさを知りつつ、私自身が彼らになりかわり、批判は批判としつつ無念は無念としつつも、受け容れていかざるをえないと考え、応接してきたのである。
それが11月8日の父Aと被告T両者との一時間余の対面であり、12月25日における私のみの立会いでの故人へのお参りの許容であった。

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