-四方のたより- 恒例「琵琶の会」
今月の2日以来、なんと23日ぶりの言挙げ。
これまで1週間を空けたことは記憶にあるが…、04年の9月半ばからだったか、Blogを始めてより6年を数えようというに、こんなのは初めて。
身辺に格別の出来があった訳ではない、ただ、何故だか、ズルズルと今日に至ってしまった。とはいえ、このかた、ちょっとした倦怠というか、心中微妙な変調がなかったわけでもなく、ちょっぴり気鬱な日々だったような…、私自身にはめずらしいことなのだろうが、そんな感じ。齢の所為、かな…?
復帰のあいさつがてらに、写真のごとく、春のたよりとともに、奥村旭翠一門の恒例「琵琶の会」のお知らせ。
連合い殿の演目は「厳島の戦」とか、戦国の毛利元就と陶晴賢との合戦記。
周防国を中心に中国地方に勢力を張った有力守護大名大内義隆を討ち、大内氏の実権を握った陶晴賢に対し、安芸国から台頭著しく勢力を伸ばしてきた毛利元就が、歴然とした兵力差にも係わらず、狭い厳島の地の利を活かし勝利したという故事がタネ。
プログラムに眼を通せば、この演目と同様、源平の時代から戦国・江戸・明治まで、時代は移れど、ずらりと戦記物ばかりが居並ぶ。18演目のうち、そうでないのは「文覚発心」と「辨の内侍」くらいだが、どうして琵琶曲はこれほどに戦記物に傾くかといえば、古来からの平曲中心の盲僧琵琶が、明治維新以降の近代化の波に晒されつつ、折りしも日清・日露のナショナリズム勃興期において再生、その様式を確立してきたからだろう。
伝統芸としての琵琶、その命脈を将来に保ちゆくには、このあまりにも類型的な近代化様式の衣を脱ぎ捨てねばなるまいが、比較的に若い世代もよく集っている奥村一門なれば、そんな期待をかけたくもなるのだけれど…。
山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-32-
1月28日、晴、霜、ありがたい手紙が来た、来た、来た。
やつと謄写刷が出来た、元寛居を訪ねて喜んで貰ふ、納本、発送、うれしい忙しさ。
入浴して煙草を買ふ、一杯ひつかける。‥
生きるとは味ふことだ、物そのものを味ふとき生き甲斐を感じる、味ふことの出来ないのが不幸の人だ。
鰯三百匁10銭、14尾あつたから1尾が7厘、何と安い、そして何と肥えた鰯だらう。
※記載句なし、表題句は、前日の句
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