山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

入相は檜原の奥に響きそめて‥

2006-11-09 22:41:47 | 文化・芸術
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-表象の森- 音をはこぶ
    ――高橋悠治「音楽のおしえ」晶文社刊より――


竹の管に息をふきつける。
内側の空気の柱がはげしくゆれる。
これが音だ。
ゆれが安定し、音は消える。
瞬間の音は偶然だ。


音が消えぬうちに、できかかるバランスを
つきくずす。
それはなれた手ではなく、
注意ぶかい耳、
そばだてた耳のしごと。
これをくりかえし、
音をまもる。


意志をもってしなやかに音をはこび、
意志をもって音をたちきれ。
自然は安定にむかい、
耳はそれにさからう。


きくというのは受動的な状態ではない。外に耳を向けて、すべての音をききとろうとすると、自分の位置に極端に敏感になる。外へひろがるほど、内へ集中する。それは積極的な反省行為だ。
音のイメージは、きく行為をさまたげる。きくのをやめると、音はそれぞれの位置におさまって、まとまったかたちをつくる。イメージの認識でくぎられ、つくったイメージをこわすきく行為でさきへすすむ、往復運動。
一定の安定がくずれて、両極のあいだを往復するのが振動だとすれば、ちがう周期の干渉による瞬間的な局部変化は、音をつづける力だ。
くだけた波から、あたらしい波がたちあがる。


おなじもののいくつもの演奏が同時に、すこしずらされてきこえると、おもいがけない細部がうかびあがり、全体は空間的なひろがりをもつ。これらのずれのあいだにきこえるあたらしい音の関係をとりだし、なぞりながら協調することによって、展望がすこしかわる。
もとの音のながれと同時に「注釈」をつけたすことができる ( running commentary )。注釈を注釈することもできる。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-91>
 さ夜ふけて蘆のすゑ越す浦風にあはれ打ちそふ波の音かな  肥後

新古今集、羇旅、天王寺に参りけるに、難波の浦にとまりて。
邦雄曰く、肥後集の「舟にて目を覚まして聞けば、湊の波にきほひて蘆の風に靡く音を聞きて」なる詞書を併せて参照するとひとしおの味わいがある。題詠でも、即席の空想詠でも、大きにこの程度の歌を創作するのが王朝人の最低限度の才だが、風俗として面白みの加わることは確かである。京極関白家肥後、勅撰入集50首近く、金葉集初出の才媛であった、と。


 入相は檜原の奥に響きそめて霧にこもれる山ぞ暮れゆく  足利尊氏

風雅集、秋下、秋山といふことを。
邦雄曰く、足利幕府初代将軍尊氏は、南北朝の、千軍万馬の武将であると同時に、文学を好み、美術を愛した。新千載集の成立にも与って力があって22首入選、風雅集には17首、その他計88首も勅撰集に採られている。殷々と底ごもる晩鐘の表現は、音色を交えた水墨画の印象あり、同時代歌人の中において少しも遜色はない。14世紀半ばの没、と。


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何となくものぞかなしき菅原や‥‥

2006-11-08 11:23:48 | 文化・芸術
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-表象の森- フロイト=ラカン: 「ラメラ」⇔「リビード、「ファルス」⇔「ファルス」、「転移」⇔「転移」
   ――Memo:新宮一成・立木康介編「フロイト=ラカン」講談社より


「ラメラ」⇔「リビード」
・「円なる一体」と「無機物」、生の欲動は前者を、死の欲動は後者をめざす。
性的なエネルギーがめざすのは、全体性、完全性、「円なるもの」である。「全体」は「一」といってもよい。「一の線」、「大文字の一者」。


「ファルス」⇔「ファルス」
・「ファルス期(男根期)」とは、男の子も女の子も、男性性器にだけ興味を示す時期。ほぼ幼稚園期頃の年齢に相当し、エディプス期とも一致する。
「有ったり無かったりする」という属性によって、超越的な欲望の存在を指し示す。つまり「ファルスは大文字の他者の欲望のシニフィアン」なのである。
子どもによって「他者の欲望」は作られる。なぜなら「そこにその欲望のシニフィアンがあるから」である。シニフィアンが先にある。そしてそこから「他者」の存在とその欲望の働きが主張されるのだ。
ファルスは、超越者の欲望が、人間界に導入されていることを、人間に示すシニフィアンなのである。子ども時代に、人間は超越的な他者の意志を仮定するこのような思考習慣に囚われ、公式の倫理とし、また生活習慣病として生きてゆくことになる。その病から癒えて、どのような別の習性、あるいは人間的な生き方を作り出せるかが、精神分析の語らいの目指すところとなる。


「転移」⇔「転移」
・転移には必ず両面がある。無意識の欲望を運んでくるという<促進>の側面と、現下の感情関係という蓋によってその開示を拒むという<抵抗>の側面である。
欠けた対象、失われた対象の発見、そうした対象を己が欲望しているというまさにそのことを発見することに他ならない、その瞬間にこそ「転移」が発生する。
おのれの欲望は、見つけたと思ったら大文字の他者の欲望にすりかわっていたという形で、発見されるということ。
私たちの欲望は、他者の欲望が私たちに「転移」することによって、可能になったのである。私たちがあれこれの対象を欲したり望んだりするにあたっては、欲望する私たち自身の存在が、何者かによって欲望されていなければならない。欲望するために欲望してもらう。すなわち欲望は社会的に「転移」される。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-90>
 わが恋は古野の道の小笹原いく秋風に露こぼれ来ぬ  藤原有家

六百番歌合、恋、旧恋。
邦雄曰く、右は慈円の「恋ひ初めし心はいつぞ石の上都の奥の夕暮の空」で、直線的な勁(ツヨ)い調べと左、有家の小刻みな悲しみに満ちた調べは、誠に好ましい対照で、俊成は「よき持」とした。右方人は結句の「来ぬ」を嫌ってけちをつけるが判者はこれを斥けて「殊に宜しくこそ聞え侍れ」と推称する。新古今入選「呉竹の伏見の里」と共に代表作。


 何となくものぞかなしき菅原や伏見の里の秋の夕暮  源俊頼

千載集、秋上、題知らず。
邦雄曰く、古今・雑下の詠み人知らず歌「いざここにわが世は経なむ菅原や伏見の里の荒れまくも惜し」等の下句本歌取りはさておき、上の第一・二句「何となくものぞかなしき」の、曲のない虚辞に似た十二音が、意外な、溢れるばかりの情感を漂わす理外の理を、篤と味わうべき作であり、俊頼の代表作中に数える所以である。千載入選歌53首、と。


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秋とだに吹きあへぬ風に色かはる‥‥

2006-11-07 16:34:55 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 月を道づれに

昨晩は風も強く荒れ模様の空ながら、それでも中天から西に傾きかけた月-十六夜の月か-がくっきりとその姿を見せてくれていた。
秋分の日あたりから夜の明けるのはどんどん遅くなり、午前3時過ぎから6時近くのほぼ3時間の配達行はいまや完全に昏い内のものとなってしまって、馴れきったコースをひたすらバイクを走らせるか、あるいは高層マンションの廊下や階段をただ黙然と徘徊?するだけの単調きわまりない独り行脚には、月さえ姿を見せぬ夜などなんとも寂しいかぎりだが、待宵、十五夜、十六夜とつづいたこの三晩は、西へ西へと足早に傾きつつも煌々と照り映えた月が道づれともなって、もの侘しさを忘れさせてくれたものである。
殊に一昨晩の待宵月など、西の空に没しようとする5時過ぎには、仄かに淡く朱く染まり、夕陽の荘厳さとはどこまでも対照的な、朧々としてまことに妖しい姿を垣間見せていたが、どうにも形容しがたい妖しの月に奇妙なほど心はざわめきたったもので、一瞬吾を失ったか、思わず配達先をやり過ごしてしまい、不配による罰金などという前代の遺物じゃあるまいし、不当このうえない刑を喰らうところだったのだけれど、たとえ不覚を取って罰金の憂き目を見るとして、そぞろ月を道づれの配達行のほうがよほど心慰められうれしい勤行となるのだ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-89>
 秋とだに吹きあへぬ風に色かはる生田の森の露の下草  藤原定家

続後撰集、秋上、名所の歌奉りける時。
邦雄曰く、承元元(1207)年、作者45歳の最勝四天王院障子歌の中の「生田の森」。彼の自信作を後鳥羽院は認めず新古今集には洩れ、後々に痼りを残すような中傷を敢えてする。だがまことに、見方によれば、院がこの歌を「森の下に少し枯れたる草のある他は気色も理りもなけれども、言ひ流したる詞続きのいみじきにてこそあれ」と御口伝に言うのもまた一理ある、と。


 逢はで来し夜はだに袖はつゆけきを別るる今朝の道の笹原  頓阿

草庵集、恋下、贈左大臣家にて、寄原恋。
邦雄曰く、下句の初めには「まして露けき」を省いている。逢えなかった夜の帰るさは勿論、後朝の別れの辛さに濡れる袖に、さらに降りそそぐ笹原の朝露。同趣同工同曲の類が八代集以後何回となく繰り返し歌われてきた。頓阿の作はそれをさらに技巧的にした一つの典型。二条家4世の為定を助けて新拾遺集の成立に力のあった歌僧として、殊に名を留める、と。


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時しもあれ悲しかりける思ひかな‥‥

2006-11-06 17:55:48 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 子育ての母育て

幼な児といえども満5歳ともなれば、すでに第一反抗期を通過して、もはやそれなりの人格を有した人そのものだとつくづく再認させられる。ごっこ遊びなどをとおして役割認識も育っているし、場面の使い分けもできるようになる。男の子も女の子も性差を受けとめ各々の自意識を育てている。ふざけたり遊びに熱中したりしていると子どもそのものだが、ひょっと真顔になるとその表情からは、その子なりの内面に育つインテリジェンスのほどが覗きみえるような気がする。

昨日は幼な児の通う保育園の運動会。
もともと形質的な要因であろうと思われる未知の場面に対する不適応とこわばり、そしてそれが人見知りの強さともなる彼女も、その垣根を越え出ていくことをかなりできるようになった。朝の8時過ぎから夕刻の6時過ぎという長丁場の保育園通いに、近頃はともに遊びあえるお友だちもずいぶんと増えて、毎日が愉しくてしかたがないとみえ、「今日はお休みしてどこかへお出かけしようか」などと誘いかけても、「保育園がいい」と振り向いてもくれない。
そんな調子だから今年の運動会は、昨年までに比べればぐんと開放的になって、およそ積極的な参加姿勢が見られたのには、母親もちょっぴり満足げの様子で幼な児の動きを追っていた。とはいえ彼女自身得手不得手がはっきりしているからか、なかなか不得手なものには挑んでいこうとしないあたり、越えるべき壁はまだまだ多い。
そんなこんなが、勤務ゆえの限られたなかでの日々のスキンシップながら、わが子なれば母親にも手に取るようにわかるのだろう。母親もまた子どもの成長とともにその応接ぶりはずいぶんと変わってくるもので、細やかさとおおらかさのほどよいバランスが自然身についてきたものとみえ、叱る-叱らない、誉める-誉めない、干渉と不干渉、さまざまな場面でその使い分けも緻密さを帯びてくるし、気持ちの切り替えも柔軟に素早くなる。


嘗て、幼な児の誕生時、無事に出産を終えた直後の、母となった瞬間のだれもが垣間見せるあの安堵と開放感に満ちた無辜の表情は、大仰にいえば無私なる慈愛に通じているものだろうが、母としての子に接する振舞は、たえずその母なる初心-出産時の原記憶に戻りつ、内省され検証されて鍛えられ、変化してくるものなのだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-88>
 うちなびく田の面の穂波ほのぼのと露吹き立てて渡る秋風  二条為定

新千載集、秋下、百首の歌奉りし時、秋田。
邦雄曰く、秋の田といえば、たとえば百人一首の中の数首のように、平明平凡な歌に終始しがちであったが、14世紀の技巧派は、目立たぬ工夫を凝らして、殊に第四句準秀句表現「露吹き立てて」は、こまやかな眼と心の動きを示す。人の意表を衝く文体にもまして苦心を要するところか。定家6代の末裔、二条家の嫡流、歌会の領袖として敏腕を奮った、と。


 時しもあれ悲しかりける思ひかな秋の夕べに人は忘れじ  藤原家隆

六百番歌合、恋、夕恋。
邦雄曰く、一瞬失敗作かと錯覚するような不器用な三句切れ、無愛想な否定形の呟きめいた結句。にもかかわらず、惻々と胸に迫る悲しみが漲っている。左は良経の「君もまた夕べやわきてながむらむ忘れず払ふ萩の風かな」。右方人は「忘れず払ふ」を難じ、左方人は「夕べ」にととくに限る要なしと断ずる。俊成は左の結句を疑問視しながら結局は勝とした、と。


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風にきき雲にながむる夕暮の‥‥

2006-11-04 22:23:10 | 文化・芸術
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※ 写真は「若冲と江戸絵画」展-公式ブログフォトライフ-より転載。

-世間虚仮- 看板に偽りあり? 「若冲と江戸絵画展」

祝日、おまけに3連休の初日とあって、昨日の京都は古都の秋を訪れる人びとで溢れかえっていた。
とりわけ岡崎公園界隈は、向かい合って建つ京都市立美術館の「ルーブル美術館展」と国立近代美術館の「若冲と江戸絵画展」に、どちらも5日までの会期とあってか、詰めかけた人の列が絶えることもないほど。
その若冲展のほうに家族3人で出かけ、ひたすら人波に揉まれ疲れ果て、いまさらに注目の美術展通いは休日を避けるべし、と性懲りもなく前評判に踊らされたわが身を悔やんでみたりしている始末だ。
しかし、それにしても東京国立博物館に始まり今回の京都、さらには九州国立博物館、愛知県立美術館と巡回するという、鳴り物入りの「若冲と江戸絵画展」には少なからず失望させられた。


展示総数109点の内、若冲の作品は最も多いとはいうものの17点で全体から見れば二割にも満たず、他に幕末から明治初期の鈴木基一なる画家の作品が10点、長沢蘆雪が6点、曽我蕭白が伝も含めて3点、あと円山応挙にはじまり江戸中期から後期、明治にいたる画家たちの作品がそれこそ玉石混淆といった感でアトランダムに並ぶ展示は、「若冲と江戸絵画展」と銘打つには、その作品の雑多な顔ぶれも含めて、些かお寒い内容ではなかったか。

近年の蕭白や蘆雪、若冲のブームに便乗した感はどうしても否めない。プライス・コレクションと副題されているようにアメリカのジヨー・プライス氏のコレクションならば、展示総体の内容についてそれはそれで致し方ないとしても、-若冲-と-江戸絵画展―のように、若冲を前面に押し出して「と」で括ったタイトルはとても相応しいとはいえないだろう。どうみても上げ底の誇大コピーと言わざるをえず、そんな誇大宣伝の展覧会が卑しくも国立の博物館や美術館で巡回されるというのは首を捻りたくなるのだが、これもそんなご時勢なのさ、むしろそういった国民的レベルにおける文化現象をリードし代表するような先端的な部分でこそ、これみよがしの大仰な身振りの仕掛けが罷り通っているのだといわれるなら、今後は自省して迂闊に踊らされぬようより注意深くなるしかあるまい。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-87>
 浅茅生の末葉おしなみ置く露の光に明くる小野の篠原  頓阿


草庵集、秋上、和歌所月次三首、暁露。
邦雄曰く、暁闇の、眼も遥かな篠原の千の小笹の群立ちが、徐々に、日の出と共に明るむ。霜と凝る前の露の白玉にまず光は宿る。「露の光に明くる」にこめた作者の心映えが、まことにゆかしい。「下葉にぞ露はおくらむ秋風のたえず末越す庭の萩原」は「庭萩風」。井蛙抄を著わした、二条為世門四天王の一人であり、地味ながらゆるぎのない文体を誇る、と。


 風にきき雲にながむる夕暮の秋のうれへぞ堪えずなりゆく  永福門院

玉葉集、秋上、秋夕を。
邦雄曰く、漢詩の対句風に第一・第二句を照応させて、新古今時代に流行した「夕暮の秋」を、上・下句、「堪えず」で切らず「堪えずなりゆく」と暈し、弱音化するのも当時の流行もしくは習わしであろう。女歌として一種のしをりを加えるには有効と思われるが、濫用は勿論、歌をくだくだしくする、と。


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