里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

三回忌法要ー3

2008年05月26日 | 日々のつぶやき
お経は、昨年の一周忌の時よりは長く唱えて下さっていました。そしてその後にお坊さんが母の在りし日の思い出話をして下さり、奥様が参加している私たち皆にお茶を入れて下さった。

それからお墓へお参りして、一旦皆実家により、着替えをする者は着替え、赤ちゃんにミルクを飲ませる者、それぞれに思い思いの事をして、12時半に食事の予約がしてある舞鶴グランドホテルへ向かいました。

このホテルは、昨夜宿泊したプラザホテル舞鶴と目と鼻の先にあり、どちらのホテルからもそれぞれのホテルが見えます。

皆食べる事と飲む事、そしてそれぞれ好き勝手な事や自慢話のような事ばかりしゃべっていて、昨年同様誰一人母のことを口にする者はいませんでした。

2時半にお開きにして、西舞鶴の駅から電車で帰る者、車で来た者はすぐ自宅へ帰る者もいましたが、未だ時間も早いし、お天気も良いのでと思い思いのところへ散って行きました。

私たちは丹後由良へ車を走らせました。


丹後由良海岸です。


KBS京都(京都テレビ)に良く出てくる由良川鉄橋の景色です。もっとこの鉄橋の近くではっきりとこの由良川鉄橋を写したかったのですが、場所が取れなくて残念でした。


安寿と厨子王伝説のロマン街道の案内板です。


森鴎外の「山椒太夫」で有名な安寿姫と厨子王丸の悲しい物語。
筑紫の国に流された父を尋ねて、母と共に越後を旅立った姉弟「安寿と厨子王」。旅の途中、人買いにとられ母は佐渡へ、姉弟は丹後由良の山椒太夫の所へと売られた。
姉は命と引き換えに弟を逃がし、都に出た厨子王は丹後の国守となり悪人を成敗し盲目となった母と再会したという。
山椒太夫伝説の里「丹後由良」にはこの伝説に因んだ遺跡が点在しています。

舞鶴に引き返し、西舞鶴の象徴である田辺城へ。




田辺城の正門です。5月の下旬にまいづる田辺城祭りがありますので、そのためののぼり(旗)がずらっと立ち並んでいました。
城下町の歴史と文化にスポットを当てた祭りで、武者行列、芸屋台、伝統芸能などが繰り広げられます。
田辺城は細川、京極、牧野氏の居城となっていました。しかしこのお城も明治の時代に廃城とされ、本丸付近は現在舞鶴公園となっています。「舞鶴」の地名は、田辺城の別称「舞鶴城」に由来しています。