去る6月12日は筝曲八橋流の創始者八橋検校が京都で72歳の生涯を終えた日にあたります。
検校は1614年、福島県いわき市に生まれ、1636年に京都に移り住み、作曲の日々を送りました。
検校は筝曲「六段の調べ」「八段の調べ」「みだれ」等の現在にも伝えられている名曲を作曲しました。
1685年6月12日に72歳の生涯を終え、京都の黒谷の墓地に葬られました。
祇園の茶店の主人が、八橋検校の遺徳を偲んで、琴の形に仕立てた堅焼き煎餅を「八ツ橋」と名付け、売り出したところ、それが大流行したと伝えられています。
京名物の八ツ橋は、筝曲八橋流の創始者八橋検校に由来しています。
1805年、初代津田佐兵衛さんもまた検校を偲び、八ツ橋を世に広めるべく井筒八ツ橋本舗を創業されました。
井筒八ツ橋本舗では、昭和24年以来、毎年検校の命日である6月12日を感謝の日として「八ツ橋祭り」を挙行されております。
金戒光明寺〈こんかいこうみょうじ〉の山門で、雨天の場合は本堂で検校の曲がお琴で演奏されます。
井筒八ツ橋本舗は、2005年に創業200年を迎えられたのを記念し、お客様へのご愛顧の感謝として、井筒八ツ橋の由来を知って頂くために、検校の代表曲「六段の調べ」「八段の調べ」「みだれ」を琴の演奏でCDを制作されました。
このCDの曲を演奏されている先生からCDと、そして6月12日の金戒光明寺での演奏の案内を頂きました。
しかし残念な事に、この日はあいにく2つの教室にサポートに入る事になっていましたので、行くことが出来ませんでした。
折角CDや演奏会の案内を頂きましたので、せめて少しでもお琴をたしなむ者として、先祖の供養と言うような気持ちで、この記事を書かせて頂きました。
CDジャケットの表
CDジャケットの裏
検校は1614年、福島県いわき市に生まれ、1636年に京都に移り住み、作曲の日々を送りました。
検校は筝曲「六段の調べ」「八段の調べ」「みだれ」等の現在にも伝えられている名曲を作曲しました。
1685年6月12日に72歳の生涯を終え、京都の黒谷の墓地に葬られました。
祇園の茶店の主人が、八橋検校の遺徳を偲んで、琴の形に仕立てた堅焼き煎餅を「八ツ橋」と名付け、売り出したところ、それが大流行したと伝えられています。
京名物の八ツ橋は、筝曲八橋流の創始者八橋検校に由来しています。
1805年、初代津田佐兵衛さんもまた検校を偲び、八ツ橋を世に広めるべく井筒八ツ橋本舗を創業されました。
井筒八ツ橋本舗では、昭和24年以来、毎年検校の命日である6月12日を感謝の日として「八ツ橋祭り」を挙行されております。
金戒光明寺〈こんかいこうみょうじ〉の山門で、雨天の場合は本堂で検校の曲がお琴で演奏されます。
井筒八ツ橋本舗は、2005年に創業200年を迎えられたのを記念し、お客様へのご愛顧の感謝として、井筒八ツ橋の由来を知って頂くために、検校の代表曲「六段の調べ」「八段の調べ」「みだれ」を琴の演奏でCDを制作されました。
このCDの曲を演奏されている先生からCDと、そして6月12日の金戒光明寺での演奏の案内を頂きました。
しかし残念な事に、この日はあいにく2つの教室にサポートに入る事になっていましたので、行くことが出来ませんでした。
折角CDや演奏会の案内を頂きましたので、せめて少しでもお琴をたしなむ者として、先祖の供養と言うような気持ちで、この記事を書かせて頂きました。
CDジャケットの表
CDジャケットの裏