里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

思わず見入ってしまったテレビ

2013年09月01日 | 日々のつぶやき
お昼前に主人が部屋のテレビをつけたまま、リビングへ移動してソファでうとうとしながらリビングのテレビを見ていましたので、私は部屋のテレビを消しに行きました。

ところが、消そうと思ったテレビの画面を見て、思わず見入ってしまって消す事が出来ませんでした。

3.11の東日本大震災の時、津波から必死で命を守ろうと戦っていた人たちの映像でした。

番組の途中から見たのですが、車で走行中に津波が後ろから押し寄せ、車の後ろが浮き上がったのを感じ、必死でハンドル操作しながら、中古車センターにたどり着き、そこへたどり着いた人達を、必死で中古車センターに止めてあった車の屋根に乗せてあげて救助を待っておられた。

その中古車センターの車の屋根に、18人が1台の車には2~3人が乗って点在しておられた。

やがて日が暮れてあたりが次第に暗くなり、街は停電のためそのうちに真っ暗になりました。

普段は、近くに大きなマンションなどがあり、夜になっても多少の灯りはある場所だったそうですが、この時は、あたりは真っ暗の状態でした。

そんな時、近くのマンションの最上階ではありませんでしたが、上の方の階の端、多分階段になっている踊り場のあたりと見えましたが、そこから懐中電灯を照らし、その灯りをグルグル回しながら、「ガンバレヨー、がんばれよー、頑張れよー」と声をかけていた人に感動しました。

私が中古車センターの車の屋根に避難していたのではありませんが、この懐中電灯の灯りと「がんばれよー」の声に励まされ、勇気づけられて思わず涙が出ました。

夜になって気温はマイナス3度になったそうです。

真っ暗の状態で、寒さや不安と闘いながら救助を待っておられたみなさんの気持ちは想像に絶えません。

やっと小さなボートがこの現場に来て、その時○○子ちゃんと言う子供さんか若い女の人が、同じ車の屋根に乗っておられたのだと思いますが、「このおばあさんを先に助けてあげて」と頼まれ、その病気のあったおばあさんは、最初に小さなボートに乗せて貰われた。

ほんとに小さなボートでしたので、この救命員の人はおばあさんだけを乗せて中古車センターを出ようとされたようでしたが、出口の近くに止まっていた車の屋根に、子供が2人乗っているのを見て、子供なら2人乗せて行けると判断され、おばあさんと一緒に乗せて運ばれた。

偶然にもこのおばあさんのお孫さんたちでした。

この病気のあったおばあさんと、2人の子供さんは、この子たちのお母さんが車に乗せて此処まで来て、もう無理だと、わざと縁石に車を乗り上げて止め、非難されていました。

このおばあさんは、最初に運び出されましたが、搬送先で亡くなられたそうです。

次に8人乗れるボートが到着し、乗れるだけの人を乗せて、病院へ搬送されました。

夜が明けて朝になったら、津波の水は引いていたそうですが、結局この中古車センターの車の屋根で避難していた人のうち病気のあったお年寄りを含め、4人のお年寄りが、低体温症で亡くなられました。

やっとの思いでここまでたどり着かれたのに、命の火が消えてしまった人は、本当にお気の毒です。

この人たちには悲しみの涙が出ます。

また、ここへたどり着いた人を、水で浮き上がる体を必死で車のどこかにつかまりながら、精一杯の力と知恵を貸して他の人を車の屋根に乗せてあげられた人。

マンションから懐中電灯をともしながら、「ガンバレヨー」と励まし続けた人。

そして、病気のあるおばあさん(お姑さん)と子供2人を車に乗せてここまで来られたお母さんの言葉「わが子供たちが先に救助され、後回しになったお年寄りに申しわけないことをしてしまって」と泣いて詫びられていた姿に思わずもらい泣きしました。

悲しみの涙、そして感動の涙で、私自身も今日は、折に触れ見た映像や、聞いた言葉などが頭と心の中を何度も駆け巡り、涙・涙に一日が終わりました。