長い長い間、病気と闘い続けた主人が、とうとうこの世に別れを告げました。
6月14日(日)午前11時49分、静かに眠るように逝きました。
11日からやっと一般病棟からホスピス病棟に入る事が出来、手厚いケアに一安心していました。でもこのホスピス病棟に入る少し前から、意識も朦朧としていて、話しかけても頷くか、首を振るくらいしか出来ず、食事も殆ど口に入る事はありませんでした。
腹水や胸水がいっぱい溜り、お腹もポンポンに大きくなっていて、まるで妊産婦のようでした。
お腹などに直接針を刺して水を抜くのは、ショック死もありうるのでと言う事で、利尿剤を飲んで、おしっこで水を出すようにされていました。
この利尿剤も肝炎脳症になると言う事で、かなり脳症の方も進んでいました。
未だしゃべる事が出来たときは、いろいろしゃべってくれましたが、やはり、もう脳症の方もかなり進んでいて、何処からこんな発想が出るのかなと思うくらい、とんでもない面白い事や、実現したいとか、或いはこうであって欲しいと思う事かも知れないなと言う感じの話をよくしてくれました。
「○○先生と、二人でこの病院の第二病院を建てているんや。もう工事が始まっていて、建ちかけているんや」

「何処にそんな病院を建てているの?」
「この病院の地下や」とか、「この地下からパスポートなしで外国へ行く事が出来るんや」・・・など等
本人の理想の夢か、幻か、話は延々と続きました。
今日はこの辺で終わりにしておきます。
6月14日(日)午前11時49分、静かに眠るように逝きました。
11日からやっと一般病棟からホスピス病棟に入る事が出来、手厚いケアに一安心していました。でもこのホスピス病棟に入る少し前から、意識も朦朧としていて、話しかけても頷くか、首を振るくらいしか出来ず、食事も殆ど口に入る事はありませんでした。
腹水や胸水がいっぱい溜り、お腹もポンポンに大きくなっていて、まるで妊産婦のようでした。
お腹などに直接針を刺して水を抜くのは、ショック死もありうるのでと言う事で、利尿剤を飲んで、おしっこで水を出すようにされていました。
この利尿剤も肝炎脳症になると言う事で、かなり脳症の方も進んでいました。
未だしゃべる事が出来たときは、いろいろしゃべってくれましたが、やはり、もう脳症の方もかなり進んでいて、何処からこんな発想が出るのかなと思うくらい、とんでもない面白い事や、実現したいとか、或いはこうであって欲しいと思う事かも知れないなと言う感じの話をよくしてくれました。
「○○先生と、二人でこの病院の第二病院を建てているんや。もう工事が始まっていて、建ちかけているんや」

「何処にそんな病院を建てているの?」
「この病院の地下や」とか、「この地下からパスポートなしで外国へ行く事が出来るんや」・・・など等
本人の理想の夢か、幻か、話は延々と続きました。

今日はこの辺で終わりにしておきます。