里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

おはぎ

2011年04月07日 | 日々のつぶやき
今日は、主人のお母さんの命日なので、お墓参りに行こうと、お供えしてあげるためにおはぎを作りました。




朝から用意して作って、お墓へ行くつもりでした。

先日のお彼岸の時に、本当はおはぎを作ってお墓へ行こうと思っていたのが、その時は、別の用事と重なり出来ませんでしたので、今日こそはと頑張って作りました。

ところが、一か月前に主人がオーダーして依頼していたものが、「月曜か、火曜に出来上がりますので、7日の木曜日にお届けしようと思いますが、7日はご在宅ですか?」と言う電話を貰っていました。

「7日は家におりますので、お願いします」

「当日、又何時頃にお伺いするかを電話させて頂きます」と言う事でした。

朝から待てど暮らせど連絡がなく、午後4時にこちらから電話を入れました。

結果は、「朝から出ていますので、そのうちお伺いすると思います」との事務員さんの答えでした。

待つより仕方がなく、結局今日もお墓へ行く事が出来ませんでした。

結局5時ごろに来て下さいました。

このような場合は、前もって何時頃に来て頂けるか、あるいは大雑把に午前か、午後かだけでも確認しておけばよかったと思います。

そうでないと来られるのを待つだけで全く動きがとれませんでした。

娘の機嫌が治りました

2011年04月05日 | 日々のつぶやき
ここ2,3日、娘が、主人が薬の粉をこぼすとか、何かが付いたままの手で他の所を触って汚すとか、物を出しっぱなしにしないでちゃんと片付けてよと、ごちゃごちゃと細かい事を言っては、主人と娘が口げんかをします。

娘は、私に「お父さんに厳しく言ってよ」と怒ります。

主人は、私に「娘を黙らせるように」と言いますし・・・

ここへ引っ越しするまでは、娘も自分の部屋も散らかしっぱなし、何事も大雑把にしていたのに、こちらへ来てからは、神経質すぎるくらい細々と人のすること、特に主人のすることに文句ばかり言います。

そしてついに、3日前に娘が「こんな家におられへん、ワンルームマンションでも借りて出て行く」と言いだし、主人と娘が口をきかなくなりました。

そしてワンルームマンションも探しに行ったところ、丁度今は、学生さんが借りたあとで、殆んどワンルームマンションはなく、残っているワンルームマンションは、高い高いマンションのみだったらしいです。

そして今度は、占い師さんの所へ行き、いつ頃どの方向へ引っ越せばいいか見て貰いに行ったそうです。

その結果は、「今の家から出てはダメです。引っ越しした当初はいいですが、そのうちトラブルが起き、引っ越しした事が後悔する事になる。そしてあんたが一番死なれては困る人が死にますよ。今の家にいれば明るい光がさし、今から段々状況が好転して、あんたの気になる事が消えて行きます。あまり神経質にならないほうがいいです。このままだとあんたが病気になります」と言われたそうです。

そして、「世の中には、親子でも兄弟姉妹でも相性の悪いのはいっぱいあります。あんたとお父さんは確かに相性は悪いです。お父さんの性格はもう死ぬまでなおりませんからお互いに無理に合わそうとしないで、ほどほどの関係でいいです」

「お父さんとお母さんの相性は、抜群にいいです。だからお母さんはお父さんの性格がたえられるんです」

「あんたとお母さんの相性もまた抜群にいいです」

「あんたとお父さんが絶えず喧嘩をしていたら、お母さんが板挟みで心労から病気になります」とも言われたそうです。

昨夜、主人が自分の部屋へ行ってから、娘が、今ここまで書いた事を話してくれました。

それから、娘自身も気が楽になったのか、ここ3日ほど、私にも「行って来ます」「ただいま」「いただきます」「ごちそうさま」等も、一切口をきいてくれませんでしたが、やっと話すようになりました。

3種類の占いをして貰ったが、全部同じように今の家から出てはダメです。そのうちに明るい光がさします。天使がほほ笑んでいます。と言う事だったそうです。

家の中に漂っていた重い空気が、やっと元に戻りました。

主人も、小さい声で私に「○○がしゃべったか」と聞き、少しは気が楽になったように見受けました。

少しはお役に立つかな

2011年04月04日 | 日々のつぶやき
今日の午後3時に長男が、気仙沼へボランティアとして出かけました。

若手企業家のグループの有志10名ほどで、大阪の枚方に4時に集合して、MKタクシー会社のバスを運転手3名付きで借り、そのバスで今日の夜眠り、明日気仙沼に着くそうです。

バスに、救援物資のタオル、バスタオル、男女両方の下着類、衛生用品、それに向こうに着いたら、今、漁に出る事が出来ないから、海で獲れる物が食べたいのではと、海の幸をいっぱい使った鍋料理をしてあげるんだと言う事で、その海の物や野菜をいっぱいと、義援金を持っての出発だそうでした。

義援金は、現地へ行くものは、一人50万円出す事にして、行けない人には、義援金の依頼を何人かにして集め、750万くらい集まったそうです。

私は、内心なかなかやるなぁと感心しました。

しかし、現地の人にしてみれば、これくらいでは微々たるものだとは思いますが、少しは役に立つでしょうか?

行き先が気仙沼になったのは、自衛隊を通して東北の自衛隊に何処へ行けばいいか問い合わせしたら、気仙沼へと言う事に決まったらしいです。

明日鍋料理や、何か手伝いをして、また明日の午後何時か解りませんが、バスで夜眠りながら関西に向けて帰路につき、明後日(水)の朝こちらに帰ってくる予定だそうです。

まぁ、無事について、無事に帰ってくる事を願っています。

「哲学の道散策のつどい」コンサート

2011年04月03日 | 日々のつぶやき
今日は、桜がちらほらと咲き始めている哲学の道にある国指定名勝・白沙村荘(はくさそんそう)大画室存古楼・橋本関雪記念館~筝や歌で春を奏でる~コンサートに行きました。


画家であった橋本関雪さんのお宅や庭が、今は名勝となり、関雪さんが絵を描くのに使われていた大画室が、いろんなコンサートや宴会に使われています。



演奏会場の大画室存古楼


一曲目の演奏が始まる前に、地震や津波の被害にあわれた方々への黙とうを捧げました。

広い会場は、いっぱいの人でした。途中で会場に入りきれない人たちが、窓を通して外で見聞きしておられました。

外は何処かの公園のように、広く、美しい庭園でした。





演奏が行われた大画室存古楼の中から窓越しに写しました。

上手に撮れていませんので、リンクをかけた白沙村荘(1行目)で、綺麗な庭を見て下さい。

♪さくら・荒城の月♪は、今日の演奏会を主宰されたK先生が、お琴を教えに行っておられる小学校のPTAコーラスがお琴の演奏で歌われ、演奏も歌もとても綺麗でした。

尺八とお琴による♪春の海♪もとても素晴らしかった。

津波の被害をもたらした東北の海も、早くこの曲のように素晴らしい海に戻りますようにとの願いを込めて演奏されました。

どの曲も素晴らしかったですが、もう1曲印象に残った曲は、♪道♪と言う曲でした。

この曲もお琴の演奏でコーラスが入り、豪華な曲でした。

この曲は、元京大の哲学者であった西田幾多郎作詞に曲がつけられたものです。

歌詞に“人は人、我は我なり、我行く道をとにかく我は行くなり”と聞こえたと思います。(聞き違えていたらすみません)

又お琴の演奏では、四季がおりこまれており、春はさくら、夏はホタル、秋はもみじ、冬は深々と降る雪、又合間・合間に月の情景も表現されている曲でした。

今日は、本当に素晴らしい演奏会でした。


橋本関雪さんのお孫さんが、この橋本関雪記念館の副館長をされています。

この副館長さんが、入り口を入ったところの受付におられ、演奏会場となるところまでは、砂利道ですし、少し距離もありますし、池の上にかかった欄干や手すりのない細い石橋も2か所渡らなければなりませんのでと言って、私を見て危ないですから案内しますとずっと付き添って演奏される存古楼までついて来て下さいました。

橋本関雪記念館の庭は、関雪さんが作り、関雪さんの奥さんが、木や花を植えられて出来た庭と聞きました。

又哲学の道の桜並木も関雪さんの奥さんが植えられて、京都市に寄付されたものだそうです。



桜は、今年は少し咲くのが遅く、3分咲きくらいでした。

あと3日か、4日くらいすれば、満開になりそうです。

哲学の道へ、観光客を乗せて来たのか、白沙村荘の入り口に2台の人力車が止まっていました。

今日は、少し寒い日でしたが、お天気も良く、佳き日でした。

招待券を下さったK先生に感謝・感謝です。




今日は、「ゴメンナサイ」と言うメール

2011年04月02日 | 日々のつぶやき
小学校の時の同級生から、今日もメールが来ました。

本当にすみませんでした。今回の私のお願いは撤回せざるを得ない事になりました。

先日の電話で従姉妹と話をして、○○ちゃんみたいな人が話し相手になって貰える事が出来たら、従姉妹
にも、もう少し違った人生が開けるかなと思ったのだけれど、私自身の判断が甘かったと言うか、間違っていた様でした。

今日、また従姉妹に電話して、「私がお友達になってもいいよ」と言って下さっていると伝えました。

すると、結果的には従姉妹には余計なお節介であったようです。と同時に○○ちゃんにも要らぬ心配を掛けてしまったようです。

従姉妹の気持ちとしては「今更自分の生き方を変えたいとは思わないし、変える必要も感じない」と言う事だそうです。

従姉妹曰く「自分は極端に人見知りをする性格で、新しい人と付き合うのは極端に疲れる」又「人見知りの上に父から押さえつけられて完全に引籠もり状態が長いので、今ではこれが一番心休まる暮らしなのです」と言う事らしいです。

今回お花見の提案をしたのだけれど、お花見なんかした事もないし、数々ある京都の桜の名所も全く知らないのだそうです。

そんな訳で、宇治の方に住んでいるお琴のお弟子さんの所に行くのとお母さんの病院に行く以外は殆ど外に出ないそうです。

世の中にこのような人もいるのだなと私自身が驚いている次第です。

○○ちゃんには余計な気遣いと心配を掛けてしまいた。本当にゴメンね。


このようなメールでした。


私自身も、ちょっと気が重い事だなと思っていましたので、これで良かったと、少し気持ちが楽になりました。

しかし、今日の午後に、教室のある会館の友達から電話を貰い、昨日私が書いたブログを見て、私が、この依頼者の従姉妹さんに会う時は、「私も一緒にあってあげましょう」と言って下さった方もおられ、この時は、私自身も心強い協力者が、名乗り出て下さった事を大変嬉しく思いました。

地震と津波の被害を受けた方たちへの励ましのメッセージに、「一人じゃないよ、みんな一緒だよ」と言うのを聞きますが、この「私も一緒にあってあげましょう」と名乗り出て下さった時、私の同級生の従姉妹さんにも、私にも、「一人じゃないよ、みんな一緒だよ」の言葉がピッタリだと感じました。

お騒がせしました。私からも「ゴメンナサイ  

そして、ありがとう




ある人生

2011年04月01日 | 日々のつぶやき
愛知県に住む、小学校の時の同級生から昨日メールを貰いました。

メールの送り主の従姉妹さんの事で、「突然ですが、○○ちゃんにお願い」と言うものでした。

この従姉妹さんは、京都市に住んでいて、高校卒業後就職したが、職に馴染めず一年でやめ、その後就職する事もなく、家で家族の手足となり、まるで召使のようにこき使われて、結婚もせず、男性と付き合う事もなく60歳になり、寂しい人生を送って来た人だそうです。

お父さんが3年前に亡くなり、今お母さんは痴呆症で入院中で、毎日病院へ足を運んでいるとの事。

この従姉妹さんの姉と妹家族は、それぞれ別のところに住んでいるとの事。

この従姉妹さんは、以前はお琴の先生をしていて、50人くらい生徒さんがいたそうですが、今は2人だけとなり、まるでボランティア状態の様だそうです。

お父さんは、京都では教育者として名の聞こえた人だったそうです。

世間では、このお父さんの事は、優しくて温厚ないい人と言う事だったそうですが、家庭では、奥さんの言う事も、子供たちにも全く言う事を聞いてくれない暴君だったそうです。

しかし、世間の人や、親戚や、友達などには、お父さんの暴君ぶりは秘められていて全く知られていなかったという事です。

お父さんが亡くなって、口止めされていた事が、何かがとれたように最近私の同級生に長電話で話されたそうです。

そんな事情があったとは、私の同級生も知らなくて、とりあえず4月になったら、夫婦で京都へ花見を兼ねてこの従姉妹さんのところへ、詳しい事情を聞きに行く予定ですとのこと。

それで、○○ちゃんも過去において、姉妹で財産相続の事で、いろいろトラブルを経験しているし、お琴の話も少しは話題が合うかも知れないし、と言う事で、誰も話し合う人や相談できる人がないそうなので、話し相手として友達になって貰えないかと言うのが、メールの結論でした。

この従姉妹さんは、世間との付き合いがなく、又彼女の性格が、引っ込み思案なので、なかなか友達が出来ないそうです。

それで私が、話し相手くらいしてあげてもいいよと言うことであれば、その事も従姉妹さんに伝えようと思うので、先に私の気持ちを聞かせて欲しいと言う事でした。

相手の従姉妹さんが、「私でいいよと言われるなら、私はかまいませんよ。ただし、もしお目にかかる事があるかも知れないので、初めて会った時に、私を見てビックリされると困るので、正直に私の事も伝えておいてね」と返信に書き添えておきました。