第3話 杉野十平次と俵星玄蕃
赤穂義士、杉野十平次(池松壮亮)は、夜泣き蕎麦屋に扮して吉良邸周辺を探ります。その蕎麦の味が評判となり、吉良邸の警護の侍たちともすっかり親しくなり、杉野はそれとなく吉良邸内の様子などを訊ねます。
そんな折、杉野はとある武芸道場の師範で、音に聞こえた槍の名手、俵星玄蕃(青木崇高)と知り合い、意気投合します。
俵星は杉野を武士と見破りますが、詳細を訊ねようとはしない。杉野も何も語らない。そんな両者の間に、静かな友情が芽生えていきます。
ある日俵星は、自身の槍の技を杉野に伝授します。それはいざ討入りとなったときに、この技で敵を斃せという、俵星の想いでした。
俵星は、杉野が赤穂義士であることに気が付いていたのです。
そうして元禄15年12月14日夜半。鳴り響く山鹿流陣太鼓の音に、ついに討入りを知った俵星は、槍を手に急ぎ本所松坂町・吉良邸に駆けつけます。
門前に立つ大石内蔵助に助っ人をさせてくれと頼みますが、内蔵助はこれを丁重に断ります。そこへ「サク、サク、サク」と雪を蹴立てて走り寄る一人の武士。
杉野「先生!」
俵星「おお!蕎麦屋か!」
やはりこの蕎麦屋、赤穂義士であったか!わずかの間旧交を温め合う二人。そうして杉野は吉良邸内へ。
俵星は槍を手に両国橋のたもとに仁王立ちし、これより先、討入りの邪魔をしようとする者は一歩も通さぬ決意を固めるのでした。
第4話 荒川十太夫
討入り本懐を遂げた後、赤穂義士たちは4つの大名家に預けられ、公儀よりの沙汰を待つことになります。
その4家の内、伊予松平家に預けられたのは、大石主税、堀部安兵衛、不破数右衛門など錚々たるものたち。
やがて切腹の沙汰が下され、義士たちはそれぞれ預けられた大名家の邸内にて切腹、介錯が行われました。
伊予松平家で、その介錯人に選ばれた者のなかに、徒歩侍の荒川十太夫(斎藤工)がおりました。
荒川が介錯を行ったのは、音に聞こえた武士、堀部安兵衛(小栗旬)でした。
堀部は後ろに立った荒川に静かな笑みを浮かべながら、荒川の身分を訊ねます。荒川の身分「徒歩侍」はお目見えも許されぬ最下級。このような立派な侍の首を落とすのがそんな下級の者と知っては、堀部殿も悲しむに違いない。
そう思った荒川、咄嗟に自身の身分を「物頭」であると偽ってしまいます。
これを聞いた堀部は、「そのような立派なご身分の方に介錯されるとは、この堀部安兵衛生涯の誉れ」と静かに笑い、非の打ち所の無い見事な切腹をして果てます。
荒川はこのような立派な侍が最後に聴いた言葉が「偽り」となってしまったことに大いに後悔します。その後荒川は楊枝作りなどの内職をはじめ、生活を切り詰めて金を溜め、毎年堀部安兵衛の命日には物頭の恰好をして供の者二名を雇い、あくまでも「物頭」として堀部の墓参を行い続けます。
偽りを申してしまった以上、どこまでも偽り続けるしかない。それがせめてもの、荒川の堀部に対する「誠意」でした。
かの切腹より早7回忌を迎え、荒川はいつものように物頭に扮装して墓参しますが、これを荒川の上司(佐々木蔵之介)に見とがめられてしまう。
早速蟄居謹慎の処分が下され、荒川は藩主、松平伊予守(田中美央)に何故そのようなことをしたのか、尋ねられます。
初めは逡巡していた荒川でしたが、やがて訥々と理由を述べ始めます。その理由にはらはらと落涙する上司と藩士。
しかし藩の法を破ったことには違いない。藩主は荒川に10か月間の謹慎処分を下します。そうして、その謹慎が明けたのちに
荒川を物頭の身分につけるとしたのです。
これで荒川は、誰憚ることなく物頭として、堀部の墓参を行うことができるようになったのです。
おわり
一口に「別れ」といっても様々な「かたち」があります。この4題は忠臣蔵で描かれた様々な別れのかたちの、ほんの一部。
別れをテーマとした忠臣蔵話。いかがでしょう?このような「外伝」的な話もたまにはよろしいのでは?
これはあくまでも、私一個人の妄想話。どちら様もその点
ご容赦のほど。