私の母は現在、施設に入所しております。パーキンソン病を患い、一時期は体の震えが止まらないなどの症状が出ておりましたが、最近はそれも随分と回復しているようで、以前ほどには身体の震えもなく、車椅子生活ではあるものの、大変元気に暮らして居る様子。
私は最低でも月に1度は面会に行くように心がけておりますが、近ごろは会うたびにどんどん元気になっていくように見えて、とても心強い。
むしろ家にいた頃などよりも、よっぽど元気になってる。まったく(笑)。
目に光があるんです。「命」の輝きとでもいって良い光が。
それは若い人のような強い光ではない。もっと柔らかくて、暖かいような
そんな「光」。
私の父、つまり母の旦那ですが、あの人は一言で言って「難しい」人でした。家のことはほとんど何もしない人で、ほぼすべて母任せ。普段は無口で、たまに口を開けばなぜか怒ったような物言い。
でもね、悪い人ではないんです。ただ他人との接し方がとても下手な人で、特に愛情の示し方がわからない人だったのだと、今では思っています。
幼くして母親つまり私の祖母に当たる人を亡くし、父親つまり私の祖父に当たる人は明治生まれの石工職人で、まともな子育てなどしない人だったらしく、親の愛情を知らずに育った私の父は、やたらと意地ばかり強い人になってしまった。
それでも、私ら子供たちのことは愛してくれていたと、今にして思えばそう思えることも多々あった。本当に難しい人だったけど、悪い人では絶対になかった。
不器用である意味とても
可哀そうな人だったのだな、と
今更ながらそう思う。
そんな父が亡くなって4年。母は今でも時々、「お父さんどうしてる?」といまだに父が生きていると錯覚しているようなことを言う。他のことに関してはとてもしっかりしているのに、こと父に関しては、時折ボケたようなことを言う。
母は父に苦労させられ通しだった。離婚したいと思ったことも正直何度もあったらしいです。
でも私らがいたから、3人の子供たちをほっぽらかして、自分だけ逃げることはできなかったといいます。その人生の大半を、父と私ら子供たちに捧げ尽くした人生だったといっていい。
よくぞ耐えてくれました。感謝しかありません。
最近、母に会うたびに思うんです。
母は「菩薩」になったな、と。
苦労に耐えて耐え抜いた人生は、決して母を潰さなかった。寧ろその人生によって、母は
菩薩になった。
会うたび話すことは、私ら子供のことと亡くなった父のことばかり。父に対しても、ときおり悪口や恨み言めいたことはいうものの、そこには深い愛情があるように私には思える。
あんな父親でも、母は認めているというか、ある意味
許しているんだよな。
今の母は、本当に拝みたくなるような、柔らかな光を発しているように私には思える。多少の贔屓目はあるにせよ、やはり母は
「菩薩」になった。
母はある意味、父に鍛えられたことで、菩薩となったのかもしれない。そういう意味では父も、良い仕事をしたのだな。
父無しに今の私の人生はない。今住んでいる家も、父が残してくれたものだし。
べつに父は、私のために残そうと思って家を建てたわけではあるまいが、結果としてそうなっているし、父は子供たちのために帰れる場所を残してくれたのだ。
父が残した愛情の中に、私は今暮らしている。
父にも感謝しかない。
父が生きているうちに感謝が言えたら、もっと良かったんだけどね。父が生きているときは文句ばかり言って、冷たく当たってた。
後悔ばかりが残る。でも父と息子の関係って
そんなもん、かもね。
親父、許せ。
私は日々、父をリスペクトしています。私は良い母と良い父とに恵まれた。ただそれに気づけるのが、あまりに遅すぎた。
それだけが悔やまれる。
菩薩となった母には、いつまでもいつまでも長生きして欲しい。私の切なる願い。
ありがたいね、人として生きるってのは
ありがたいことだ。