安倍政権でいくら疑惑や失言が噴出しても支持率は下げ止まる。代わりとなりうる野党がないのが最大の原因ではあるが、それにしても国民の間で政府に対する怒りが広がらない。そんな状態で選挙イヤーを迎えて途方に暮れていたら、小熊英二氏(朝日新聞2019-3-28)が紹介していた深澤真紀「『草食男子』から考える日本近現代史」(現代思想2月号)の説明が腑に落ちた。
「深澤は、日本の若者の多くは『多様性を重視するという意味ではリベラルだけど、だからといって権力を批判したり、運動はしない』という。他人に干渉せず寛容だが、権力にも寛容で『抵抗するよりも受け入れてしまう』。『傷つくのも傷つけるのも嫌』なので、政権を攻撃する野党の方が『えらそうに批判ばかり』と映る。共感と寛容という世界の若者共通の傾向が、日本では現状維持に働くのだろうか。」
政府側は人事権を使って官僚を支配したり(過去ブログ)、最高裁の人事に介入したり(過去ブログ)、野党が何を言おうと適当に受け流して問題法案を次々に決定したり、果ては記者会見で特定記者を排除したりなどやりたい放題だ。こういう権力者に対する「寛容」は隷属を受け入れるのと変わらない。
関連記事:
「安倍1強を支える有権者の心理」
「なぜ自民党は選挙に勝つ?」
「農業団体はなぜ自民を支持するのか?」
「言論のフェアプレーはつらいよ」
追記:いったんは腑に落ちたと思うのだが、今の人々は本当に「寛容」なのだろうか。当事者の問題であるはずの芸能人の不倫が批判されたり、古い感覚のCMが炎上したりする。こうした動きは「傷つくのも傷つけるのも嫌」という見方とは矛盾する。ネット上の炎上に関与しているのは実は少数だという指摘があるが(過去ブログ)、やはりイマドキの人は批判をいやがる、というのは実感に合わない。芸能人やCMを批判する人はなぜ同じように安倍政権を批判しないのだろう。(「強いものにはへつらおう」というメンタリティーではないと信じたいのだが。。。)
追記2:上記記事よりも前に読んだ記事の言葉を思い出した。今の日本人は将来に希望を持てずにいるが、だからといって現状には大きな不満はないと。このほうが実感に合う。将来の経済破綻や専制政治につながるさまざまな施策が続けられていても、日常生活に直接影響するわけではないから気にしない。だから与党を容認し続けるのだろう(もちろん、代わりになる野党の不在、が根本の原因にあるのだが)。じわじわと煮詰められる「ゆでガエル」の比喩が思い出されてならない。
追記3:別項でも紹介したが、社会心理学者の碓井真史氏は、「ひとたび転がれば、一気に流れる空気」を憂い、なんとか歯止めをかけられないものかと問いかけ、その背景をまとめている。「ヘマをした人や組織に対し、鬼の首を取ったかのように攻撃し、非難する人が増えています。日ごろからストレスをため込み、何かを蹴っ飛ばしたいけれど我慢している人は、小さなきっかけで怒りを爆発させます。」そして自分が多数派だと感じれば声を大にして意見を言う一方、少数派は沈黙するようになる。(「沈黙の螺旋理論」というそうだ。)
ただ、声を大にして言うのは「多数派だと感じれば」なのだろうか。政治的なことで攻撃をする人なども考えると、「自分が正義であると感じれば」ということではないだろうか。多数派であることも含め「自分が正義」と思えば勢いづく、ということだと思う。
私なども正しいと思ったことを発信し、政府などを非難することも多いのだが、言い方には気をつけようと思う。
追記4:SNSでの発信ではないが、ブログの呼びかけに応じて弁護士の懲戒請求をしたが「目が覚めた」60代男性の記者会見の話を読んだ(朝日新聞2019-4-12)。「退職で、取引先も仲間もなくなって疎外感がある中、正しい運動をしているという正義感や高揚感があった」という。
追記5:待鳥聡史教授も有権者の現状維持志向について、(生活に余裕のある人はべつとして)「暮らし向きは苦しいが、変化にも期待できず『いまの方がまし』と考えている」と分析している(朝日新聞2019-5-3)。
追記6:政治学者の白井聡氏は、日本社会の問題を指摘する中で「(安倍)政権は、平成を通じて劣化した社会の結果であって、原因ではありません」と断言する(朝日新聞2019-5-10)。今のようなしょうもない政権を支えているのが我々選挙民だと思うと、なさけなくなる。
追記7:遠藤晶久・早稲田大准教授の分析(朝日新聞2019-9-4)によれば、「若者の保守化」と言われるが、国際比較調査ではそのような傾向は顕著ではない。一方、日本では自分を「左派」だと位置付けている若者でも3割近くが自民に投票しているのが特徴的だという。野党支持が極端に少ないことと相まって、若者にとって選択肢は「自民か他党か無党派か」ではなく「自民か無党派か」になっているという。結局、「左派」を自認する人にとって投票したくなる野党がないという最初の問題に戻ってくる。
「深澤は、日本の若者の多くは『多様性を重視するという意味ではリベラルだけど、だからといって権力を批判したり、運動はしない』という。他人に干渉せず寛容だが、権力にも寛容で『抵抗するよりも受け入れてしまう』。『傷つくのも傷つけるのも嫌』なので、政権を攻撃する野党の方が『えらそうに批判ばかり』と映る。共感と寛容という世界の若者共通の傾向が、日本では現状維持に働くのだろうか。」
政府側は人事権を使って官僚を支配したり(過去ブログ)、最高裁の人事に介入したり(過去ブログ)、野党が何を言おうと適当に受け流して問題法案を次々に決定したり、果ては記者会見で特定記者を排除したりなどやりたい放題だ。こういう権力者に対する「寛容」は隷属を受け入れるのと変わらない。
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追記:いったんは腑に落ちたと思うのだが、今の人々は本当に「寛容」なのだろうか。当事者の問題であるはずの芸能人の不倫が批判されたり、古い感覚のCMが炎上したりする。こうした動きは「傷つくのも傷つけるのも嫌」という見方とは矛盾する。ネット上の炎上に関与しているのは実は少数だという指摘があるが(過去ブログ)、やはりイマドキの人は批判をいやがる、というのは実感に合わない。芸能人やCMを批判する人はなぜ同じように安倍政権を批判しないのだろう。(「強いものにはへつらおう」というメンタリティーではないと信じたいのだが。。。)
追記2:上記記事よりも前に読んだ記事の言葉を思い出した。今の日本人は将来に希望を持てずにいるが、だからといって現状には大きな不満はないと。このほうが実感に合う。将来の経済破綻や専制政治につながるさまざまな施策が続けられていても、日常生活に直接影響するわけではないから気にしない。だから与党を容認し続けるのだろう(もちろん、代わりになる野党の不在、が根本の原因にあるのだが)。じわじわと煮詰められる「ゆでガエル」の比喩が思い出されてならない。
追記3:別項でも紹介したが、社会心理学者の碓井真史氏は、「ひとたび転がれば、一気に流れる空気」を憂い、なんとか歯止めをかけられないものかと問いかけ、その背景をまとめている。「ヘマをした人や組織に対し、鬼の首を取ったかのように攻撃し、非難する人が増えています。日ごろからストレスをため込み、何かを蹴っ飛ばしたいけれど我慢している人は、小さなきっかけで怒りを爆発させます。」そして自分が多数派だと感じれば声を大にして意見を言う一方、少数派は沈黙するようになる。(「沈黙の螺旋理論」というそうだ。)
ただ、声を大にして言うのは「多数派だと感じれば」なのだろうか。政治的なことで攻撃をする人なども考えると、「自分が正義であると感じれば」ということではないだろうか。多数派であることも含め「自分が正義」と思えば勢いづく、ということだと思う。
私なども正しいと思ったことを発信し、政府などを非難することも多いのだが、言い方には気をつけようと思う。
追記4:SNSでの発信ではないが、ブログの呼びかけに応じて弁護士の懲戒請求をしたが「目が覚めた」60代男性の記者会見の話を読んだ(朝日新聞2019-4-12)。「退職で、取引先も仲間もなくなって疎外感がある中、正しい運動をしているという正義感や高揚感があった」という。
追記5:待鳥聡史教授も有権者の現状維持志向について、(生活に余裕のある人はべつとして)「暮らし向きは苦しいが、変化にも期待できず『いまの方がまし』と考えている」と分析している(朝日新聞2019-5-3)。
追記6:政治学者の白井聡氏は、日本社会の問題を指摘する中で「(安倍)政権は、平成を通じて劣化した社会の結果であって、原因ではありません」と断言する(朝日新聞2019-5-10)。今のようなしょうもない政権を支えているのが我々選挙民だと思うと、なさけなくなる。
追記7:遠藤晶久・早稲田大准教授の分析(朝日新聞2019-9-4)によれば、「若者の保守化」と言われるが、国際比較調査ではそのような傾向は顕著ではない。一方、日本では自分を「左派」だと位置付けている若者でも3割近くが自民に投票しているのが特徴的だという。野党支持が極端に少ないことと相まって、若者にとって選択肢は「自民か他党か無党派か」ではなく「自民か無党派か」になっているという。結局、「左派」を自認する人にとって投票したくなる野党がないという最初の問題に戻ってくる。