スピリチュアルな体験談

自分で体験した事を書いていきます。不思議な出来事など。
軽口だけれど自然に対しては敬虔な気持ちでいます。

右脳 左脳 精神性

2008年10月08日 | スピリチュアル
人間性の向上についてのレクチャーを サーとお茶のみながら
お話していました。

サー「フンフン、さてさて 人間には右脳 左脳があるよなあ。
それぞれが、右脳=感性 イメージ 左脳=計算や知能的作用
ってのは、すでに知られている話だわの・
人間は単純に言うと肉体と、魂から成り立つ。

魂の向上=人間の向上と言っても 近いだろう。
魂の柱になるものは主に3本の柱から成る。

それぞれのバランスがとれて、初めて使い物になるんじゃ
(使い物って あんまり良くない表現ですよ!サーw)

右脳ばっかり発達すると、自分が何をしているか理解、説明できない
自分の行動に理由と責任をもてない 気分屋、感性だけで生きる人間になる。

左脳ばっかり発達すると、感情や感性というところを理解できない
ロボットのような 人間になる。

そこにエッセンスとして精神性がはいるのだけれど、

だいたいが、右脳か左脳どちらかが発達し、バランスが悪くそこに
精神性というものが発達しにくい環境があると。 

それぞれに適した仕事があるので その適職につければ特に苦労はしないのだけれど、 理想としては この3本の柱が バランスよく同じ高さで
あるほうがいいのう。 」  

ということでした。

という事は、人間の肉体の器官として、
右脳、左脳のバランスをとりながら発達させると
自動的にスピリチュアル性が ムクムクと発達するって事だそう。

これって、スピ系のコツ。超基本だよね。

スピの関係の人では 右脳+精神性の人が多く、
その実践と理論が かみ合わない人が多いとの事でした。

なので精神のバランスを崩す人が後を絶たないと。

左脳+スピでは 理論ばっかりで、感性というところが上手く処理できず
スピのことすらも 興味を失うから 
実は自分が超スピ系の人間であっても 反スピ系の人間になりやすいそう。

技術やの人 は 理解しやすいと思いますが、
頭でっかちでも 手動かないとダメ(手足が自由に動くにはイメージからの
連動が必要不可欠) って。

そんな感じかな・ だから 技術系の人って自動的にスピ系の訓練を
常にしているようなものだから、
町工場の おじさんで 0,00000 何ミリの単位くらいの違いを
手で感じて削っちゃったりする人。ああいう人も
一種の超能力を磨いちゃった人なんですよね=・
あと、人間国宝の陶芸家の人なんかも 降りてきちゃってるし。
宮大工もそう。 だから神事が宗教の押し付けとしてではなく理解できる。

訓練しだいで 伸ばす事もできるという話でした チャンチャン





理解の段階について

2008年10月08日 | スピリチュアル
えっと、最近は少し難解なやりとりが増えてきて、
言葉に直すのも 難しくなってきています。

お題は理解と知識の段階について。

えっと、あちらの世界の事や、現状での出来事の理解度は、
平等に機会は与えられますが、区別ははっきりあるそうですが
自由度があり幅があるそうです。

どういうことかというと、遊園地でたとえます。
レベルは 上、下というわけではなく、事務的に理解しやすいように設定しています。
それに、全ての人がDLで働いているわけではないのと同じで
DLの仕事に就いても、就かなくても、興味があってもなくてもどうでもよく、
それは自由意志ですので参加自由という事です。
細かい設定というより 大まかな説明となります。



Lv1:ディズニーランドのアトラクションを楽しむのに
    技術も知識もいらない 訪れて楽しむ人々のレベル。
    大人から子供まで広く一般的に楽しむ事ができる レベル。
    何の予備知識も準備も必要ない。

Lv2:常連さんとなり、隅からすみまで知り尽くしたいという 
    興味のある人のレベル。熱烈ファン、オタクって感じ。
    
Lv3:楽しむ側だけでなく、さらに興味を持って
    スタッフとして就職し、裏の事も見るレベル。
    自分が楽しむだけでなく、お客さんを面倒見る仕事もする

☆Lv3くらいから ”就職試験”が入るので、普通の就職試験のように
 誰でも自由に就職が決まるというわけではなくなります。
 ある一定の決まりに則した 採用があるのです。
 普通に生きる分には十分Lv1でも生活できますし 
 ディズニーオタクでなくてもディズニーランドは楽しめますよね。そんな感じ。
 
 自らその道に入る人もいますが、適性をみて
 「うちで働かない?」ってスカウトされることもあるそうです。
 ほんと就職と同じですね。 

Lv4:アトラクションの機械などを作ったり整備する側。
    人が楽しんで、安全に過ごせるように仕事として
    機械を製作、整備する人たち。
    特別な技術や、知識や、技能を必要とされる人。
    その知識と経験をさらにフィードバックし、ノウハウを蓄積する
    お役目の人となる。
    
Lv5:全体を統括する人。 マネージャーレベル。
    全体を把握し、隅々の良い事悪い事を見聞きし 判断し、
    場合によっては 修正を加える人。
    そこで働く人たちの相談に乗ったり
    多少の事であれば、環境の事について変更や、改良などの
    変化をつける事ができる立場。
    常に情報がもたらされ、判断と決断ももとめられる。
    社会的責任を負ったり、
    何かがあった時の矢面に立たされるので責任重大。

Lv6:そこのオーナー。 神様(人間じゃないって事。肉体を持って
    生命活動しているようなものには いません。)


単純に書くとこんな感じです。
人間性の上下ではなく、仕事としてどの段階にいるかという事です。
(適性がありますから、やはり人間性も多少は加味されますけどね。)

たとえば、お客さんの全てが スターツアーズなどの仕組みや
機械の操作、コンピューター制御の方法を知らなくてもいいし
知らなくても楽しますよね。

しかし、どういう仕組みなのか、どういう風になっているのかを
専門の学校や、経験的知識によって身に着ければ
さらに違った視点で 見る事ができるし、さらに知識を深めて発展する事が
できるようになります。

なので、「学校の勉強なんて社会で役に立たない」とか言ってる人や
スピの世界に知識、社会的な経験は必要ないというような偏った事は
さらなる発達の妨げになるだけでなく、
理解を困難にさせる(脳内リンクを作りにくくする)事や
物事の裏側を知り、自分で考え、創意工夫をするとこや
イメージを作り出す事の 妨害にしかならないと思います。

☆うちの子たちにもいうのですが
 学校は、学校に行ってとにかく耐える事が勉強なんだと。
 同じくらいの年の子たちの間でどう振舞うか、
 やりたくないことでも どう自分と折り合いをつけるか、
 朝起きて定時に学校へ行くという単純作業を訓練する事だと。
 子供のうちから 自由、自由で好きな事だけしていたら
 デタラメになってしまい、
 大人になった時に 訓練が足らず、自分が苦労すると。

 学歴社会に対しては賛否両論あるとは思いますが、 
 ある程度の学歴=やることやった。という評価はできると思います。
 とりあえず学校に行って授業を受けてテストを受けて
 カリキュラムに沿った事を一応こなしたと見る事ができます。
 また、良い悪いではなく、その場に応じた対応ができるという事ですし 
 どういう状況でも存在しつづけていたという証明でもあります。

 ☆日本式の教育は 自分で考え、発展させるイメージの部分が
  あまりよく訓練できないようなプログラムだと思われます。
  与えられたものを与えられただけで、自分の感情や情動を使わず
  創造するのではなく、記憶だけするので 
  本当の意味での勉強とは 社会に出てからになってしまうけど。。。。

 学歴で判断云々は、人の本質を細かく判断できないですが
 やることをやる人という評価は当たらずとも遠からずだと思います。
 
☆学歴マンセーではありませんし、家庭の事情や健康面で進学が難しい方の事は
 この限りではありません。

勉強=学校の勉強、学問 机上の勉強 だけでなく、
満遍なく さまざまな経験をする事であり、 一番の情報収集の方法ですし、
さまざまな引き出し、脳内リンクができていないと、
いくら不思議な事を体験したとしても
それが 何を意味するのか、その出来事の裏にどういう意図が隠されているのかが
理解できないままになります。
という事は 不思議な事があふれているこの世界の不思議を
不思議と気づかなかったり、逆に「わからないよ!そんなもの見えないし
わからない= ありえない」と 否定側になる場合もあります。

本当は 人間が生きている事すらも 神秘の世界なんですけど。。。。

あえて知らなくてもいいよという人は Lv1の段階でももちろん十分に
社会的生活は送る事ができます。

知る、しらない、知識を得る、得ない、理解する しないは
かなりその時がくれば そう解る。という感覚です。

お客さんがマネージャーの苦労はわからなくても、いいし
同じ立場にならないと理解できないこともあるし。

DLに遊びに来ている小学生が、アトラクションの操作を
任せられるという事もないです。

モノには その時、その時期、それに伴った精神的成長、肉体的成長
人間的成長が あり、それによっての理解度も異なるのです。

それはどう獲得するかというと、
知識と 実体験に基づく経験と 降りかかるお題をどうクリアしていったかの
手段によります。

月齢による肉体年齢とはまた違いますし、
大人でも成長がないひともいれば、小さい子供でも真理について
とても良く理解できる子もいます(むしろ、子供のほうが純粋に使いこなしている) ただ、子供として人間の社会での生きるテクニックや
肉体から影響を受ける精神発達の場面では 完全に理解する事は
難しかったり、表現という面で難しかったり、周囲の大人の
理解度によっても 左右されてしまうので 生まれたままの純粋な真理を
持ち続け、保ちつつ、発展させる事の難しさは

海がめなどのように、沢山生命として生まれたとしても
大きく成長するまでには とても危険が伴い、数が最初よりも激減してしまう
事と似ています。

大人になり、社会生活の中で 真理から外れた行動を
後天的に身に着けてしまう事もあります。

いかに 子供の純粋な真理をもちつつ 人間として(地球人として)
生きていく事が 困難であるかがおわかりになると思われます。


最後のほう ほとんど自動書記ww