とある出来事から 気になっていた人の書いた本を
ネットで注文し、 序文を読んでいる最中なのですが。。。。。
まさに、今だから理解できる 内容でした!!!!!
たぶん、1~2年まえに この本を手にしていたとしても
腑に落ちる感覚はなかったでしょうし、
「う~~~ん。。。こうかな~~??」って感じで
理解というより、知識として存在するのみだったと思います。
それに、悪いほうに、自分の勝手な都合の良い様にとらえてしまう
危険性もはらんでいる本なので、時期が時期なのだな~と心して読みます。
例えて言うと、 目の前に スイッチがあるとし、
それを押すと どう作用するかがわかって扱うのと、
解らないで 押すのと 似たような感じ。
意味がわかっていなくても スイッチを押すという行為自体は難なく子供でも
できてしまうけれど、そこには 責任や熟慮、その行為によって
何が引き起こされ、また、それに対しての対処法をわきまえているかどうかが
とても大きな違いとなるという事です。
今だからこそ、この本の序文に書かれている事が
「そうそう!そうなんだよ~~~!!」って 納得し、さらに
「へ~~そうかあ。やっぱり」となるのです。
そして、腹をくくってかからないといけないなと帯を締めなおすような
気持ちで取り掛かるようになるという事です。
まさに、まさに 「くるべき時に必要なものが来る」という感じでした。
その本には、このブログにも数年書き綴ってきた事がほとんど網羅されており、
さらに実践としての発動の作用機序、エッセンスがつまっていて
さらに、解りやすく(時期でなかったり、経験的に実際に体験していないと
理解はしにくいですが。)
体験したものだけが、説明できるという”本物”が 散らばってます。
たとえば、ゾウを本当に見たり触ったりしたことがある人が
その場にゾウがいなくても ほかの人に事細かに自分の経験からゾウを
語れますし、話に一貫性がありますが、
見た事も触った事もない人が 作り話でゾウというものを語りつづけていたら
一貫性がなく、常におかしな所が出てくるというような感じです。
または、自分で経験していないが、聴き伝えし、勝手な解釈を加え、
重要なエッセンスを見落とし、間違えた伝言ゲームが広がってしまっているのが
いまのスピリチュアルの混乱の元になっていると。
ただただ人を騙す為、恐怖で行動を制限するため、支配する為の
道具にする為の 偽者が氾濫しすぎていると。
ここいらで 純粋な 元の 状態にもどそうと あっちの人も
躍起になっているようです。
一貫性があるかどうか、無理がないかどうか 不愉快 恐怖を感じるかどうかが
スピの中でも 本物か偽者かを分かつ 重要な部分でもあります。
それに、内容が内容なだけに、彼の本の中で専門用語を用いすぎたり、
誤解を受ける場合も多々あったようで(いつの時代もそうですね。。)
隠語などで書きすぎると読者層が限られ、
スピに現実逃避を求める人間や、変質者、虚弱者たちを惹きつけただけだったと。
wwwwwww
そうそう。。。ははははは!!!!!
ショノトオリ!
プハハ!!!!ww
わたくしもその中の一人でヤンス。ww
彼と、その人々との最大の違いは何だったのか?という事について考察すると
「純粋な聖人意識と類まれなる頭脳に基づく」 事だとはっきり言えます。
彼はサーもおっしゃるとおり、善100悪100の最高レベルの人ですから
変質者のように 善20 悪50 位の レベルが理解できない範疇での
純粋さがあるのです。
こズルイ 子悪党が 見よう見まねで あちらの領域に踏み込めねっツーのって
感じでしょうか。
本気で聖人。本気で悪魔になれるような人間だからこその領域。
例えは悪いのですが、
小さい子が 純粋な興味から 動物の命を奪ってしまった遊びをした。
↓
大人があまりの残忍さに 恐れおののいた
↓
しかし、その子に問いただしてみても、「どうしてダメなの?」と
まるで 深い所を突っ込まれるような 気持ちにさせられ、
なおかつ、あまりの純粋な 目に、 はっとする
解りにくいたとえですが、 こういう子っぽい感じとでも言いましょうか。
映画でいうと まさに「オーメン」かな。
ダミアン君とでも言いましょうか。 ここでもあることが繋がりますが。。。
こりゃ 楽しみな本です。
ネットで注文し、 序文を読んでいる最中なのですが。。。。。
まさに、今だから理解できる 内容でした!!!!!
たぶん、1~2年まえに この本を手にしていたとしても
腑に落ちる感覚はなかったでしょうし、
「う~~~ん。。。こうかな~~??」って感じで
理解というより、知識として存在するのみだったと思います。
それに、悪いほうに、自分の勝手な都合の良い様にとらえてしまう
危険性もはらんでいる本なので、時期が時期なのだな~と心して読みます。
例えて言うと、 目の前に スイッチがあるとし、
それを押すと どう作用するかがわかって扱うのと、
解らないで 押すのと 似たような感じ。
意味がわかっていなくても スイッチを押すという行為自体は難なく子供でも
できてしまうけれど、そこには 責任や熟慮、その行為によって
何が引き起こされ、また、それに対しての対処法をわきまえているかどうかが
とても大きな違いとなるという事です。
今だからこそ、この本の序文に書かれている事が
「そうそう!そうなんだよ~~~!!」って 納得し、さらに
「へ~~そうかあ。やっぱり」となるのです。
そして、腹をくくってかからないといけないなと帯を締めなおすような
気持ちで取り掛かるようになるという事です。
まさに、まさに 「くるべき時に必要なものが来る」という感じでした。
その本には、このブログにも数年書き綴ってきた事がほとんど網羅されており、
さらに実践としての発動の作用機序、エッセンスがつまっていて
さらに、解りやすく(時期でなかったり、経験的に実際に体験していないと
理解はしにくいですが。)
体験したものだけが、説明できるという”本物”が 散らばってます。
たとえば、ゾウを本当に見たり触ったりしたことがある人が
その場にゾウがいなくても ほかの人に事細かに自分の経験からゾウを
語れますし、話に一貫性がありますが、
見た事も触った事もない人が 作り話でゾウというものを語りつづけていたら
一貫性がなく、常におかしな所が出てくるというような感じです。
または、自分で経験していないが、聴き伝えし、勝手な解釈を加え、
重要なエッセンスを見落とし、間違えた伝言ゲームが広がってしまっているのが
いまのスピリチュアルの混乱の元になっていると。
ただただ人を騙す為、恐怖で行動を制限するため、支配する為の
道具にする為の 偽者が氾濫しすぎていると。
ここいらで 純粋な 元の 状態にもどそうと あっちの人も
躍起になっているようです。
一貫性があるかどうか、無理がないかどうか 不愉快 恐怖を感じるかどうかが
スピの中でも 本物か偽者かを分かつ 重要な部分でもあります。
それに、内容が内容なだけに、彼の本の中で専門用語を用いすぎたり、
誤解を受ける場合も多々あったようで(いつの時代もそうですね。。)
隠語などで書きすぎると読者層が限られ、
スピに現実逃避を求める人間や、変質者、虚弱者たちを惹きつけただけだったと。
wwwwwww
そうそう。。。ははははは!!!!!

ショノトオリ!
プハハ!!!!ww

わたくしもその中の一人でヤンス。ww
彼と、その人々との最大の違いは何だったのか?という事について考察すると
「純粋な聖人意識と類まれなる頭脳に基づく」 事だとはっきり言えます。
彼はサーもおっしゃるとおり、善100悪100の最高レベルの人ですから
変質者のように 善20 悪50 位の レベルが理解できない範疇での
純粋さがあるのです。
こズルイ 子悪党が 見よう見まねで あちらの領域に踏み込めねっツーのって
感じでしょうか。
本気で聖人。本気で悪魔になれるような人間だからこその領域。
例えは悪いのですが、
小さい子が 純粋な興味から 動物の命を奪ってしまった遊びをした。
↓
大人があまりの残忍さに 恐れおののいた
↓
しかし、その子に問いただしてみても、「どうしてダメなの?」と
まるで 深い所を突っ込まれるような 気持ちにさせられ、
なおかつ、あまりの純粋な 目に、 はっとする
解りにくいたとえですが、 こういう子っぽい感じとでも言いましょうか。
映画でいうと まさに「オーメン」かな。
ダミアン君とでも言いましょうか。 ここでもあることが繋がりますが。。。
こりゃ 楽しみな本です。
