3-4 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 3ニ トルーマンもマッカーサーも人種差別主義者だった 」
第3章
日本人が知らない日本の歴史的功績 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
3イ 盧溝橋事件は日本の仕掛けではなかった
3ロ 東京裁判で裁かれた「平和に対する罪」とは
3ハ 日米戦争の原因の一つは人種差別
3ニ トルーマンもマッカーサーも人種差別主義者だった
3ホ トインビーが日本に与えた歴史的評価
3ヘ 軍人としては無能だったマッカーサー
3ト マッカーサーの日本非武装中立論
3チ 日本の”宗教改革”を企んだマッカーサー
3リ アメリカの日本に対する戦後処理の愚
3ヌ ルーズベルト(FDR)を「狂人」と呼んだフーバー元大統領
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3ニ トルーマンもマッカーサーも人種差別主義者だった
ルーズベルト(FDR)が死去したのを受けて、大統領となったハリー・トルーマンも、激しい人種差別主義者だった。
ルーズベルト(FDR)はミズーリ州選出上院議員のトルーマンを軽蔑していた。1944(昭和19)年の大統領選挙に当たって、政治的な必要から、トルーマンを副大統領候補として組んだ。しかし、ルーズベルト(FDR)はトルーマンを無視して、民主党大会で正副大統領候補として指名を受けた時と、大統領就任式以外に、死去するまで、トルーマンと一度も顔を合わせたことがなかった。
トルーマンはミズーリ州の貧しい家の出身で、大学教育も受けていなかったから、朴訥で口汚かった。日本が降伏した直後に、日本人は「悪辣で、残忍な野蛮人だ」と言っている。
トルーマンは、ユダヤ人も嫌った。トルーマンはミズーリ州の自宅に、ユダヤ人を一度もいれたことがなかった。
1946(昭和21)年に閣議の席上で、「イエス・キリストが彼ら(ユダヤ人)を満足させることができなかったのに、どうして私がそうできようか」と、発言している。ユダヤ人が後にパレスチナにイスラエルとして独立する、新しいユダヤ人国家を建設しようとしていたのにも、反対していた。
マッカーサー元帥も、人種差別主義者だった。
東京時代を通じて高級副官として側近だったファビアン・パワーズ少佐が、元帥と専用車に同乗していた時に、外に雨がしのついていた。
マッカーサーはパワーズに、「昔、東京に来た時も、このように雨が降っていた。ジャップは、おぞましい悪そのものだ」と、言った。
マッカーサーは日露戦争末期に、観戦武官として満州を訪れた父親に連れられて、日本にごく短期間、滞在したことがあった。
マッカーサーはルーズベルト(FDR)のさまざまなお蔭を被り、ルーズベルト(FDR)の生前、諂っていたのにもかかわらず、いつも側近に彼のことを悪し様に言った。
マッカーサーも、同じようにユダヤ人を蔑視していた。
側近とルーズベルト(FDR)を話題にする時には、わざと「ローゼンフェルド」と名前を間違えてみせた。ローゼンフェルドは、典型的なユダヤ人の姓である。
参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長