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A2 清少納言と紫式部は孫の代まで訳ありの仲だった?

  山本淳子著作に「枕草子のたくらみ」という作品があり、その中に面白いエピソードが書いてあるので、それを取り上げてみます。
  山本淳子氏は高校教師をやった後、「紫式部日記」の中で紫式部が清少納言を感情的に批判した原因の究明を研究の出発点にして京都大学大学院で膨大な資料研究を続け博士号を取得した本物の優れた研究者です。
  以下に作品から少し編集して引用しますが、著作権に触れないことを祈って最小限にします。
ー引用・編集ー
  和泉式部の娘である小式部内侍も、紫式部の娘である大弐三位も、中宮彰子の女房として宮仕えし、仕事に和歌にと自己を鍛える一方、道長の息子や公卿たちと幾つもの恋を繰り返した。清少納言の娘・小馬命婦も彰子のもとに仕えつつ、歌人・藤原範永と贈答歌を交わしていた。彼女の娘も女房だったと思われ、ある時、高階為家と恋に落ち、捨てられたが、その為家が再び「会おう」と誘ってきた折、娘に代わって小馬命婦がぴしゃりとやり込めた歌が残っている。勝気さは清少納言譲りだったようだ。なお、この高階為家は大弐三位の息子であり、清少納言と紫式部は、孫の代まで訳ありの仲だったのだ。p106-107
ー引用・編集終わりー
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