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11.イギリス「外国人が担ったイギリスの産業」

 「外国人が担ったイギリスの産業」 一部引用編集簡略版

  中世以後のイギリスの経済発展は、外国人の力に負うことが大きかった。オランダ人やワロン人(ベルギー南部の人々)、フランドル人(ベルギー西部からオランダ南部、フランス北部の人々)などをはじめとする多くの外国人が、大陸からイギリスに住むことによって進んだ技術を伝えた。十四世紀から十五世紀にかけて、金貸しから徴税まで金にまつわる仕事といえば、すべて大陸からきた外国人が扱っていた。
  しかし、イギリスはこのころから外国人の力を借りることによって、原料の輸出国から製品の輸出国にかわった。なかでも原料としての羊毛から羊毛製品が輸出に占める比率が急激に高まった。一六一〇年代には、ロンドンだけに限っても、一万人以上もの外国人熟練工が働いていたことが記録されている。

  イギリスはローマ法王と袂を分かってから、カトリックが支配していた大陸に対して宗教的な別天地となっていた。十七世紀にはフランスから圧迫を避けた新教のユグノー(投稿者補足;宗教改革の思想家ジャン・カルヴァンの伝統を継ぐフランスのプロテスタント教会の別称。語源は明らかでない)が十万人近く、イギリスへ逃れてきた。これらの外国人労働者や起業家たちは、イギリスの羊毛、木綿、絹、ガラスをはじめとする産業を大きく発展させた。イギリスは時計をつくることができなかったが、ユグノーがロンドンをヨーロッパにおける時計づくりの中心地の一つにした。

  イギリスは着実に富を増していった。世界に先駆けて産業革命を成し遂げることができたのも、こうやって力を蓄えていったからだった。イギリスの経済史を読むと、一六八〇年には農業がイギリスの富の半分を生み出していたが、百年後の一七八〇年には農業の比率が三分の一にまで減ったと推定されている。

参考:加瀬英明著「イギリス 衰亡しない伝統国家」
 加瀬英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長
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