13 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 1ヲ 「日本という赤子をあやす」 」
第1章
ルーズベルト(FDR)が敷いた開戦へのレール 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
1イ まえがき
1ロ アメリカの決意、日本の一人芝居
1ハ ルーズベルト(FDR)による敵対政策の始まり
1ニ なぜルーズベルト(FDR)は、中国に肩入れしたか
目次漏れ項目 日独伊三国に向けられた「防疫演説」
1ホ 中国空軍機による九州来襲
1ヘ 日本の外交暗号をすべて解読していたアメリカ
1 ト 中国軍に偽装した日本本土空襲計画
1チ 日本を戦争におびき寄せた本当の理由
1リ ルーズベルト(FDR)を喜ばせた三国同盟の締結
1ヌ 着々と進む日本追い詰め政策
1ル 開戦五か月前に日本攻撃を承認した文書
1ヲ 「日本という赤子をあやす」
1ヨ 直前まで対米戦争を想定していなかった日本
1タ 日米首脳会談に望みをかけた近衛首相
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1ヲ 「日本という赤子をあやす」
7月30日に、長野修身(おさみ)軍令部総長が天皇に拝謁し、「対米戦争を出来得るかぎり避けたく存じますが、石油の供給が絶たれてしまいますと、このままでは二年分の貯蔵量しかなく、開戦となれば一年半で消費し尽くしてしまいますので、この際、寧ろ打って出る他にございません」と、申し上げた。
すると、天皇より「然らば、両国戦争となりたる場合に、自分も勝つと信じたいが、日本海海戦の如き大勝は、困難ではないか?」と御下問があり、長野が「日本海海戦の如き大勝は勿論、勝ち得るや否やも、覚束ないところでございます」と、お答えした。
アメリカはその直後の8月1日に、石油をはじめとする戦略物資の対日全面禁輸と、在米日本資産凍結を行なった。
日本に戦争の第一発目を打たせようとして、日本の喉もとをいっそう締め上げたものだった。
ルーズベルト(FDR)大統領は、かつてONI(海軍情報局)の極東課長アーサー・マッコラムの提言した、蒋介石政権に可能なかぎりの支援を行なうため、米英が協力して日本に対して完全な禁輸(蘭印に日本へ石油を輸出させない)を実施する。日本を挑発するために、日本近海に巡洋艦を出没させる案を実行することが検討された。もちろん、これは国際法に違反した。
ルーズベルト(FDR)大統領は、この挑発計画を「ポップ・アップ・クルーズ(突然飛び出す)」作戦と呼び、三回にわたって実施された。
8月2日、東京で海軍省がアメリカのジョセフ・グルー駐日大使に、7月31日夜にアメリカの巡洋艦二隻が「豊後水道付近の領海を侵犯した」ことに対して、文書をもって抗議した。
抗議文書は、「宿毛湾に在泊していた駆逐艦が、東から豊後水道へ向かうスクリュー音を探知し、二隻のアメリカ海軍巡洋艦の艦影を目視して追跡したところ、両艦は煙幕を張って、夜間のなかを離脱した」と、述べていた。
「ポップ・アップ・クルーズ」作戦は、その真意を知らされなかった、ハスバンド・キンメル太平洋艦隊司令官が強く反対したのと、期待した効果がなかったために、中止された。
8月12日、大西洋のニューファンドランドのプラセンシア湾に投錨(とうびょう)した、イギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と、アメリカ巡洋艦「オーガスタ」を交互に会場として、ルーズベルト(FDR)大統領はチャーチル首相との、洋上会談を行なった。
8月14日、ルーズベルト(FDR)とチャーチルは、「大西洋憲章」を発表した。この会議によって、英米の結束が一段と強くなった。
この時、チャーチルがルーズベルト(FDR)に、アメリカがドイツに対して即刻参戦を布告することを求めたが、ルーズベルト(FDR)はアメリカの国内世論によって制約を受けていたので、「まだ、それはできない」と、応えた。
しかし、ルーズベルト(FDR)はチャーチルに、「あと数カ月は、日本という赤児をあやす(ベイビー・ザ・ジャパニーズ)つもりだ」と、しばらく待つよう語って、チャーチルを喜ばせた。
12月に、イギリス外務省高官のノース・ホワイトヘッドがチャーチル首相に、「アメリカにおける孤立主義は、当分のところ力を奮い続けようが、克服されることになろう。アメリカは、まだ、われわれの懐に入っていない。だが、(ルーズベルト(FDR))大統領はわれわれを救うために、一歩一歩、着実に計略を進めている」と、メモを送っている。
ホワイトヘッドは、ルーズベルト(FDR)が日本を挑発して、アメリカを攻撃させることによって、参戦することを企てているのを、知っていた。ホワイトヘッドはチャーチルと、ルーズベルト(FDR)によっても信頼され、アメリカに広い人脈を持っていた。
参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長