アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

マングローブに積もった砂

2008-05-23 | ボルネオの旅(-2009年)
マングローブ と呼ばれる森は、陸と海との境目にこんもりと茂る、実に不思議な森。

樹々は、どこからともなくにょきにょきとタコ足のような根を伸ばし、必死で自らの巨体を支えている。

地面からは、双葉のない芽のような、はたまた地獄絵に出てくる救いを求める手のようなグロテスクな根を空中に向かって生やし、まだ吸い足りない酸素を必死で体内に取り込んでいる。


訪れたのは、サラワク州の州都・クチンからバスで1時間ほどの場所にある、バコ国立公園。鼻がやたらでかいサルの生息地で有名なところで、特に欧米人観光客に人気のスポットだ。


友達のアズナンは、サラワク州立大学で今年から博士課程を履修している元教師。
とはいっても、“教員に対する環境教育が専門” という、ちょっと変わり種の先生だ。

彼によると、各教科を環境問題や自然と結びつけて教える方法がまだ確立されていないらしく、またそういった各教科の先生達を熱帯雨林に連れ出して、自然のシステム等を現場で教えることも、まだ始まったばかりなのだという。
・・・全く、日本と同じ状況だ。


バコ国立公園は、クチンからバスで1時間ほど、更に小型船で30分ほどのところにあった。
船でしか行けないため、熱帯雨林は一度も破壊されずにそのまま残っていて、しかも観光をメインにした国立公園らしく道や施設がきれいに整備されていた。
熱帯雨林を味わいたければ、シロウトもクロウトも充分満足できる“おススメ”の場所だといえる。





そんな完全に保護された国立公園でも、深刻な環境問題があるのだという。

「マングローブ」・・・つまり海辺に茂る熱帯の森が、ところどころ立ち枯れているのだ。


アズナンによると、原因は “砂の堆積” らしい。

地下から上向きににょきにょきと生えているマングローブの根は、酸素を取り込むためとはいえ、一定時間以上海水に浸っていないと枯れてしまう。その根を覆うように沖合からの砂が堆積し、ついには高潮をも拒むようになる―。

実際、立ち枯れた樹の周辺には潮のストライプ模様が残され、徐々に高潮のラインが後退していったことを窺わせた。





「なんで砂が増えたの?」

不思議そうに聞く私に、アズナンが言った。

「気候の変化だよ。マレーシアは乾期と雨期があるけど、今では乾期にだって大雨が降る。それらが山から砂や泥を運んでくるんだ。」


私はハッとした。
飛行機から見た、茶色い大河を思い出した。

ボルネオ島を流れる大きな川は、どこだって同じように真っ茶色。
人々はそれを「天然のコーヒーだ」といって皮肉る。なぜなら、その色はまさに、熱帯雨林の伐採によって大量の土が流出した結果だから。


気候の変化と伐採による土の流出。
このダブルショックで、海辺に生きるマングローブの樹々が静かな悲鳴を上げている。

「環境問題」とは、こんなにも大きく、複雑で、ややこしく、予想外の影響をもたらすものなのか・・・。
きっと見えないほど小さな例を挙げれば、もっと頭が痛くなるほどたくさんの変化や “死” が、至る所にあるに違いない。ただ、今はまだ見えていないけれど。







アズナンが研究している「環境教育」。
日本でも、言葉だけは数年前から取りざたされているのに、一般社会にはなかなか浸透していかない。
その原因は、きっと先生たちが “現場” に行かないからなんじゃないか?
「環境」や「自然」は、写真や教科書だけで学べるようなものではないんだから。


「マレーシアでも、地元の人ほど熱帯雨林には足を運ばないよ。自然の恩恵や、自然に感謝するということを知らないんだ。」


森を見て、その仕組みを知って、空気を吸って、風を感じたら、きっと少しは森の生命に思いを馳せることができる。
その積み重ねが「感謝の気持ち」となって、どうしたらそれらを壊さずに済むかを考えるきっかけとなる。
きっとそのことが「環境教育」なんだろう。

森を歩きながら、そんなことを考えていた。