次に旅する国は、中国になりました。
今年10月9~13日の5日間、場所は上海~蘇州~南京。
「南京」と聞くだけで重たいイメージ。
そう、「戦争」について考えるツアーです。
ツアー嫌いの私が今回このツアーに参加するには訳がある。
「南京で戦争被害に遭った方の話を直接聞こう」というのがこのツアーの目的、だからだ。
確か大学時代に南京に行き、大虐殺があったといわれる場所でその展示(記念館)を見た記憶がある。骸骨がゴロゴロしていて、洞穴みたいな暗い場所にそうした人骨がまるでゴミのように積み上げられていた。
南京大虐殺については色々と意見が分かれているようで、本当にあった話だという人もいれば、中国がつくり上げた嘘っぱちだという人もいる。けれどまぁ、いずれにしてもあれだけの数の頭蓋骨があの場所にある、という事実は事実。
たとえそれが誰のものであろうと、「殺す」という残虐さ、そしてそれをゴミのように扱う人間の冷酷さを見せつけられていること自体を、疑う余地はない。
今回のツアーでは、まさにその場所で、実際に日本軍の攻撃に遭ったという女性の話を聞く。
大虐殺が本当にあったかどうかを明らかにするため、ではなく、お互いに対話をするため。
企画したのは、福井大学教授の山本先生、そして先生が所属する「福井県AALA(アジア・アフリカ・ラテンアメリカ)連帯委員会」。毎年こうした手づくりのスタディツアーをしているらしい。
それで、今日はその説明会・兼・勉強会だったわけだ。
満州事変~日中戦争までの流れを、実際に出兵した人の日記と照らし合わせながら詳細に追い、当時の日本国内の様子や兵士たちの本当の気持ちなども織り交ぜて、非常にリアルな現代史論を聞いた。
歴史がこの上なく苦手な私はところどころチンプンカンプン・・・ではあったものの、この機会にちゃんと勉強しないと自分一人ではできるはずはない!と思って何とかがんばった次第。
けれどそれもそのはず。集まっていたのは大学教授や歴史の先生、あと幼少期に戦争と体験した方々なので、既に(根本的に)私のレベルを遥かに超えていらっしゃる。
まぁ、それだけたくさんの先生方に囲まれて贅沢な授業なんですが。
一通り戦争のお勉強が終わったあと、参加者の方々からいろんな話が飛び出した。
「私が小学校2年生の頃は、毎日黒板に「今日はここまで行った(侵略した)ぞー!」って言って先生がその(中国の)地名を書き出してたの覚えてるわ。」
「せやせや、地図はもう常に貼ってあるんや。それで毎日そこに旗を立てていくんやけど、それを子どもに手ぇ上げさせて「今日はどこまで行ったか知ってるか?」「はーい!」って言うてな。」
「私は大阪やったんですけど、学校の渡り廊下に新しい軍歌が出るたびに貼り出されるんですよ。それをいちいち書き写して覚えさせられてね、イヤやったわ~。」
「わしは空飛んでるB-29を、自分がいつか撃ち落としてやろう思ってましたわ。むちゃくちゃ軍国主義でしたな。」
そういえば私も、実家のばあちゃんから戦争当時の色々な話を聞いていたことを思い出した。
今は亡きじいちゃんが徴兵され港まで見送りに行ったときの風景の話、そのとき聞いた兵隊さん達が行進する足音の話、女学校で2メートルほどもある薙刀(なぎなた)を振りかざして戦の稽古をした話・・・。
戦争関連の展示博物館にも、国内の有名どころはとりあえず行った。
けれど、やはり実際に経験した人の話というのは全然違う。 迫力が、違う。
私は勉強会に集まった人たちの体験話を聞きながら、また当時の詳細を学びながら、今まで感じたことのない「痛み」を味わっていた。それは息子や家族を戦地に送り出した女たちの、または家族に今生の別を告げて戦地に赴いた男たちの心の苦しみ、葛藤、寂しさ、そしてそれを紛らわそうとする強さなんかを思って。
日本軍に攻められた中国の人たちにも、きっと同じように苦しいドラマがあるに違いない。
それをちゃんと聞き、ちゃんと受け止め、それを踏まえてお互いに話をしようという試みは、きっと今ようやく始めることができる新たな一歩なんだろうと思う。
お互いの苦しみを乗り越えるための。
「当時は軍国主義だった」とおっしゃっていた元歴史の先生に尋ねた。
軍国主義から現代の考え方へどう頭を切り替えたのか?について。
「あの頃は「鬼畜米英」と言うて、アメリカ人やイギリス人は野蛮な人間と教えられとったわ。子どもやから本当に角が生えてる鬼やと思ってた奴もいるくらいや。でも小4のときに敗戦して、実際にアメリカ人が来て近くで見たら角なんか生えてない。それどころかチューインガムまでくれるわ。わしは別に率先してガムもらいに行ったりはせんと遠目で見とったけどな、それでも少なくともこの人たちは自分らを取って食うような野蛮な人間じゃないってことは分かった。」
「その後すぐに教科書も変わったわ。180度変わった。今まで悪やったものが善になり、善やったものが悪になった。そりゃアメリカの占領軍が命令したんやろうけど、今まで使ってた教科書に墨を塗って訂正して、代わりに先生がつくった新しいプリントで米英は凄い技術をもってるっちゅうことを習ったわ。これは負けて当然の戦争やったんやな~ってその時初めて分かった。それで、これからは教えられたことを鵜呑みにせんと自分の頭で考えなあかんな~と思って、わしらを間違わさせたのは何や?と思い始めた。そう思い始めたころに憲法も変わったわ。憲法を変えるっていうのは国民の生き方を変えるってことやさかいな。」
そうやって時代は変わり、価値観が変わり、反省から学んで次へと進んでいく。
その個人の中に生まれる変化を、個人同士の相互作用で進歩につなげていくこと。
それはとてつもなく大きく、希望に満ちた「旅」なんじゃないかと思う。
愛しきムンバイ。
あぁ、またゆきたい・・・と、写真を見ながら思います。
他の地域のインド人に言わせると「ムンバイは外国」だそうですが、本当の外国人から見ればムチャクチャここもインド。
イギリス統治時代の建物が至る所に見られ、上を見て歩けばヨーロッパ風ですが、フツウに前を向いて歩いていると、ゴシック建築もインド人に合っちゃうのね・・・、と不思議な快感を覚えます。
ここでも、インド人は頑なにインドな生活スタイルをちゃんと保持していますから。