お寺からの帰り、知立団地に住んでいる日系ブラジル人の友達Mに電話をした。
知立駅は本宿から名古屋のちょうど真ん中辺りにある。
彼女とは去年の正月にサーフィンに連れていってもらったっきり、「遊ぼう、遊ぼう」と言いながら1度もまともに遊べなかった。そして彼女こそが、私にブラジル系派遣会社を紹介してくれたソウルメイトの一人だった。
電話越しに彼女は、「今サーフィンの帰りで、岡崎に着くまであと1時間くらいかかると思う」と言う。
だったら、鼻水もひっきりなしに出て風邪気味だから帰ろうかな、と思ったのだけれど、運転していた旦那のDが電話を代わり、私に明るく言うのだった。
「大丈夫!近くにコンビニがあったら、レシートに書いてある電話番号でナビできるから。40分くらいで着くと思う!」
私は思わず「オーケー」と言って、コンビニを探した。
まもなく彼女たちは到着し、真新しいにワゴンに乗せられて一緒に知立団地に向かった。
そこは日系ブラジル人労働者が多く住んでいる愛知県内でも屈指の公団住宅で、私にとっては二度目の訪問だった。
彼らは、真冬のサーフィン帰りだなんてことは微塵も感じられないほど普段通り。
サーファーって、そういうもんなんやろか。
少々くつろいだ後、彼女はブラジル料理をつくり、彼は黒ビールを飲んで、私は仕事の話や今年の予定など我ながらつまらない話をベラベラしゃべって、食べ、笑い、猫と遊んで、そのまま泊まっていくことになった。
そして翌朝5時過ぎに起き、大阪のユニバーサルスタジオに行くという彼らと一緒に家を出、私は帰って原稿を書きましょ、と思っていた。
けれど、朝起きたら雪。
念のためネットで調べてみると、名古屋から近畿に抜ける高速ジャンクションで大幅な通行止めになっている。
どう考えても無理、ということになって、再びウダウダし始めた。
Mがブラジルでは定番だという冷凍フランスパンを取り出してサンドイッチをつくり、朝日を浴びて輝く粉雪を撮影し、一緒に大阪に行くはずだった別の友達が横になり、その寝顔を絵に描いて笑い合い、朝食を食べ、再び猫と遊び…。
いつもの私だったら、その時点でなんとか家に帰ろうとしていた。
既に、この休み中に書こうと思っていた原稿は手つかずのまま、部屋の掃除はしたけれど未だ机の上はブラックホールのまま、来月の取材の予定は何も決められていないし、図書館で借りた10冊の本もひとつも読まないまま返還日を過ぎている。やらなきゃいけないことばかりがどんどん山積みになって、頭の中がパンクしそうになっていた。
だけど、雪だから車が動かせない。
タイヤがノーマルだから。
それにこんな朝早くから彼らに「駅まで送ってって」とは頼みづらいし、なんとなく、私もアクセクしちゃいけないような気がしていた。
それでウダウダが延長戦に入った頃、インターネットを見ていたDがふと言った。
「北朝鮮の映画、見る? アメリカのやつ」
「え!アメリカで中止になったやつ?見れるの?」
「ポルトガル語の字幕だけど。英語だからわかるよね」
「多分わかんないけど、見る!」
『The Interview』というその映画は、金正恩暗殺のストーリーが北朝鮮の激震に触れ、テロ予告にまで発展して全米の映画館で次々と上映中止となった、あのお騒がせ映画。
それが無料映画視聴サイトで見れるっていうんだもの、すご…。
で、案の定、英語もポルトガル語の字幕もチンプンカンプンではあったけれど、大事なところは彼らが日本語で解説してくれたり、私が確認したりして、ストーリーの流れはだいたい理解できた。
その感想。
「こりゃ北朝鮮、怒るわなぁ~」
「でも面白いね…」
「アメリカらしいよね」
それは実に全くのアメリカ流コメディで、一言でいえば「バカ」だった。
そもそも金正恩がアメリカのテレビ番組を「好きだから」という理由で呼び寄せるかい!とか、いろいろ突っ込みどころは満載なのだけど、そんなことは本質ではないのでどうでもいいんですよ、ということがにじみ出ている。
恐らく本質は、CIA的な姑息な毒薬暗殺は容易に失敗し、またそうした策略は個人の心情の変化によって阻止(または失敗)されるということ。そして大義や使命感よりも強いのは「裏切られた」という感情であるということ。さらに、誰を倒す最も有効な方法は、単に抹殺することではなく、恥部をさらけ出して人々に知らしめることだという(これが最もアメリカらしい)信念のようなもの。
ぃや−。
私的には、率直に面白かったです。
政治的には「絶対ナシ」だと思うけど、そのリスクを犯してまでやっちゃう、しかも堂々と世界にアピールしてしまうところもまたアメリカらしいというか。
その手法が好きか嫌いかと問われればどちらとも言えないけれど、少なくとも至る所でププっと笑ってしまうのはバカを徹底しているからだけではなく、北朝鮮の指導者を風刺はしても人々を蔑んではいないという安心感ゆえだと思う。
そこはちゃんと人権尊重、なんだよね。
で、その後にDが出してきたのは、2人の中国人男子のYouTube面白映像だった。
こちら。
http://www.youtube.com/watch?v=x1LZVmn3p3o
もう、なんていうか、バカの極みなんですよw。
これ2005年にアップされて、結構有名らしい。
最初は中国人が英語の歌を口パクしてるというだけで(たぶん映画を見た後だから余計に)シュールな気がして笑けたんだけど、見ているうちになんだか誇らしい気分になってきた。
なんというか、アジアにもちゃんとバカがいる!っていう誇らしさ。
それは日本の落語や漫才も然りで、むしろそちらの方が(口パク中国人男子より)ずっと質の高い笑いには違いないけれど、ここでは日本か中国かという話ではないのです。
世界中どこにでも「ちゃんとバカは健在している」という事実。
それはなぜか、今の私をフッと楽な気持ちにさせてくれた。
全うなことを全うに思考するのも大切かもしれないけど、結局(もしくはそもそも)人間は何でもありの存在なんだということを忘れちゃいけないなぁと思って。
その幅の広さを、事実として受け止める器を持ち合わせてなきゃなぁと思ってね。
根っこがクソ真面目な私には、定期的にそのことを思い出させてくれる友人が必須だということも、正月早々思い知らされたのでした。
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