アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

旅立った後の長いお話。

2008-03-13 | このブログについて
さて、そんなこんなで出発した「世界一周の旅」。

確かインドをメインに前後はオプション程度だったはず・・・。なのですが、そのインドが遠かった。
結果的にインドまでの寄り道に7ヶ月を要し、5月に着く予定だったムンバイに到達したのは、秋も深まる10月半ばでした。。

なぜそうなってしまったのか?

ひと言に、「アジアが面白い!ことを知ってしまったから」です。

「面白い」というのは「楽しい」だけではありません。
「知らないことがたくさんある」という意味です。そのことが、何よりショックというかビックリというか・・・。
とにかく夢中でいろいろなことを吸収しました。


例えばマレーシア。

首都のクアラルンプールからボルネオ島に向かう飛行機の中で、隣の乗客に教えてもらった情報が「Bario」という村のことでした。そしてとりあえずその村に行ってみると、そこにはKelabit(クラビット)族という人達が暮らしていて、お年寄りは耳たぶが肩までぶら下がり、しかしそんなジャングルの中の小さな村で彼らは(日本でいう)エコグリーンツーリズムをやっていて、そこに目をつけたイギリス人がフードフェスティバル(食の祭典)なんかも仕掛けたりしています。

そしてその近辺の森にはPenan(プナン)族という人達が暮らしていて、20年ほども前から問題になっている熱帯雨林の伐採に未だ立ち向かっています。
彼らの多くは森の中を転々と獲物を追って移動する生活を続けていますが、最近では少しずつ定住する動きもあって、自分たちの伝統と新しい時代の流れに葛藤しながら生きています。


フィリピンでは、ICANという日本のNGOに出会いました。
彼らは首都・マニラにあるゴミ集積場に住む人達をサポートしていて、主に住民の医療ケアをしています。そこで、「子どもたちが描く理想のセカイ(社会)」を子どもたち自身が考え、社会にぶつけようというプロジェクトに関わりました。
そこで出てきた意見や提案が、これまた面白い。子どもって見てるんですね・・・。大人のことを。
(詳細はブログ本章の中で。)


そんなこんなでインドはどんどん遠ざかり、当初受け入れをアテにしていたVideo Volunteerという団体からの返答もなく、マレーシアとフィリピンを行ったり来たりしている内に、あっという間に半年が経ってしまったのです。


けれど、人生とはそういうもんなんだなぁと思います。
ご縁、出会い、運、直感、成り行き、・・・結局そういうもので道は開けてきます。

きっと私はここに来るために会社を辞め、アメリカ留学(インターン)がポシャり、行き先を失い、インドのボランティアを見つけ、しかしそれも上手くいかず、でもきっと今こうしてこの人たちに出会うために全ての出来事があったんだな・・・。そう思える瞬間が何度もありました。それは嬉し涙があふれるほどの、感動でした。


西欧にばかり目を向けてきた私自身が、足下に目をやり原点に立ち返った1年間でした。

日本人は、間違いなくアジアの民です。
そして私たちがいるこのアジアは、間違いなく素晴らしい。

そんなことを実感する日々でした。


そうこうして最終的に帰国したのが2009年3月13日。
ここからある意味、私の新たな旅が始まったのです。

記念すべき旅入り@トーキョー

2008-03-12 | ~2012年ふまじめ系の日記

本日、東京入りいたしました。
パチパチパチパチ・・・・

「環境ジャーナリズム」という勉強会みたいなものを受講するために、こんなにがんばって急いで来たの。
勉強会は、まぁなかなか面白かった。
マリクレールっていう女性向けの雑誌が、去年一年間「プラネットキャンペーン」っていう環境をメインにした特集を組んでいたらしく、そういう系のオシャレ雑誌に縁のない私は、ただただ「へぇ~」って感じ。
「ラグジュアリーの世界」では、とにかくエコビジネスに大きくシフトしているんだそうですよ。・・・だから「広告料にも問題なし」って話。


まぁ、それはいい。
明後日13日に、ついに長旅に出発するわけです。
先週1週間は、毎晩、それこそいろんな方々に見送っていただき、感謝感激のあまりウエストと顎の下がタプタプと音を立てて喜んでいます。ありがたや~。

で、そうやって勇んで上京してきたわけですが、これまた荷物の重たいこと!

計ってないから分かんないけど、恐らく20キロは優にあるんじゃないか!?
女子の持つ量じゃねぇよ。。。


もちろんバックパックなので背中に担ぐわけです。やや前傾で。
そして特急しらさぎに乗り込んで米原へ。

・・・・・重ぇぇえええ!!!!!

駅のホームを歩きながら、発狂しそうになった私。

幸い、隣の座席で知り合った女性が同じようにバックパックでオーストラリアに向かう途中で、新幹線のホームまで同行していたのが唯一の救いだった。

「大丈夫ですよ。この重さにも、そのうち慣れますから(微笑み)。」

・・・・・・本当か?


とまぁ、そんな感じで無事ここまで来ています。
先が思いやられるな。。。

今更気付いたことですが、私はどうやら、自分が思っているより遥かに「我慢弱い」タイプらしい。
だって今日だけでむっちゃ肩凝ったし、バックパックなんてもうイヤや。。。。。


この前だってそうだった。

A型肝炎の予防注射を受けにいったときのこと。
近所のお医者さんで注射の予約をし、いざ勇んで診察室に入ると、
医:「これ、薬の量が多いから、腕じゃなくてお尻にしてもいいかな?」

・・・・・おしり?

医:「痛いと思うけど、仕方ないね。我慢してもらうしかないな。」

予約のときにも「筋肉注射だから痛いよ」と脅されていたのに・・・、しかもお尻で更に痛いの!?
「先生、私、我慢できない子なんです。」
「先生、私そんなに量いりませんから。ちょっとでいいです。ちょっとで。」
「先生、それってカキとか食べんかったらいいんですか?私カキは食べませんわ。貝類は食べないでおきます。」
「先生、やっぱやめましょ。お金払いますから。私やっぱりいいですわ。」
「先生・・・、本当に打つんですか?何か痛くならない方法ないんですか?」

むちゃくちゃ嫌な患者だ。
看護婦さんも苦笑い。
しかも後半、私はこんな子供のような駄々を、半ケツ状態でこねていたのだから。。


看:「私、足押さえてます。」
年配の看護婦さんはついに私の両足をがっちり押さえ込み、予防注射は強行された。

  あぁぁ・・・・


声にならない悲鳴が体内を駆け巡る。
私は口をあんぐり開けた格好で目をぎゅ~っとつぶり、“出産の時もこんな感じなんかな・・”なんてことを考えていた。(意外と冷静・・・)


先生、こんな私に愛の注射を打ってくださり、ありがとうございました。
これで私は、思う存分海の幸を味わうことができます。

いやはや。。。「我慢」とは大人の証。
注射を乗り越えたんだから、重たい荷物も「我慢」して持って歩かんとな。
こうして少しずつ、成長してゆくのです。

28歳、独身。
何やってんだ(笑)