aya の寫眞日記

写真をメインにしております。3GB 2006/04/08

履歴稿 北海道似湾編  函開け大将 4の3

2024-10-26 15:32:34 | 履歴稿
IMGR081-22
 
履 歴 稿  紫 影子  
 
北海道似湾編
 函開け大将 4の3
 
 雨の中を家に駆け込んだ私が、このことを母に話をすると、「義章、お前それをやれるか、なかなか辛いと思うぞ。」と母は言ったのだが、私には自信が持てたので、「お母さん大丈夫だよ、俺はやるから。」と私が言うと、「そうか、そんならおやり、それにしてもお前に三円も月給をくれるのかネエ。」と言って、母は喜んで居た。
 
 やがて、臨時集配人としての第一日を迎えた。その日朝食をすました私は、「ご苦労じゃな。」と言って、玄関まで見送ってくれた母へ、「行ってきます。」と元気な声を残して、郵便局へ初の出勤をした。
 
 「お早うご座居ます。」と、窓口から挨拶をすると、「ヤアお早う」と笑顔で迎えてくれた閑一さんが、開函用の鍵と朱で、〒のマークを表に表示をした大きい革製の黒い鞄を私に渡して「鍵を落とすと大変だから、鞄の中へ入れて行けよ。」と注意をしてくれた。
 
 
 
IMGR081-20
 
 教わったように、開函用の鍵を鞄に入れて、「行って来ます」と郵便局を出た私は、郵便函のある市街地へ急いだ。
似湾村(現在は穂別町の一部になって居る)は、北方の十勝方面から、南の太平洋岸へ走って居る東西二つの山脈の間を、悠久瀲灔と流れて居る、鵡川川の流域に在って和人六に対する愛奴四という割合で構成をして居る、畑作主体の純農村であった。
 似湾村を流れて居る鵡川川は、その突端が、紙の都・苫小牧市の沼ノ端まで走って居る西側の山脈に添ってその山裾を隣村の生べつ村へ流れ込んで居た。そして郵便局や市街地は、その突端が太平洋岸まで走って居る東側の山脈添に在って、その山裾までは五十米とは離れて居なかった。
 
 私の行かんとする市街への道は、学校の坂を降って直線の道を行くのであったが、この道路は遠く十勝地方にまで延びて居る道であった、そして学校の坂を降ってからは、右側に太平洋岸まで走って居る山脈の山裾が二十米程の所に在った。
 市街地と言っても、似湾沢へ曲がる丁字路の所から、北方へ三百米程の区間に、三十戸程の家屋が、道路の両側に建って居るに過ぎなかった。従って、軒を並べた家もあればポツンと一戸建の家も在って、所々に野菜畑があった。
 
 
 
IMGR081-18
 
 この市街地と称した所には、商店が六軒、旅館業者が三軒(内一軒は駅逓所であった)、戸長役場の仮庁舎(仏教の説教所を賃貸して改造をしたもの)、病院(村医であった)、巡査駐在所、理髪店等があった。そして商店は、東側に雑貨を売る店が二軒と菓子を造って売る店が一軒あった。また西側には魚屋と薬屋が各一軒と荒物・雑貨・呉服と言ったように大きく商って居た山岸さんの店があった。
 
 旅館は3軒が共に西側に在って、神社前に一軒、そして市街地の略中央に在った病院の北隣りに一軒在って、残る一軒の駅逓所は、山岸さんの店の隣りに、巡査駐在所と向合って市街地の最北端に在った。
 
 

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履歴稿 北海道似湾編 函開け大将 4の2

2024-10-26 15:28:14 | 履歴稿
 
IMGR079-24
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 函開け大将 4の2
 
 似湾へ移住してからの私は、学校の授業が終って家に帰ると、必ず毎日のように遊びに来る保君と家の前とそして横にあった畑に、母が出て居る時には、二人でその畑仕事を手伝ったり、また翌日の炊事に使う薪を、矢張り二人で元気に割って居たのだが、家が貧乏になったと言うことについては、全然無頓着であった。
 
 それは、似湾沢の事件があった暑中休暇中のことであったが、休暇も余すところが残り少なくなった或る雨降りの日の昼下りのことであった。
私が、「義章、葉書を三枚買っておいで」と母に言いつかったので、「傘をさしておいで」と言うのを、母から貰った一銭五厘の金を掴んでその儘向いの郵便局へ走ったのであったが、その時郵便局には、只一人きりの事務員であった池田の閑一さんが、「どうしたんだ、雨が降って居るのに傘もささないで」と言ったので、「葉書買いに来たんだよ、三枚おくれ。」と、掴んで来た一銭五厘の金を窓口から閑一さんへ手渡した。
すると閑一さんはニコニコと笑いながら、入念に数えた三枚の葉書を「それ三枚。」と言って、窓口から出してくれたので、「さようなら」と言って、帰ろうとすると「義章さん、一寸待て」と私を呼び止めて、「どうだ、簡単な仕事なんだけど、一つ臨時集配人をやって見ないか。」と閑一さんが私に勧めた。
 
 
 
IMGR081-01
 
 その時「臨時集配人って一体どんな仕事をするの。」と私は勤務内容の説明を乞うた。
 
 すると「うん、仕事は大したこと無いんだよ、毎朝なぁ、八時までに市街地へ行ってよ、山岸さんの店の前にかかって居る郵便函を開けて、中に這入って居る手紙や葉書を全部鞄に入れて此処へ持って帰ればそれで終わりだ。月給は三円やるよ。」と閑一さんは教えてくれた。
郵便局から市街地までは、約1粁2・3百米程の道程であったから、郵便函を開けて、中の郵便物を持って帰るだけの仕事であってみれば、登校前の一往復は大したことじゃないと思ったので、「閑一さん、お願いします、やらして下さい」と言って、私は即座に採用をして貰ったのであった。
 
 「よし、そうしたらなぁ、九月一日から毎朝七時に此処へ来るんだぞ、そうすれば俺が鞄と鍵をやるから、それを持って函を開けてくるんだ、判ったな。」と閑一さんに言われて「ハイ」と頷いた私は郵便局を出た。
 


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履歴稿 北海道似湾編 函開け大将 4の1

2024-10-26 15:21:39 | 履歴稿
 
IMGR079-03
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 函開け大将 4の1
 
 私の父は、似湾へ引越た年の四月十七日付で似湾外三ケ村戸長役場の臨時筆生に採用をされて、その戸長役場へ勤務をすることになった。
 そのことを父の履歴稿には、
 一、明治四十五年四月十七日、勇払郡似湾外三ケ村戸長役場臨時筆生を命ず。
 日給五十三銭給与。
と記録をしてあるが、それはこの発令をされた夜のことであった。
 
「給料取りをやるのなら何も北海道へくることなかったなぁ」と、その辞令を母に見せて嘆息をして居た父へ、「今更そんなことを言っても仕方が無いのだから、何糞と言う気持ちになって頑張って下さい。」と、母が激励をして居るのを私は傍で聞いたのだが、その時の私は、未だ十歳と言う少年でこそあったが、嘆息を漏す父の心境が判るような気がした。
と言うことは、嘗て丸亀時代の第三の家で”三年心棒をすれば、必ず成功をする”と巧言を弄して移民渡道を誘った由佐校長の口車に乗ったことが、無念でたまらないのだろうと思ったからであった。
 
 
 
IMGR079-19
 
 その当時の父の履歴稿には、
 一、明治四十五年五月十三日、勇払郡似湾外三ケ村戸長役場筆生を命ず。
 月俸十六円給与(北海道室蘭支庁)
 一、同年同月同日、村費雇を命ず。
 月手当二円を給与す。(似湾外三ケ村戸長役場)
と、記録をしてあるのだが、私達の家族は、父の本俸と村費を含めた一ケ月十八円と言う薄給で生活をして行かなければならない惨めな境遇に転落してしまったのであった。
 


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履歴稿 北海道似湾編  似湾沢 9の9

2024-10-22 10:49:19 | 履歴稿
IMGR079-09
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾沢 9の9
 
 「お母さん、池田さんのおばさん何しに来たの。」と私が母に尋ねると、「浩治さんと同じようにあやまりに来たんだよ、そんなに気にすること無いのになぁ。好い人だからじっとして居れんのじゃろ。」と母が言って居る所へ、またおばさんがやって来た。
「奥さん、先程はどうもお邪魔しました。これ、ほんの少しですけど。」と言って、大きさが15糎位の揃ったヤマベを30尾程容れた台鍋を、応待に出た母へ差出した。
 
 
IMGR079-12
 
 「まぁ、おばさん、折角浩治さんが苦労して釣って来たのにそれを私のとこでこんなに貰ったら、おばさんとこで食べるの無くなるでしょう。」と母がとんでも無いと言う表情で言うのを、「奥さん、私が帰ったらネ、浩治が義潔さんと義章さんの二人が持って帰ったヤマベが、たった十一尾しかなかったんだと言って居たから、俺選んで台鍋に容れたんだが、これ持って行ってあげてくれないかい。保は五十尾程持って帰ったと言うから良いが、義章さんのとこは十一尾じゃどうしようも無いからなあ。これ義章さんのとこへやっても、家には未だ八十尾程のこるから大丈夫だから持って行ってあげて、と言うもんだから持って来たのですよ、だから遠慮しないで取って下さいよ。」と言って、その台鍋を母に渡してから、「奥さん、ヤマベは天婦羅が1番上等の味ですよ、そしてその次が焼干にして煮つけるんですネ」と母に、料理の方法を教えて、池田さんのおばさんは帰って行った。
 
 
IMGR079-14
 
 三十尾程と思って居た台鍋のヤマベは丁度五十尾あったが、私達兄弟の十一尾と、保君から貰った十尾を合わせると、都合七十一尾と言う大量の数になってしまった。
 
 母は晩餐の副食にと、早速三十尾程を天婦羅に揚げたのだが、父母を始めて生れて以来ヤマベの天婦羅と言う物が始めであったので、家族が揃って舌鼓を打った。
 
 それは私が昨日池田さんのおばさんが、ヤマベを持って来てくれた台鍋を返しに行った時のことであったが、「義章さん一寸来いよ、俺の魚籃を見せるから。」と浩治少年が呼んだので、私は彼の傍へ寄って行った、すると彼は、台所の片隅から空っぽいなって居た魚籃を持って来て、「俺の魚籃はなぁ、これ見ろよ口の所に網があるだろう、一尾釣る毎にこの網の口をこう開いて中へヤマベを入れたらこの紐をこう絞るんだ、するともうヤマベは外へ出ないのよ、だから昨日俺は釣ったヤマベを全部持って帰ったと言う訳よ。」と言ったが、成程彼の言うとおり、魚籃の中のヤマベは、その網の作用によって外へは絶対出られないようになって居た。
 
 
IMGR079-13
 
 父は、一度味わった天婦羅の味が忘れられないと見えて、時折「義章、ヤマベ釣って来いよ。」と私に言いつけるので、兄や保君と行く日もあったが、似湾沢へ釣りに行くのは単独の日が多かった。
併し、いつも十間橋から下流へ釣りながら降ったので、嘗て怯えた熊の咆哮も、そして不気味な梟の啼声も、再び私は聞いたことが無かった。



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履歴稿 北海道似湾編  似湾沢 9の8

2024-10-22 10:39:54 | 履歴稿
IMGR079-05
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾沢 9の8
 
 その翌朝、と言うよりも、その日の朝のことであったが、「義章、浩治さんが来たよ。」と母に呼び起こされた私が、「眠たいのになぁ。」と渋々寝床を這出して、目をこすりながら玄関へ出てみると、「オイ、大丈夫か、兄さんはどうだ。」と、帰ってから顔を洗わずに寝たらしく、ぶす黒い寝不足顔の浩治少年が、私に尋ねた。
 
 「ウン、二人共何んとも無いよ。」と私が答えると、「そうか、そりゃ良かった。俺、どうかなと思って見に来たんだ。」と言って、さもさも安心したと言うように、浩治少年はニコッと笑った。
 
「オイ、それからお前たち二人で何尾釣った。」と浩治少年が、更に尋ねたので私は父に笑われた。
帰宅後の状況をその儘話した。すると「そうか、釣るのは三十尾位づつ釣ったのか、転んだ時に流したのは惜しかったなぁ。」と言ってから「義潔さんが五尾、お前が六尾、すると二人で十一尾しか無かったと言う訳だなぁ、ウム」と、浩治少年が唸った所へ、台所で朝食の準備中であった母が顔を出して、「浩治さん、昨日は家の二人が大変お世話になったネ、どうも有難う。」と礼を言えば、「おばさん、嫌だなぁ、俺、家のお母さんにあやまって来いと言われて来たんだよ。
俺が悪かったんだよ。おばさん許してネ。」と言って、浩治少年はピョコンと頭を下げた。
 
 
 
IMGR079-06
 
 「でもネおばさん、俺はネェ、義潔さん達二人がヤマベを釣る呼吸を知らないものだから、俺や保のようにどんどん釣れなかったんだよ、だからもう少し多く釣らしてやろうと思って居るうちに上流へ登り過ぎてしまったんだよ。」と、頭を掻きながら、浩治少年は今一度頭をピョコンと下げた。
 
 「保はどうしたかな、よし、これから行って見よう。」と浩治少年が玄関を出たので、私も彼はどうして居るかな、と思ったので、急いで下駄をつっかけて浩治少年の後について行った。
 
 その時の保君は、起きたばかりのところであったが、彼の魚籃にも矢張り蓋が無かったので、相当数のヤマベを渓流へ流したらしかったのだが、彼の魚籃は私達兄弟の魚籃とは違って、口の狭い胴の太い大形であって底が深かった関係か、魚籃には未だ五十尾程のヤマベが残って居たと言って居た。
 
 
 
IMGR079-08
 
 「そうか、お前のは五十尾程残って居たのか、義章さん達はなぁ、二人分合わせて十一尾しか残って居なかったんだとよ。」と言って、浩治少年は帰って行ったが、「そうか、お前達十一尾しか無かったんか、俺の家ではあまりヤマベ食わないんだ、少しやるから持って行けよ。「」と言って、保君は台所の流しの上から魚籃を持って来て、「いいから、いいから。」と言って遠慮をする私の手に大きいの選んで、十尾のヤマベを持たした。
 
 「オイ、すまんなぁ、どうも有難う。」と礼を言って私は帰ったのだが、その時家には池田さんのおばさんが来て居た。
 
 母がお茶でもと言って勧めていたが、私が帰ると間も無くおばさんは帰って行った。
 
 
 
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