aya の寫眞日記

写真をメインにしております。3GB 2006/04/08

履歴稿 北海道似湾編  私の弟と烏 5の1

2024-12-05 16:19:26 | 履歴稿
IMGR083-21
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 私の弟と烏 5の1
 
 大正元年の秋に着工をした戸長役場の新庁舎と吏員住宅が落成したのは、私が尋常科の六年に進級をした大正二年の五月頃であったように覚えて居るのだが、それまで市街地の中程にあった寺の説教場を改造して仮の庁舎に当てて居た役場が、新庁舎へ移転をするのと同時に私達の家も木の香新しい吏員住宅に、移り住むことになった。
 
 新装になった戸長役場は、仮庁舎の時と同じように道路の西側にあって、それまで市街地の北端であった駅逓所から更に、百米程を北上した所に、約七、八十米の四方へ木柵と排水溝を巡らして道路側の排水溝から約十米程行った所が、新庁舎の玄関になって居た。
 
 その建築面積については詳で無いが、排水溝の架橋、そして門柱、木柵、玄関等の構造が、少年の私の目にはとても立派に見えた。
 
 
 
IMGR083-23
 
 吏員住宅のうち、戸長の住宅は庁舎の北側に併設されて居た。
 
 私達の住む一般吏員の住宅は、北側の木柵と排水溝を超えて、各戸が同じ間数で四戸一連の一棟が北に延びて居て高橋、綾井、藤川、田中と言う順序に配分されたので、私達の家は、南端から二軒目であった。
 
 それが敷地と言うものであったか、用地と言うものであったか、と言うことは判って居ないが、相当広い面積であったので、住宅の表と裏には、可成りの空地が在って、その空地を吏員住宅の家族が、それぞれ耕作をして家庭菜園にして居た。
 
 一般吏員の住宅と道路との関係は、私の家の前から幅が一米程で直線に十米程行って道路と丁字路になって居る路が在った、そして一連になって居る住宅の前は、家庭菜園までに二米程の空地を残してお互いが往来をして居た。
 
 住宅の間取りは、一間の玄関を這入ると三尺の土間があって、其処から仕切の障子が無い板の間の茶の間とその奥が、一坪の台所であって、その右側に在る縦に一間、幅が三尺の土間から勝手口となって居た。
 
 
 
IMGR083-25
 
 また座敷は、茶の間から左に這入ると左右に、六畳間が二部屋あって左側の部屋には、表側に面して一間の出窓があった。そうして、此の部屋を座敷と称して父の居室にして居た。
 
 右側の部屋には、窓も無ければ茶の間との出入も一枚の襖で仕切られて居た。
 
 住宅の裏側は、西側の山脈の山裾を流れて居る鵡川川の本流までが一望の平地であった、そして表側は道路から三十米程行った所を、東側の山脈が南へ走って居た。
 
 役場の木柵内にも釣瓶井戸が一つ在ったのだが、飲料不適なので、飲料水は役場の正門前に新築をして、市街地の中程の所から移転をして来た田辺良作さんと言う理髪店の主人が、裏の山裾に湧清水を利用して枠を入れた井戸から貰い水をして居た。
 
 この貰い水を汲んでくる役は私の担当であったから、十八立入りの石油空缶二箇に握把をつけた手製の容器に汲んでは、毎日三回天ビン棒で担いだ。
 
 
 
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