履 歴 稿 紫 影子
北海道似湾編
吹 雪 10の8
いつもならば、とっくに通り過ぎて居る筈の中杵臼の部落へはまだ二、三百米は歩かなければならないと言う所まで来た時に、突然兄が足を止めて、「義章、俺はもう歩けんわ、だから此の林の中で少し休んで行こうや。」と言って、右側の林の中へ歩き出した。
私に兄の声は、判然と聞こえたのではあったのだが、生べつの本村から、この林の道へ入って五、六百米程の所までは、首を左右に振ったり、瞬いたりして、視界や呼吸を障害する吹雪と闘いながら歩いたものであったが、それから後は、寒い、冷たい、餓じい等と言う、苦しい感覚が次第に薄れて、只無我夢中で殆んど無意識の状態になって歩いて居たのであったから、兄の歩けない、林の中で休む等の言葉を、私の神経が既に意識する状態に無かったのであったのかも知れないのだが、私は、なおも直線の家路へ歩き続けようとして居た。
その時、「オイ、義章お前休まないのか。」と兄が呶鳴ったので、私はハッと気付いたのであったが、兄へ答える力も無く、無言の儘で、そうした兄の後に続いたものであった。
兄と私の二人が這入って行った林の中で、道路から五米程這入った所に、その木種については判らなかったが、枝を大きく張った一本の老樹があった、「オイ、あの木の下が良いんでないか」と兄が言うので、私もそれに同調して、その老樹の根元へ二人がどっかと腰をおろした。
私達が吹雪を避けて這入った林の中は、猛烈な猛吹雪を余所に無風の状態であった、と言うことは、連抱の老樹もさることながら、その隙間も無い程に生い茂って居る若木が、防風の楯になって居たからであろうと、現在の私は思って居るのだが、その当時の私は、「吹雪が少しも来ないなんて有難いことだなぁ。」と思って、流石に兄は先見の明ありと思って、その林へ這入ろうとした兄を敬服したものであった。
林の中へ這入た私が、それが意識が朦朧として居たと言っても、何故自分達はこんな林の中で休まなければならないのか、これから家に二人が帰れるのか、どうかと言うことは、私の脳裡を去来して居たのであった。
それは、二人が老樹の根元へ腰をおろしてから十分程たった時であったが、「オイ、義章、弁当を食うとしようか。」と言って兄は、それまで腰に結びつけた儘になって居た風呂敷包から、弁当の這入った行李(現在では既に姿を消して居ると思うが、当時は弁当行李と言って、柳の枝を原料とした容器があった)を取り出して箸をつけたのだが「駄目だ、これじゃ食えないわ、カンカンに凍って居るんだ。」と言って、「しょうが無いなぁ。」と呟きながら弁当行李を風呂敷に包んで腰に巻いたのだが、北海道の一月、それも凛烈肌をつんざくと言う悪天候の終日を、人の腰肌にあったとは言っても、終日の雪中に晒された弁当が凍るのは当然のことであった。