速記係ギィの持って来たファイルにより、イーブ周辺の景色が見えて来ます。
広場に立つ男娼仲間による証言、イーブの姉の存在。
クロードとの時間。
他の男娼達はイーブの事を「時々だらしないけどいい奴。」と。
広場に立ち、客待ちをする間言葉を交わす事が少なからずあった彼らの日常。
ちなみにこれはカナダが舞台のお話ですが、日本にも男娼と言う商売は江戸の昔に存在し、現代においては男性が街角に立つ事はありませんが、男性相手の男娼が待つ店があるんです。
知っていましたか?
アタシはついこの間まで知りませんでした。
ネットで色々見ていると知らず知らずのうちに危うい方へ迷い込み、とんでもない扉を開けてしまう事があります。
アタシはアホなので何も考えずその扉を開けてしまい、あわわわ・・・と。
驚愕でした・・・。
イーブは何故、男娼と言う仕事をしていたのか。
両親はもう他界しておらず、姉は旅行へ行って連絡が取れない。親戚達とはこの2年間一度も会っていないし音信不通。
仲のいい友達も居ない。
お芝居では彼の年齢が明らかにはされませんでしたが、イーブは若い男娼です。
しかし、昨日今日、この仕事を始めた感じでもありませんでした。
きっと。
彼は10代の頃から街角へ立っていたんじゃないかと思うんです。
イーブが男娼について
「誰にでも出来る事じゃない。才能なんだ。」
と言う台詞が劇中に出て来ます。
きっかけは大した事ではなかったのかも。お金がない、頼れる人が居ない、雇ってくれる人が無い。
手っ取り早く稼ぐため街角に立つイーブを、少なくても”客”は必要とする。
この仕事の中に、自分の居場所がある事をイーブは気付いてしまったのかもしれません。
感情の波が大揺れに揺れる独白の中で、彼は自分が人と関わって行くにはこれしかなかったんだ、自分にはこれしか出来ないんだ、と泣き叫ぶように話す場面がありました。
間違いなく、イーブは孤独な青年だったんだと思います。
相馬さんの演じるイーブの眼差しは少し歪んでいて、それは彼に世の中がそんな風に見えてたからに他ならない事を物語っていました。
それでもなお美しい姿に、とても胸が苦しかった。
イーブは、自分とクロードがゲイでなければ行かない場所で出会った事を刑事とのやり取りのなかで口走ります。
初耳だ、と刑事は新証言に目を輝かせますが、イーブにはさほど動揺がありません。
また、クロードと言う男性は日記をつけていて彼がこの世を去る1ヵ月前より、出会った男娼”イーブ”の事を毎日の様にその日記に書いていた事が判明します。
この舞台は1960年代の物語ですが、その頃のカナダに於いて同性愛者への世間の目がどんな物であったかは分かりません。
でも、絶対に今より厳しかったと思います。
外国では今でさえ、ゲイだと言うだけで暴行を受けたり嫌がらせを受けるんだそうです。
アタシはついこの間「チョコレートドーナツ」と言う映画を観ました。
この映画には1組のゲイカップルが出て来ます。
毎晩綺麗な衣装を着てショーをするドラァグクィーンのルディと、その店にやって来て彼(彼女?)に一目惚れして恋に落ちてしまう弁護士のポール。
彼はショーが終わってから楽屋を訪ね、ルデイと店の外で会います。そして、ポールはルディに連絡先を渡すんです。
その晩限りと思っていたルディはとても感動します。
決して若くはない二人。ですがポールはどこまでも誠実で、自分が悪いと思えばちゃんとルディに謝る事の出来る人です。
ショーダンサー仲間の居るところで「話がある。」とポールが言います。
「皆の居る前で言って。」とルディ。
「悪かった。」
このシーンを観た時、アタシは”クロード”もポールの様な人だったんじゃないかと思いました。
イーブに自分の連絡先を渡したのは初めて出会った時であろうし、自分が悪いと思えばきっと年下のイーブにきちんと謝っただろうと。
「チョコレートドーナツ」と言う映画は1970年代にアメリカであった本当の話なんだそうで、このゲイカップルは一人の障害を持つ男の子を預かって家族の様に暮らすんです。
男の子はルディの隣人の母親の子ですが、二人暮らしだった母親は薬物所持で刑務所へ入ってしまい、彼は一人部屋へ取り残されます。色んなプロセスを踏んで、この子をルディとポールが預かり仲良く暮らすのですがある日突然、二人と男の子は引き離されてしまいます。
裁判で戦う事に決めた二人ですが、同性愛者に対する強烈な偏見と差別で全てはねじ曲げられてしまい、真実は手の届かない場所へと追いやられます。
生きる権利。存在する権利。意見を言う権利。
そんな物は無いに等しい。
ポールは自分がゲイである事を隠して暮らしていましたが、クロードはそんな事気にしなかった人かもしれない。
そしてイーブに喜びと強さを与えてくれた人なのかもしれない。
だから二人は男娼だろうと客だろうと、男同士だろうと、世間に冷たい目で見られようと、お互いに心を通じ合わせる事が出来たんじゃないかと・・・。
では何故、クロードは殺されたのか。
取り調べの中で彼と関係が上手く行っていなかった訳でもなければ、殺害直前にもめた訳でもない、とイーブは言います。
愛し合ってた相手を何故イーブは殺したのか。
真相はまた闇の中に転がって行ってしまう。
ギィが机の上にあるスティックシュガーを何本か手に取りました。
一つ一つその口を切って行きます。
指先でちぎるたび、ギィの手元に白いもやが上がります。
あんまり多くちぎるもんだから客席がざわつき、ギィの手からコーヒーの中にザーッと4~5本の滝みたいに白い砂糖が落ちてゆきました。
「うそっ・・・。」と笑いの起きる客席でしたが、36時間以上も空気の動かない部屋に居て進展のない話を聞いてるわけです。
そしてそれを文字に起こして記録しているんです。むなしくないわけがない。
そりゃ疲れて頭も働かなくなって来てるし、甘い物を体が欲しているよね、ギィ。
と、彼に同情せずにはいられない場面でした。
つづく。
広場に立つ男娼仲間による証言、イーブの姉の存在。
クロードとの時間。
他の男娼達はイーブの事を「時々だらしないけどいい奴。」と。
広場に立ち、客待ちをする間言葉を交わす事が少なからずあった彼らの日常。
ちなみにこれはカナダが舞台のお話ですが、日本にも男娼と言う商売は江戸の昔に存在し、現代においては男性が街角に立つ事はありませんが、男性相手の男娼が待つ店があるんです。
知っていましたか?
アタシはついこの間まで知りませんでした。
ネットで色々見ていると知らず知らずのうちに危うい方へ迷い込み、とんでもない扉を開けてしまう事があります。
アタシはアホなので何も考えずその扉を開けてしまい、あわわわ・・・と。
驚愕でした・・・。
イーブは何故、男娼と言う仕事をしていたのか。
両親はもう他界しておらず、姉は旅行へ行って連絡が取れない。親戚達とはこの2年間一度も会っていないし音信不通。
仲のいい友達も居ない。
お芝居では彼の年齢が明らかにはされませんでしたが、イーブは若い男娼です。
しかし、昨日今日、この仕事を始めた感じでもありませんでした。
きっと。
彼は10代の頃から街角へ立っていたんじゃないかと思うんです。
イーブが男娼について
「誰にでも出来る事じゃない。才能なんだ。」
と言う台詞が劇中に出て来ます。
きっかけは大した事ではなかったのかも。お金がない、頼れる人が居ない、雇ってくれる人が無い。
手っ取り早く稼ぐため街角に立つイーブを、少なくても”客”は必要とする。
この仕事の中に、自分の居場所がある事をイーブは気付いてしまったのかもしれません。
感情の波が大揺れに揺れる独白の中で、彼は自分が人と関わって行くにはこれしかなかったんだ、自分にはこれしか出来ないんだ、と泣き叫ぶように話す場面がありました。
間違いなく、イーブは孤独な青年だったんだと思います。
相馬さんの演じるイーブの眼差しは少し歪んでいて、それは彼に世の中がそんな風に見えてたからに他ならない事を物語っていました。
それでもなお美しい姿に、とても胸が苦しかった。
イーブは、自分とクロードがゲイでなければ行かない場所で出会った事を刑事とのやり取りのなかで口走ります。
初耳だ、と刑事は新証言に目を輝かせますが、イーブにはさほど動揺がありません。
また、クロードと言う男性は日記をつけていて彼がこの世を去る1ヵ月前より、出会った男娼”イーブ”の事を毎日の様にその日記に書いていた事が判明します。
この舞台は1960年代の物語ですが、その頃のカナダに於いて同性愛者への世間の目がどんな物であったかは分かりません。
でも、絶対に今より厳しかったと思います。
外国では今でさえ、ゲイだと言うだけで暴行を受けたり嫌がらせを受けるんだそうです。
アタシはついこの間「チョコレートドーナツ」と言う映画を観ました。
この映画には1組のゲイカップルが出て来ます。
毎晩綺麗な衣装を着てショーをするドラァグクィーンのルディと、その店にやって来て彼(彼女?)に一目惚れして恋に落ちてしまう弁護士のポール。
彼はショーが終わってから楽屋を訪ね、ルデイと店の外で会います。そして、ポールはルディに連絡先を渡すんです。
その晩限りと思っていたルディはとても感動します。
決して若くはない二人。ですがポールはどこまでも誠実で、自分が悪いと思えばちゃんとルディに謝る事の出来る人です。
ショーダンサー仲間の居るところで「話がある。」とポールが言います。
「皆の居る前で言って。」とルディ。
「悪かった。」
このシーンを観た時、アタシは”クロード”もポールの様な人だったんじゃないかと思いました。
イーブに自分の連絡先を渡したのは初めて出会った時であろうし、自分が悪いと思えばきっと年下のイーブにきちんと謝っただろうと。
「チョコレートドーナツ」と言う映画は1970年代にアメリカであった本当の話なんだそうで、このゲイカップルは一人の障害を持つ男の子を預かって家族の様に暮らすんです。
男の子はルディの隣人の母親の子ですが、二人暮らしだった母親は薬物所持で刑務所へ入ってしまい、彼は一人部屋へ取り残されます。色んなプロセスを踏んで、この子をルディとポールが預かり仲良く暮らすのですがある日突然、二人と男の子は引き離されてしまいます。
裁判で戦う事に決めた二人ですが、同性愛者に対する強烈な偏見と差別で全てはねじ曲げられてしまい、真実は手の届かない場所へと追いやられます。
生きる権利。存在する権利。意見を言う権利。
そんな物は無いに等しい。
ポールは自分がゲイである事を隠して暮らしていましたが、クロードはそんな事気にしなかった人かもしれない。
そしてイーブに喜びと強さを与えてくれた人なのかもしれない。
だから二人は男娼だろうと客だろうと、男同士だろうと、世間に冷たい目で見られようと、お互いに心を通じ合わせる事が出来たんじゃないかと・・・。
では何故、クロードは殺されたのか。
取り調べの中で彼と関係が上手く行っていなかった訳でもなければ、殺害直前にもめた訳でもない、とイーブは言います。
愛し合ってた相手を何故イーブは殺したのか。
真相はまた闇の中に転がって行ってしまう。
ギィが机の上にあるスティックシュガーを何本か手に取りました。
一つ一つその口を切って行きます。
指先でちぎるたび、ギィの手元に白いもやが上がります。
あんまり多くちぎるもんだから客席がざわつき、ギィの手からコーヒーの中にザーッと4~5本の滝みたいに白い砂糖が落ちてゆきました。
「うそっ・・・。」と笑いの起きる客席でしたが、36時間以上も空気の動かない部屋に居て進展のない話を聞いてるわけです。
そしてそれを文字に起こして記録しているんです。むなしくないわけがない。
そりゃ疲れて頭も働かなくなって来てるし、甘い物を体が欲しているよね、ギィ。
と、彼に同情せずにはいられない場面でした。
つづく。