アタシは卒業式なんかで全然”泣くタイプ”ではありませんでした。
思えば感動して泣く事のあまり無い思春期。
キレやすい父親がどこに”キレポイント”があったのか分からない事でぶち切れては母を怒鳴り倒し、怖くて泣く事の多かった子供時代を経て、元々持って生まれた「人と違う道を生きたい精神&皆と一緒じゃかっこ悪いじゃん根性」も手伝い、どこか群れる人種を鼻で笑う女の子になってしまいました。
なので当然周囲と上手くやれずに学校も途中で辞めました。
「好き」より「嫌い、大っ嫌い!」と言う方がかっこいいと思っていたし、YESよりNOを選んだし、PUNK ROCK BANDのライブで暴れ、急に坊主頭になってしまう様なコでした。
今思えば、非常に扱いづらく、近寄りがたいヤツだったに違いありません。
見まごうこと無き”はみだし・ひねくれ者”でした。
しかし、いついかなる時も自分が不安定で弱い事を知っていました。
そんな自分を知っていながら見て見ぬフリをして生きていました。
人の居ないほう、居ないほうへと道を選んで来た結果、アタシは「自由」を手に入れましたが、それは同時に「孤独」を意味していました。こんな自分でこの人生を生きてゆけるはずが無いと途方に暮れて泣く事はありました。
そして、人々が生きて行く上で経験するであろう色々な事に非常に無頓着であったアタシは、恋愛においてもその術をよく知らず、相手のある男性に恋をしてボロボロになるまで彼を想っていました。
彼とアタシが恋人同士になる事は始めからなく、また、恋人の様な事は1,2度のデートぐらいしかなかったのに、アタシはいつか彼がアタシを恋人として受け入れてくれるんじゃないかと思っていたので、本人の口からそう言う事は無いと言う趣旨の事をハッキリ言われた時に何もかもが色を失ってしまいました。
そしてとても泣きました。
悲しかったし悔しかったし、何よりも最初から分かっていたのにここでも見て見ぬフリをしてた自分が情けなくて泣きました。
そして自分が生きる価値のある人間なのか分からなくなり、気力の無い日々を長く送りました。
夕方に車の通りの激しい道路の脇を歩いていると、耳元で「今だ!飛び込めっ!」と言う声が聞こえる様な気がしました。
それは悪魔の声であり、しかしながら間違いなく自分自身の声であり、心底ゾッとして震えました。
けれどアタシは飛び込めませんでした。
怖かった。そんな事は怖くてとても出来ませんでした。
ここから助け出してくれたのは、同じ夢のために闘った仲間達の存在でした。
はみ出し者、ひねくれ者の集団であった彼らとアタシは夢を追った時期がありました。
彼らはただ、存在しているだけでアタシを支えてくれていました。
ある日「アタシは彼らに生かされていたんだ」と気付けて、浮上する事が出来たのです。
でも、人生と言う現実はシンプルで厳しい。
そんな風にアタシを支えてくれていた仲間のうちの二人が、3年前に事故でこの世を去りました。
大事な親友でした。
仲の良い友人を失う痛みは想像以上でした。
「生きていると色々ある。」
そんな言葉は年寄りが使う言葉だと思っていたんです。
でも人生を半分位生きて、様々な事を経験した今、この言葉は強い説得力を持って自分に響きます。
歳をとったぶんの激しい風雷を受け、色々な感情を知ったからです。
歳をとると涙もろくなるのは、より多くの感情を知り、感じやすくなるからなんじゃないかと思います。
年月と共に、経験によって生まれ出て己を通り抜けて行った感情の記憶が増えるからなんじゃないかと。
それはつまり、多くを乗り越えた証なのではないかと思うのです。
そしてそれはその人の歴史の現れであって、血の通った生身の人間の人生なのだと。
桜の季節は、はみ出し者達を置いてけぼりにする様な気がして昔は嫌いでした。
しかし、そのはみ出し者達も、もういい歳です。
アタシ達が若くして生きた時代と今の時代では色んな事が大きく違う。
時代は変わって、アタシ達の生きたシステムでは今の若い人達には古い。
こんな事は今まで考えた事なかったんだけど、最近「どんな事を若い人達に残せるんだろうか。」と考えたりします。
どんな世の中にして渡せるんだろうか。
若い人達の強さと美しさを奪おうとする物から、どうやって守れるんだろうかと。
政治の話ではなく。
こんな事考えるのも歳をとった証拠なのかな。
でも、若い人達の方が逞しく世間に挑戦していますよね。
インターネットが発達して、世界はぐんと広がってそれこそ昔は夢みたいだった「世界」が近くなったもの。
テレビや映画やお芝居を観て泣いたりする事の多くなったこの頃。
いよいよはみだし者の人生も長くなって来たんだなぁと思うわけです。
”はみだし歴”も長くなったもんだ(笑)。
思えば感動して泣く事のあまり無い思春期。
キレやすい父親がどこに”キレポイント”があったのか分からない事でぶち切れては母を怒鳴り倒し、怖くて泣く事の多かった子供時代を経て、元々持って生まれた「人と違う道を生きたい精神&皆と一緒じゃかっこ悪いじゃん根性」も手伝い、どこか群れる人種を鼻で笑う女の子になってしまいました。
なので当然周囲と上手くやれずに学校も途中で辞めました。
「好き」より「嫌い、大っ嫌い!」と言う方がかっこいいと思っていたし、YESよりNOを選んだし、PUNK ROCK BANDのライブで暴れ、急に坊主頭になってしまう様なコでした。
今思えば、非常に扱いづらく、近寄りがたいヤツだったに違いありません。
見まごうこと無き”はみだし・ひねくれ者”でした。
しかし、いついかなる時も自分が不安定で弱い事を知っていました。
そんな自分を知っていながら見て見ぬフリをして生きていました。
人の居ないほう、居ないほうへと道を選んで来た結果、アタシは「自由」を手に入れましたが、それは同時に「孤独」を意味していました。こんな自分でこの人生を生きてゆけるはずが無いと途方に暮れて泣く事はありました。
そして、人々が生きて行く上で経験するであろう色々な事に非常に無頓着であったアタシは、恋愛においてもその術をよく知らず、相手のある男性に恋をしてボロボロになるまで彼を想っていました。
彼とアタシが恋人同士になる事は始めからなく、また、恋人の様な事は1,2度のデートぐらいしかなかったのに、アタシはいつか彼がアタシを恋人として受け入れてくれるんじゃないかと思っていたので、本人の口からそう言う事は無いと言う趣旨の事をハッキリ言われた時に何もかもが色を失ってしまいました。
そしてとても泣きました。
悲しかったし悔しかったし、何よりも最初から分かっていたのにここでも見て見ぬフリをしてた自分が情けなくて泣きました。
そして自分が生きる価値のある人間なのか分からなくなり、気力の無い日々を長く送りました。
夕方に車の通りの激しい道路の脇を歩いていると、耳元で「今だ!飛び込めっ!」と言う声が聞こえる様な気がしました。
それは悪魔の声であり、しかしながら間違いなく自分自身の声であり、心底ゾッとして震えました。
けれどアタシは飛び込めませんでした。
怖かった。そんな事は怖くてとても出来ませんでした。
ここから助け出してくれたのは、同じ夢のために闘った仲間達の存在でした。
はみ出し者、ひねくれ者の集団であった彼らとアタシは夢を追った時期がありました。
彼らはただ、存在しているだけでアタシを支えてくれていました。
ある日「アタシは彼らに生かされていたんだ」と気付けて、浮上する事が出来たのです。
でも、人生と言う現実はシンプルで厳しい。
そんな風にアタシを支えてくれていた仲間のうちの二人が、3年前に事故でこの世を去りました。
大事な親友でした。
仲の良い友人を失う痛みは想像以上でした。
「生きていると色々ある。」
そんな言葉は年寄りが使う言葉だと思っていたんです。
でも人生を半分位生きて、様々な事を経験した今、この言葉は強い説得力を持って自分に響きます。
歳をとったぶんの激しい風雷を受け、色々な感情を知ったからです。
歳をとると涙もろくなるのは、より多くの感情を知り、感じやすくなるからなんじゃないかと思います。
年月と共に、経験によって生まれ出て己を通り抜けて行った感情の記憶が増えるからなんじゃないかと。
それはつまり、多くを乗り越えた証なのではないかと思うのです。
そしてそれはその人の歴史の現れであって、血の通った生身の人間の人生なのだと。
桜の季節は、はみ出し者達を置いてけぼりにする様な気がして昔は嫌いでした。
しかし、そのはみ出し者達も、もういい歳です。
アタシ達が若くして生きた時代と今の時代では色んな事が大きく違う。
時代は変わって、アタシ達の生きたシステムでは今の若い人達には古い。
こんな事は今まで考えた事なかったんだけど、最近「どんな事を若い人達に残せるんだろうか。」と考えたりします。
どんな世の中にして渡せるんだろうか。
若い人達の強さと美しさを奪おうとする物から、どうやって守れるんだろうかと。
政治の話ではなく。
こんな事考えるのも歳をとった証拠なのかな。
でも、若い人達の方が逞しく世間に挑戦していますよね。
インターネットが発達して、世界はぐんと広がってそれこそ昔は夢みたいだった「世界」が近くなったもの。
テレビや映画やお芝居を観て泣いたりする事の多くなったこの頃。
いよいよはみだし者の人生も長くなって来たんだなぁと思うわけです。
”はみだし歴”も長くなったもんだ(笑)。