ここでは、社長 (寺川 勲雄) の介護日記を掲載しております。
現在進行中の介護です。はじまりは2007年ですが、近年のものより順次載せております。この介護日記は、みのりホームの 「ティータイム通信」 にて掲載し続けているものですが、ぜひこちらでも紹介したく、掲載の運びとなりました。
※今回は、2009年、9月号に掲載の内容です。
田舎の道の駅で「ハッタイ粉」を買って帰った。子供の頃はこれに砂糖をまぶしてよく食べたものである。でも、これを食べる時は注意がいる。食べている途中で、咳き込んだりしたら辺り一面粉が飛び散って大変な事になる。
口に含む時も、粉が気管に入らないようにそっと口を閉じねばならぬ。おばぁちゃんにはこれは一寸難しいのでお湯で練ったものを食べてもらう事にする。お湯で練ると甘味が減るので砂糖の量を少々多めに・・・・。
「おばぁちゃん、ハッタイ粉ョ、覚えとる?」
と鼻先に近づける。
「ウン、匂う匂う。ハッタイ粉じゃ。覚えとるョ」
スプーンで一口二口を食べる彼女を見ながら
「どう美味しい?」と聞いてみた。
「ウン、美味しいよ。ほんでも子供の頃を思い出して泣けてくるわね」
山深い山村に11人の頭として生まれた彼女は、次々と生まれる妹や弟の面倒と家事の手伝いで、雨が降った時くらいしか学校に行けず、それも、子供を負ぶって行ったという話を聞いたことがある。
大正時代の山村のしかも子沢山の家ではごく普通に見られた情景だったのかもしれないが、ハッタイ粉も山村では子供達のおやつ代わりに大人気だったに違いない。
そんな中で恐らく、そのハッタイ粉でさえあんたはお姉ちゃんだから我慢しなさいなどと云われて、減らされたり、貰えなかったりしたのではあるまいか。
ハッタイ粉の匂いと共に80年以上の昔の幼い時の苦い思い出が甦ったようである。90年の人生、松山で空襲に遭った話も聞いた事がある。色々な辛酸を舐めた事だろう。
そこで聞いてみた。
「おばぁちゃん、今は幸せかね?」
「・・・・・・。」
突然の変な質問に首を傾げて考えている風であるが、答えは無い。
今となっては90年の人生も「ただ一刻の夢の戯れ」といったとこどだろうか・・・・・・。
現在進行中の介護です。はじまりは2007年ですが、近年のものより順次載せております。この介護日記は、みのりホームの 「ティータイム通信」 にて掲載し続けているものですが、ぜひこちらでも紹介したく、掲載の運びとなりました。
※今回は、2009年、9月号に掲載の内容です。
田舎の道の駅で「ハッタイ粉」を買って帰った。子供の頃はこれに砂糖をまぶしてよく食べたものである。でも、これを食べる時は注意がいる。食べている途中で、咳き込んだりしたら辺り一面粉が飛び散って大変な事になる。
口に含む時も、粉が気管に入らないようにそっと口を閉じねばならぬ。おばぁちゃんにはこれは一寸難しいのでお湯で練ったものを食べてもらう事にする。お湯で練ると甘味が減るので砂糖の量を少々多めに・・・・。
「おばぁちゃん、ハッタイ粉ョ、覚えとる?」
と鼻先に近づける。
「ウン、匂う匂う。ハッタイ粉じゃ。覚えとるョ」
スプーンで一口二口を食べる彼女を見ながら
「どう美味しい?」と聞いてみた。
「ウン、美味しいよ。ほんでも子供の頃を思い出して泣けてくるわね」
山深い山村に11人の頭として生まれた彼女は、次々と生まれる妹や弟の面倒と家事の手伝いで、雨が降った時くらいしか学校に行けず、それも、子供を負ぶって行ったという話を聞いたことがある。
大正時代の山村のしかも子沢山の家ではごく普通に見られた情景だったのかもしれないが、ハッタイ粉も山村では子供達のおやつ代わりに大人気だったに違いない。
そんな中で恐らく、そのハッタイ粉でさえあんたはお姉ちゃんだから我慢しなさいなどと云われて、減らされたり、貰えなかったりしたのではあるまいか。
ハッタイ粉の匂いと共に80年以上の昔の幼い時の苦い思い出が甦ったようである。90年の人生、松山で空襲に遭った話も聞いた事がある。色々な辛酸を舐めた事だろう。
そこで聞いてみた。
「おばぁちゃん、今は幸せかね?」
「・・・・・・。」
突然の変な質問に首を傾げて考えている風であるが、答えは無い。
今となっては90年の人生も「ただ一刻の夢の戯れ」といったとこどだろうか・・・・・・。