ブロブロガー@くつログ

Proと呼ばれたい...そして日々悪戦苦闘する
Brofessional な職業人の安息の日誌

◇ジャック・バウアーは正義か?~白熱ブログ@くつログ[第2回]

2011-02-09 | 哲学

> 今回のテーマは,『「個人VS共同体」または「個人VS国家」の相克』じゃな
> かったでしたっけ…?


そうです,題材としては,小沢さんの「政治とカネ」問題を考えてみようかと。。。


> 何でタイトルに『24』のジャックが出てくるの…?
> ジャックはヒーローなんだから,正義の味方に決ってんじゃん!


それは,視聴者の目線で観た「ジャック・バウアー像」の事でしょう?
最初から,「主人公=正義の味方」との先入観で観ている。。。
でも,ドラマ内での彼は,捜査官として常に行為の正当性を問われる立場です。
実際『シーズン7』では,ジャックの過激な訊問方法が人権侵害であるとして,
米公聴会での審査にかけられていますよ!

▼ジャック・バウアーは『こんな人』(24シーズン6 TVCM集)



> 成程,人権問題は確かに「個人VS国家」を考える上で,核心的な要素ですね。
> でも,ジャックがテロリストに対して「過激な訊問」を躊躇わないのは,そ
> の背後に,大量破壊兵器から人命を守る事への使命感が在るからですよ!


つまり,大勢の人命を守るためには,テロリスト一人の命などどうでも構わな
い訳ですかね…??


> 「どうでも構わない」訳では無いにせよ,「致し方ない事」かと思いますが?


では題材を,太平洋戦争時代の日本の話に移しましょうか。
沖縄戦の戦場では,米軍の追撃から逃れて,多くの民間人が軍人と伴に洞窟内
に潜む生活を余儀なくされたと伝えられています。
この時に,例えば米軍に悟られない様に,洞窟内で大勢の人が声を潜めて隠れ
て居る状況下で,一人の赤ん坊が大声で泣き出したと仮定しましょう。
集団のリーダーである日本軍将校として,あなたはこの赤ん坊をどの様に処置
しますか?


> えっ,き…厳しい状況ですねぇ…
> 取敢えず,「親に黙らせる様に命令する」とか…ですかね?


昔,私は考えた末に,「その選択」が最も残酷であるかもしれないと想いました。
もし,赤ん坊を手に懸けなければならないのだとしたら,むしろ集団の責任者
である自分自身で行う方が,倫理的にも善いのではないのか…
と。
しかし,親にとって,そちらの方がもっと「無念」であるならば,私は誤って
いるかもしれません…実際,未だに答えが判らないままなんです。

おそらく,現在の日本の医療や介護の現場では,これに似た心情風景の場面が
多々在るのだと想いますよ。。。
医療予算の削減に努める厚生労働省の官僚も,同様の道徳的ジレンマを感じて
いるかもしれませんし。。。
少し判りやすく例を変えて,自分の赤ん坊が伝染性の奇病で,周囲の村人から
「迷惑なので殺せ」と脅迫されている状況
を想像してみて下さい…


> …わ,解りましたよ,Bro…
> 事,人命に関しては,数の論理で善悪の判断ができないと言いたい訳ですね!
> 一人の命も,大勢の命も,同等に尊いのだと。。。


いえ…私の意見は,少しだけ違います。。。
実際,日本の村社会を含め,昔の共同体では「生贄」や「犠牲」を公然と求め
る野蛮な習慣
が世界中に在った訳です。
つまり,共同体のルールや道徳性には,本来,この様な残酷で暴力的な側面が
存在するのだ,と云う事を確認しておきたかったのです。
「野蛮」と書きましたが,元来は感情的と言うより,「冷徹な経験と理性」
に由来するルールだったのではないかと,私は思うのです。


> 「生贄」が理性的ですかぁ…?


元々は人命を犠牲にしてきた慣習を改めて,羊や豚などを「生贄」として神に
奉げる様に進歩した訳ですから,感情的と同時に,「理性的」な判断でしょう?

> 「人権尊重」の歴史ですね。。。
> 近現代に至って,ようやく「犠牲の強要」自体をタブー視する処まで社会が
> 進化して来た訳ですね…そうすると!


何にせよ,国家や共同体が持つ,この様な「暴力的な」側面を忘れてはいけま
せん。。。これこそが,「人権尊重」の本質を知る第一歩です!


> そう言えば,かつての官房長官が国会で「暴力装置」と発言した問題があり
> ましたけど…

昔,「革命を志したほど自由な理性の持ち主」には,国家権力が「暴力装置」
認識されても,それなりの理由が在る訳ですよ。
勿論,国会答弁の場で使用する言葉ではないし,問責されて当然の失態ではあ
りますけどね。


> でも,そうすると,「個人の人権尊重」と「国益や共同体の利益の尊重」との
> 矛盾する場において,一体どちらを優先する事が正義に適うのでしょうか?


日本を含め「民主主義国家」の理念の下では,個人の人権が最大限に尊重され
ている事が必要です。。。
尤もその適用は,ケース・バイ・ケースなのかもしれませんがね…
でも,実際,コミュニティ志向の正義観を考える際に,最も注意するべき点は,
かつて「民主主義 ⇒ 共同体主義,国家主義」へと転化した歴史において,い
つの間にか「全体主義思想」へと変化した事実ですよね!

▼白熱教室@JAPAN



> 確かに,ヒトラーのナチスを生んだのは,ワイマール共和国の先進的な民主
> 主義でした。。。


レーニンのロシア革命は,民主化を求める民衆の暴力の中から生まれたし,毛
沢東の中共建国は,日本軍を利用した「夷を以て自国を制する」漁夫の利戦略
によって巧みに達成されました。
何れのケースでも共通している事は,ナショナリズムの団結力を巧みに利用し
ていた点だと思います。
あとは,ナショナリズムを結集させる上で,情報戦略が重要だった事ですか…
「ナショナリズム=正義」と,盲信させる事に成功していましたよね。


> その様に考えると,「民衆共同体の暴力」って怖いですよね!
> マイケル・サンデル教授が著書に書いていますが,古代ローマでは,コロセ
> ウムでキリスト教徒をライオンに投げ与え,庶民の娯楽にしてたそうです!
> 思想・信条の自由を含め,「個人主義の理念」の大切さが改めて身に沁みる。。。
> で,小沢さんの「政治とカネ」問題については,Broはどの様に感じているの
> ですか…?


法的な面は,裁判所が決着をつけるでしょうがね…
政治家としての,説明責任を充分に果たしていない点が問題ですよね…!


> 過去に自分自身で設置を取り纏めた「政倫審」にも出席していない訳ですよ!
> 野党や菅内閣だけでなく,国民だって大迷惑していますよ!


今回,「推定無罪」が予想される中での,異例の「強制起訴」ですからね…
本人は,「被告人の人権の尊重」を世間に主張しているつもりだと想うのです。


> なるほど…
> 「迷惑だ」と云う理由だけで罪のない人々を社会的に排除して来た,日本的
> 村社会の「いじめ」への抵抗ですか!
> 拗れる原因は,逆に日本における人権擁護思想が健在だと云う証拠ですね!
> でも,やはり「政治家」ですからね…「説明責任」ぐらい果たさないと…


ですよね。。。
「政治哲学理論」はともかく,現実社会での「正義」は「力」ですか…やはり?


▼『24ファイナル・シーズン』TVスポット(ジャックの悪あがき 演歌篇)




◇善悪の彼岸を再考する~白熱ブログ@くつログ[第1回]

2011-02-04 | 哲学
> 「平成の開国」およびTPPへの参加問題に関連して,「ナショナリズムVS
> グローバリズムの相克」について,今流行りの「ハーバード白熱教室」のマ
> イケル・サンデル教授風に考えてみよう,と云うのが前回の宿題でしたよね。


そうですね。。。もう,考えはまとまりました?
結構,奥が深いし,厄介な問題だと感じるのですが…?


> 先日,「白熱教室JAPAN 千葉大学」の第四回目の講義をテレビで見ていて,
> 少し面白い議論を耳にしたのですよ。。。


「ハーバード白熱教室」の日本語吹替え版の解説を担当した,小林正弥教授
講義ですね!


> そう言えば,千葉大って,Broの母校でしたよね…?
> Broは専攻が経済学だから,小林先生が教えている法経学部のOBじゃん。。。


私の在学時代は,未だ学部組織は「人文学部法経学科」でしたけどね。

> そうそう,伊東光晴先生が教鞭を執っていた時代でしたよね…たしか…
> ちなみに,Broは「公共哲学」の単位も取得したのですか?


いや,当時は未だ「公共哲学」の講義自体が無かったですからね。
「公共政策」も,未だ「経済政策論」として,伊東先生から教わりました。
ミクロ経済分析の手法を主に利用して,公共政策の経済効果等を功利主義的に
アプローチする方法が中心だった様な気がします…
尤も,私は「日本経済史」のゼミでしたので,当時,政策論には関心が薄かっ
たですけどね,中曽根政権の下で土光臨調が設置されて,行政改革が強力に推
進されつつあった時代でした…JRやNTTの民営化も,この時代の事ですよ。
伊東先生は,論壇だけでなく,中央官庁でも大きな発言力を以ていましたから,
当時の官僚達の政策思考にもかなり影響を与えたはずですよ!

> ‘80年代初頭は,米国では共和党のレーガン政権時代ですから,リバタリアン
> 達が日米ともに力を発揮した時代ではないのですか??


日本でリバタリアン達が主流になるのは,小泉改革以後の事ですよ。
元来,日本国憲法自体が,とてもリベラルな自由主義思想ですものね。
当時の日本では,「福祉国家」の政策理念を切り捨ててはいなかったので,
「最大多数の最大幸福」を政策的に如何にローコストで達成するのかと云う方向
に議論が向かった
のだと思います。


> 成程,日本国憲法の理念の下で,功利主義的な費用対効果分析で以て,公共
> 政策を論じていた訳ですね。。。
> バブル後’90年代に累積した巨額の財政赤字を背景に,その伝統を打ち破って,
> 「福祉は悪」的なリバタリアニズムの理念を導入したのが,小泉改革だった
> と云う訳ですね!
> そして,リーマンショックを経て,現在の民主党政権が登場してから,「最小
> 不幸社会」が「貧乏な福祉国家」の政策理念として掲げ直された訳だ。。。


厳密に言えば,民主党の理念ではなく,菅内閣の政策理念だと思いますけどね。


> ちなみに,「公共哲学」の様な,思想・哲学系の講義は無かったの??


法経学科と人文学科が一体化した学部編成でしたからね…
哲学・心理学関係の講義は人文学科の方が担当していて,政治思想ではなく,
もっぱら「認識論」「科学哲学」「実験心理学」等が中心だったと思う...

> そうだ,当時「頭の体操」の多湖輝先生が心理学の看板教授でしたよね!


当時私は「経済学の科学性」と云う事に大きな疑問を感じていたので,「認識論」
「科学哲学」の方面に興味を抱いていました。
以前,この「@くつログ」でも紹介したカール・ポパーや,トーマス・クーン
「科学革命の構造」を読んだのもこの頃でしたし,ノーム・チョムスキーの
言語学理論にも,この時期,英文の原書で触れていました。
残念ながら,その学問的意義が全く理解できていませんでしたけどね。。。
後にコンピューター・メーカー企業に就職して,ICOTの第五世代コンピュータ
開発プロジェクト人工知能の研究開発を見てから,生成文法理論の革命的な
意義に目覚めましたっけ…「後悔先に立たず」の典型ですけどね!


> 学生時代に,もっと勉強しておけば良かったと悔んだ?
> 昔は,哲学って「食えない学問」の代表格と信じられていましたものねぇ…
> でも,コンピュータ・サイエンスのおかげで,哲学が身近になりましたよ!
> ちなみに,この「@くつログ」では,2005年のスタート当初から,白熱教室
> 風の対話型の議論形式で一貫して来た訳ですが,Broはスタート当初からサン
> デル教授の政治哲学の講義を意識していた訳ですか...?


対話型の議論形式は,ギリシア時代の哲学者ソクラテスが元祖ですよ。
『産婆術』と呼ぶのですが,私はソクラテスの方を意識したのです。
ハーバード大学のマイケル・サンデル教授を知ったのは,YouTubeにハーバード
の講義内容が公開されてからです。


> じゃあ去年,この「@くつログ」の記事で紹介した時の事ですね。
> でも,今回のサブタイトルで『白熱ブログ@くつログ』とつけたのは,明ら
> かにサンデル先生の方を意識した訳だ。


ところで,「白熱教室JAPAN 千葉大学」の第四回目の講義の話に戻りますが,
議論内容の,どこがそんなに興味深かったのですか…?


> 主要テーマとしては,「ウィキリークスを議論する」と云う内容が第四回目の
> 議論の軸だったのですが,関連して,例の「尖閣ビデオ流出問題」が話題に
> なっていたのです。
> サンデル教授的なコミュニティ志向と「共通善」と云う道徳主義への回帰
> 伴に,ここで問題になったのは,海上保安庁と云うコミュニティの一員であ
> る保安官が,コミュニティのルールを敢て無視して,「日本国民の知る権利」
> に奉仕する国家公務員本来の目的意識と使命感を優先して行動した事実につ
> いてです。
> 「この行為は果たして正義か?」が問われた訳です。


なるほどね…
海上保安官は,海上保安庁と云うコミュニティの一員であると同時に,日本国
のコミュニティの一員でもある訳ですから,この行為の決断には,深刻な道徳
的ジレンマ
が内在している訳ですよね…
法的な面の問題点では,ビデオ映像の機密性の部分にあった訳ですけれども。
しかし,彼は「大義に殉じる」と云う,日本古来の倫理観に従った!
土佐藩を脱藩して,日本国民として国益に奔走した坂本龍馬の行動とも,形式
的には相通じるものですよね。
そして,最近の例では「たちあがれ日本」を離党してでも,日本の財政健全化
の方針に殉じる覚悟を決意した,与謝野経済財政相も同様だと,私は感じます。

> 与謝野さんのケースについては,異論も多々ありそうですけどね…とにかく,
> この種の「道徳的ジレンマ」の構造は,「ナショナリズムVSグローバリズム
> の相克」の議論にも適用可能だと感じませんか??


えっ…それでは「大義に殉じる」のが妥当との結論ですか!?
しかし,これまでの事例では,「大義=ナショナリズム」の側ですよ!
「ナショナリズムVSグローバリズム」の場合,どちらが「大義」なのですか??


> 即ち,問題の核心は大小では無く,どちらの側に自己のアイデンティティの
> 由来をより強く意識するかと云う,「認識論的次元」に帰着する訳でしょう?
> 実際,小林先生もコミュニティ認識と帰属意識の間に在るダイナミズムにつ
> いて,講義の中でも若干言及していました…


「認識論的次元」の問題ならば,以前,靖国問題について考えた際に,「歴史認
識の相対性理論」にまで議論が発展した
のと同様,「認識の相対性」に留意する
必要がある訳ですよね…
「普遍的な正義観」ではなく,「相対的な正義観」に後退する訳ですか…?
では,再びニーチェの「善悪の彼岸」の世界へと回帰する事になるの?


> Broは,ニーチェの哲学も読んでいるのですか?


ニーチェや,夏目漱石の作品群は,高校時代に好きで良く読んだ本ですが…
振返って見ると,「道徳性と云う制約ないしは暴力」に対峙する,自由な人間性
の非理性的な本質に対して,憧憬に近い感情を抱いていた時代もあった訳です。
「善悪の相対性」について想い,結論として「正義とは力なり」と云う俗論を
信じていた青年時代でした。
ニーチェの「悲劇の誕生」では,非理性的,「ディオニュソス的」な力強い生命
力を讃美しているのですが,特に芸術家などが創造的な仕事を行うエネルギーの
源泉は,決して理性的な力などでは無く,エゴイズムに近い本能的な獣性の生命
力なのだと感じました。。。とどのつまりは,反理性的な道徳破壊の哲学ですよ!


> う~ん…
> 昔から在る,「個人VS共同体」または「個人VS国家」の相克ですね…
> では次回,小沢さんの「政治とカネ」問題を題材にして,このテーマについ
> て考えてみましょうよ!



◇「平成の開国」と福袋セールスの日本人論理

2011-01-22 | 哲学

> 凄いです,Bro!
> 2011年最初の前回記事で,「@くつログ」過去最大のPVを達成しましたよ!


おお,それは良かった。。。
でも,年末年始にかけて1カ月近くのブランクがありましたからね。
読者の方をお待たせしていたのではないかと…


> でも久しぶりにコメントも頂いて,幸先の良いスタートになりましたね!
> で,景気づけついでに,今日のテーマは福袋の話題ですか…?


そうそう,世の中不景気な割に,今年も福袋の売上は好調だった様ですよ!
私自身では中身不明の福袋を買う気にならないのですが,世間一般では大人気
ですよね…個人的にとても不思議な気がします…


> Broの様な感想は,外国の方に多いみたいですね。
> 福袋セールス自体が日本的な販売手法だとか。。。
> でも中身には,福袋の価格以上の商品が詰まっている前提ですから,買えば
> 確実に得する訳ですよ…しかもかなり大幅にね!


でも,中には不要な物もある訳でしょう?
それに,基本的には在庫処分品が中心ですよね…?


> その辺がセット販売の妙なのでしょうね…
> 全体で得すれば,少々の無駄は気にならない…
> 何が入っているのか,別の楽しみ方もあるし。


その論理構造は,例のTPP是非の議論の際にもよく登場しますよね。
中身ひとつひとつの得失よりも,全体的な利益を優先して考える習性がある…


> う~ん…これって,ひょっとすると功利主義的な発想なんですかね?
> 「商品自体を」ではなく,「得する事を」目的化している…?


ちなみに,年が明けて,菅総理が「平成の開国」を改革のキーワードとして,
大きく全面に押し出してきたじゃないですか…これって,どう感じます?


> 結局は,昨年APECの際に話題になった,TPPへの参加を強力に推進して
> 行く方針なのですよね…菅総理の考えとしては。
> 「平成の開国」は,そのためのキャッチフレーズなのだと思いますが?


そうですね,例えて言えば,「平成の開国」と云うキャッチフレーズを使って,
菅総理が国民に売込もうとしているコンセプト商品の中身が楽しみな訳ですよ。
「平成の開国」と云う福袋の中身は,勿論「TPPへの参加」が主要な商品で
ある訳ですが,他にも多くの商品が詰められているのだと思いますよ。
例えば,環太平洋地域における安全保障とか,対中関係改善とか,外国人参政
権付与
とか…


> おおっ!
> すると,多くの日本人が不要と考えている商品も,まとめて売ってしまおう
> と云う福袋セールス戦略ですか,これは!
> 「全体として得するんだから,少しぐらい良いじゃん」と云う論理ですね!


「グローバリズム」と云う言葉を使うとね,日本人は少し慎重に構えてしまう
のですが,「開国」と云う言葉には日本人は悪い印象を受けないんですよね。

> う~ん…日本人の歴史から来る教訓の様なものなのでしょうかね…?
> 確かに国を開く事によって,日本人は多くのものを得てきた歴史を持ちます
> からねぇ。。。

しかし同時に,外国の侵略には,頑として対抗してきた歴史でもあります。
基本的には,単一民族的なナショナリズムの強い国ですからね。

> 大多数の日本人は愛国主義者ですものね…だから尖閣事件の様な問題では,
> 多くの国民が紛糾する事件に発展する。
> 「愛国心=正義」なのです,日本だけでなく,世界中の国々でもね!


そう,だから「開国」には賛成の人も,「グローバリズム」には慎重ですよね。
それは普遍的な価値なのか…?
我々の愛国心と相反する要素があるのではないか…?
利害の衝突に対しては,どの様な価値基準で判断するべきなのか…?


> う~ん…まるでマイケル・サンデル教授の政治哲学の授業みたいですね!
> テーマは,差当り「ナショナリズムVSグローバリズムの相克」ですか…
> 一体どちらが「正義」なのか…もう少し考えさせて下さい!



◇トーマス・クーンを再読してみる。。。

2008-07-20 | 哲学
> K・ポパーで満足できないなら,今度はトーマス・クーン登場ですね。。。

ええ...彼の主著「科学革命の構造」は,間違いなく未だ持っているはずなので...


> はず?...

ええ...「持っているはず」なのですが,見つからないんですよね...倉庫の奥に眠った
ままで...

> じゃ再読してないんじゃん。。。未だ。。。


でもこちらは比較的良く覚えています,「パラダイム」および「ターニングポイント」と「パラダイ
ムシフト」だけ理解しておけば,ほぼOKなのですよ...少なくとも答案は書ける...


> 「パラダイム」って何ですか...?

僕が説明するよりも,このサイトの説明を参照した方が分かり易いです。。。きっと。


> 。。。なるほど,「占い」が「科学」から排除される理由も分かりますね...この説明で。

ええ,私の学生時代には「科学理論」の説明の主流でしたからね。。。「パラダイム論」は。
とにかく専門家集団内部では分かり易い説明で「受け」が良かったのだと思います...

> ...と言うと...? Bro には何か不満でも??


あります...肝心の「流行予知科学は科学か?」の質問に答えられない...

> う~ん...既存科学はともかく,未だ「パラダイム」の確立していない「新興科学」に対
> しては無力ですか...「パラダイム論」は...


でしょう?。。。

> で結局Bro の見解はどうなんですか?「流行予知科学」について...?

少なくとも「原本」の著者は,りっぱな科学者ですよ...だから気になる...
でも,内容の一部にオカルトっぽい部分が散見する点と,研究者がほとんどいない点が
問題なんですよ...

> 「新興科学」たる所以ですか。。。

未だ「錬金術」段階にある,と云えるのかもしれません...オカルトっぽいし...


> じゃ,やっぱし「擬似科学」なんじゃないですか,結論として。。。

でもね...「Web2.X時代」のIT技術によって,「科学」としての「要件」を備える事が
可能になるかもしれない...


> 「科学としての要件」に戻ってしまう訳ですね。。。結局。



◇胃潰瘍再検,そしてK・ポパー再読。

2008-07-19 | 哲学
> 胃カメラ飲んだんですって?...胃潰瘍,完治してました?

自覚症状無いし,もう完治したはずと思って行ったんですがね...わずかに残ってました。

> それは残念でした...でも,ほぼ回復が確認できたなら,良かったですね。

でも,もう一度胃カメラ飲むのか?と思ってヒヤヒヤでしたよ。。。もう二度と飲みたくない!


> 鼻から入れる内視鏡は無かったんですか?最初の検査は鼻からでしたよね...?

近所の病院を探し回ったんですがねぇ...結局,大学病院まで行って,死ぬかと
思うほど苦しい思いをしてきました。。。
本当に十倍苦しいですよ!口から入れる胃カメラは...


> 「二度とやりたくない!」と言う人,多いですものね。。。
> ところで,カール・ポパーの本を読んだんですって...?


ええ,倉庫の書棚に「果てしなき探求-知的自伝」が残ってました...学生時代の本。

> もう読んだんですか?...科学性に関する Bro の疑問は解けたの??

読み始めると夢中になって,さっき主要な箇所は概ね読んでしまいました。
「反証可能性」が「科学理論」を見極める重要な要素らしいのですが...
確率的な要素を含む「予測理論」に適用するには,結構困難なものを感じる。。。

> ???...

2回目の内視鏡検査の結果が,1回目の検査結果よりも大幅に病状の改善を示唆し
ていたとしても,それだけでは病気の完治を確実に予測するものではないですよね...
せいぜい治療法の妥当性に対する「確信」を強化したにすぎない。。。
しかし逆に,1回目よりも2回目が悪化しているのであれば,治療法の誤りを断定する事
ができるのか?...

> なるほど...確率が絡むと,「反証」も統計学的になって,面倒な手続きが必要か..
> むしろ「経口的内視鏡検査」よりも「経鼻的」な方法の方が望ましいと云う,比較選択的
> な方法の方が簡単ではないですか?...

そうすると,「あまり当たらない科学的予測」よりも「良く当たる占い」の方が望ましい事に
なったりします...


> ポパーの見解はどうなんですか?

ポパー理論の要点を簡略に理解するには,このサイトの説明が非常に分かり易くて,優
れていると思うのでぜひ参考にして下さい。。。

> 。。。なるほどっ!分かり易いです!


でもね...結局最後にはポパーの嫌いな「観念論」の立場に後退してしまうんですよね
...やっばり。。。

> う~ん。。。深いですねぇ。。。哲学は...


◇占い科学入門。。。流行は予知できるのか?

2008-07-16 | 哲学
> 。。。Bro 。。。食うに困って,とうとう占い師への転職を決意したのですか?...

失礼なっ!

「占い」と云うサービスは,現実にちゃんと「需要」があって成立している情報サービスです
よ。。。それを,そんな偏見に満ちた態度で見る事の方が,「非科学的」な態度です!

> 。。。でも「占い」は「科学」ではないでしょう??

そこが今回のテーマなのですよ。。。

> ...??

「予測」は,りっぱに「科学」の一部として行われている行為ですよね...
たとえ「当たらない」事が多くても,「科学性」を疑われる事は無い...

> ...

でも「占い」は,たとえ良く当たっていたとしても,なぜ「偶然」で終わってしまうのか...?

> 「予知」が成立する根拠の問題でしょう,それは。。。
> 「占い」の場合には,将来起こるであろう事象の必然性を説明する科学的根拠が欠
> 落している...


では,CO2の排出が現在のレベルで推移すると,地球が温暖化して,近いうちに地球
環境や生態系に不可逆的なダメージを与えてしまって,人類の生存に危機的な状況を
招来する。。。という「予測」には,充分に科学的説明が可能な「根拠」が存在する..?


> だって,今回の「洞爺湖サミット」でも,G8間で話合われた重要なテーマですからね..
> 「地球温暖化」対策の問題は。。。「占い師」の予言ではないでしょう,やはり。

前にも一度書きましたけれど,1992年にリオで開催された地球サミットにおいて「予防
原則」と云うのが国際条約として合意されました。。。

> ええ,覚えています。。。
> 「科学的な証拠が完全でなくても,対策を遅らせてはいけないという,科学者の責任
> を明確化した原則」でしたよね...たしか...

です。
つまり,「科学的根拠」が十分でないまま,事態は進行しているのですよ...現状は..

> つまりは「占い」ですか!...「地球温暖化」問題は...!


一種の「流行」になってしまっている現状は否定できません。。。
政治,経済,社会に重大なインパクトを及ぼす問題だけに,「科学的根拠」が不十分な
まま,「家庭でできる温暖化対策」みたいな特番がTVでも放映されている現実に「危険」
な兆候すら感じてしまう...何か戦前の「満州は日本の生命線」みたいなね...

> でも「国際的なコンセンサス」でしょ...「地球温暖化」対策は...

新たな南北問題の火種にならなければ...ですね...

> う~ん...発展途上のインドや中国にとっては,より複雑な問題ですね,確かに...
> ...それで「占いの科学性」とは??


そうだ,脱線してしまいました。。。
昔から気になっていた「流行予知科学」と云う書物を再読していまして,ネットで調べてい
ると少し怪しげで面白いサイトを発見したんです。。。

> 宮本悦也さん...ですか...

ええ,この方のプロフィールが,かなり怪しげで面白いのですよ。。。

> 「少し」から「かなり」に変化しましたね...形容の程度が。


はは...でも何となく気になって調べていると,かなり活動の範囲も広く,いろんな場所
で彼の意見が参照されていたりする...

> 「占い科学?」の分野でも...?

ええ...こんな感じです...


> これは単にディベートの技術について述べているだけでしょう...「占いの
> 科学性」ではなく。。。

そのとおりです。「占い」を「予知」の技術ではなく,「コミュニケーション」
の技術であると捉えてみると,意外と合理的な側面がある事に気がつきました。
そして「科学」も「コミュニケーション」の技術の一つではなかったか,と考え
ました...

> 「真理」ではなく...?

「真理」と呼ばれる事象を人間が本当に認識できるのかどうかは,とても難しい
問題を含んでいると考えています...

> でも「我思う,故に我在り」でしょう...古典的ですが。


問題は「我」と「彼」とのコミュニケーション技術の問題ですよ。。。
「占い」も「科学」と同様に一つの手段です。。。コミュニケーションの...

> 「科学」と「占い」とを同列に扱いたくはないですがね...いくらそうでも。
> で,もう一つの「流行予知科学」とは「科学」ですか,それとも「占い」の一
> 種ですか...?


それですよ,問題は!
「真面目な科学」であると思うが,オカルトっぽい部分も多分にある...
結局,「占い」と「科学」の区別をきちんとつけられないと,結論できない...

> 学生時代に「科学哲学」の勉強をしてませんでしたっけ?。。。Bro は。。。


ポパーやクーンを勉強していた覚えはあるのですが,もう忘れかけています...
あまり勉強し過ぎても,かえって周囲の反感をかってしまう時もあるし...
ビジネスマンとしての実生活の中ではね。。。

> そう云う「中途半端さ」こそが,Bro のBro たる所以ですよ...きっと。

...ですね。(ちょっとだけ反省)


▼ZENZO の note 記事はこちら

【AI時代の錬金学Ⅱ】

https://note.com/zen_kawakami/m/m612f486eeab8

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