私の如き、筋金入りの無神論者が今更の様に宗教について書いてみても、
— 川上 善久 (@zen_kawakami) 2019年4月19日 - 11:44
おそらくは誰にも信用しては貰えまいと想う。
実際、私が2005年10月にBLOGを始めた頃には、人に「読んでもらう」ための文章を書き始めた訳ではない。
— 川上 善久 (@zen_kawakami) 2019年4月19日 - 11:45
『◇Bro ローグ... 初心忘るべからず』
blog.goo.ne.jp/ayakikki/m/200…
ビジネス上の実証実験目的と作文の下手糞な私が、自己修練と考えて始めたBLOGであったが、とにもかくにも『平成』の時代が終わりを告げようとする今日まで続いているのは、私の下手糞な文章に『共感』してくれる読者が少なからず居たからだと思い、改めて感謝の意を述べておきたい。
— 川上 善久 (@zen_kawakami) 2019年4月19日 - 11:48
さて、今回のテーマは無神論者である私に、「宗教心の様な考え」が芽生えた事について、少し書き留めておきたいと考えたのだ。
— 川上 善久 (@zen_kawakami) 2019年4月19日 - 11:49
ただし、「宗教心の様な考え」と言っても既存の宗教ではない。
— 川上 善久 (@zen_kawakami) 2019年4月19日 - 11:52
『人間が生きるという事の意味』についての『私なりの回答』のようなものなので、『単なる妄想』か『読者が価値を感じる』かは、書いている私にはわからない。
私には「新興宗教」を布教させようという意図などないので、これは所謂「人生哲学」と云うやつ、なのかもしれない。
— 川上 善久 (@zen_kawakami) 2019年4月19日 - 11:54
しかし、今年還暦を迎えようとしている私には、今更「人生哲学」など必要
としないし、その様な考えで「想い至った」訳でもない。
私は今『自分の死』について、考えている。
— 川上 善久 (@zen_kawakami) 2019年4月19日 - 12:52
おそらく、こんなに真剣に『人間の死』について考える事は、生まれて以来初めての事だと想うのだ。
私は昨年病気を患って、その事自体は『単なる病気』だと軽く考えていたのだが、人間の知性というものは、何故だか将来について考えたがる。
— 川上 善久 (@zen_kawakami) 2019年4月19日 - 12:54
そうして『この病気』を調べてみると、だんだんと『脳が破壊』されて行き、
悪くすると、あと4~5年で「認知症」段階に至る事もあるらしいのだ。
つい最近のMRI画像では、『病気の進行』がハッキリと確認できるので、自分の
— 川上 善久 (@zen_kawakami) 2019年4月19日 - 12:56
症状についても、昨年より鮮明に自覚する様になった。
『自分の残りの人生』について、意識的に、ハッキリと自覚しながら『日々を生きる』事は、まったくもって、『生まれて初めての経験』なのである。
— 川上 善久 (@zen_kawakami) 2019年4月19日 - 12:57
私の様な人工知能の研究者でもあり、かつ日頃『人間を自然の進化の過程が創りあげたロボットの様なもの』と考えている人間が、『この様な事態』に陥る事は、ある種の天啓であるのかもしれない。
— 川上 善久 (@zen_kawakami) 2019年4月19日 - 13:02
その様な『自分勝手な妄想』すら、私にとって大きな「意味」を持つのである。