最近、仕事やら何やらバタバタしてしまい、ブログの更新がとどこおっていました。
そんなさなか、自分のトラウマ?恐れ?を刺激する出来事に遭遇し、果てしないエネルギーを注ぎ、やっと軟着陸したところです。
今日は、その出来事についてすこし脚色して書きたいと思います。(なので、前回の記事の続きはまた後日)
photo by pakutaso.com
仕事の関係で、面識のないBさんから速達で長文の手紙を受け取りました。内容は私の仕事のパートナーAさんの仕事ぶりについての非難。BさんはAさんの仕事の前任者です。
Bさんは、私にそのAさんを「なんとか説得して仕事のやり方を変えさせるべき」「あなたの考えが聞きたい」とパートナーとしての責任を追及しています。丁寧な言葉遣いではありますが、私は恐怖を感じました。
Aさんは、自由な心の持ち主で、制限のない、安心、大丈夫ベースで生きている人。仕事も自由な発想で進め、誰にダメだしされても全くぶれないタイプです。いつも、楽しそうに、他人を上手に巻きこみながら仕事をしています。
私は、Aさんの考え方に共感しているので彼女のやり方を全面支持する姿勢を鮮明にしています。
Bさんについての知識はほとんどありませんが、Aさんを非難する手紙の文面を見たところ、Aさんとは真逆のタイプなのでしょう。
人間関係の構図はこんな感じですが、私が恐怖を感じたのは、内容よりも、速達の手紙のその「長さ」、「面識のない人間に手紙」を送りつけるという行為、【疑問】【不安】という「マイナスな言葉」がたくさん散りばめられた、そのなんともいえない、切迫した雰囲気です。
言うことを聞かないと、何かされる?
そんな感じを私に抱かせる何かがあったのです。
Aさんに話したら、あっけらかんと「大丈夫だよ。私という人間を知らないんだなぁって思ったけどね。あなたは、何もしなくても大丈夫よ」と、ほとんど反応せず。
えっ?それだけ?
この雰囲気にほとんど反応しない人と、反応する私。
何が違うんだろう。
Aさんは、人の悪意とか、闇とか、そんなものをハナから受け取らない。だから、Bさんは矛先を変えたのかな。
それを受け取る私に。そう、私は、受け取る。私は人の悪意や闇、特に傷ついている人の心の叫びを受信するのです。
なぜ、受信するのかというと、そういう気持ちをわかってあげよう、わかってあげなくてはと、過剰に思ってしまうから。
援助職の落とし穴でもあるでしょう。仕事を通して、そうした叫びをたくさん、たくさん受信しつづけてきた私が、私生活でもそれをやってしまう。思えば仕事だけでもなく、私の周りの友達には、特に傷ついている人も多かった。そして、彼女たちの力になりたいと思い、一緒に悩んできました。
おそらく私も、なんらかの傷を、悪意を、闇を、人よりも余分に抱えてきた人間なのかもしれません。でも、「もう、それをやめよう」とここ数年は、意図的に違う自分に舵を切ってきたのです。
でも舵を切りすぎた?だから、相手に過剰反応する?あなたは間違っている、と私も相手に無意識で言っている?
ここまできてようやく、これは私の問題でもあると気づいたのです。
逆に舵を切った時、私は、かつての自分を排除したのかもしれない。相手の声を聞いて、聞きすぎて、苦しんだ自分を。そして、もしかして、そうした相手の叫び声すら排除しようとしてしまったのかもしれない。
かつての自分も、自分とは違うタイプの相手も排除しなくていいんだと決めて、もう一度Bさんの手紙を読み直しました。
自然と恐怖が消えて、BさんがAさんの批判を通して言いたい、本当の声が、素直に聞こえました。
お願いだから、私のやり方を認めて欲しい。
お願いだから、私の頑張りを見て欲しい。
お願いだから、私の苦しさをわかってほしい。
お願い、お願い、お願いだから。
そんな、悲痛な叫び声でした。
そして、私の中からは、こんな声が聞こえました。
わかりました。
あなたのやり方、あなたの頑張り、あなたの苦しさは、わかりました。
ただ、わたしは、あなたと同じではないのです。
それだけはお伝えします。
あなたはあなたでいい、わたしはわたしでいい。
わたしはそう思っています。
最初は返事を書くことも躊躇しましたが、その叫び声を受信した人間の務めとして、この思いを、全く違う表現のなかに込めて、短い文章の手紙を返信しました。
送ってみたら、やっと排除した自分の一部が戻ってきたようで、少し気持ちが楽になりました。
相手には、届いたのか、届いてないのか。
それは、もう、どちらでもいいや。
かつて、多くの人が私に言いました。
もう生きていても仕方ない。死にたいんです。
手首を切らないと、辛い気持ちをやり過ごせないんです。
あの人のこと、殺してやりたいくらい嫌いなんです。
身の毛もよだつような言葉を、かつての私は、援助者として「なんとかしてあげたい」という緊張のスタンスで聞いていました。今の私なら、相手が本当に言いたいことをただ「わかったよ」と、もう少し落ち着いた気持ちで聞ける気がします。
そんなさなか、自分のトラウマ?恐れ?を刺激する出来事に遭遇し、果てしないエネルギーを注ぎ、やっと軟着陸したところです。
今日は、その出来事についてすこし脚色して書きたいと思います。(なので、前回の記事の続きはまた後日)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/06/92db6664190b43a990518eeb8f1ba5ed.jpg)
仕事の関係で、面識のないBさんから速達で長文の手紙を受け取りました。内容は私の仕事のパートナーAさんの仕事ぶりについての非難。BさんはAさんの仕事の前任者です。
Bさんは、私にそのAさんを「なんとか説得して仕事のやり方を変えさせるべき」「あなたの考えが聞きたい」とパートナーとしての責任を追及しています。丁寧な言葉遣いではありますが、私は恐怖を感じました。
Aさんは、自由な心の持ち主で、制限のない、安心、大丈夫ベースで生きている人。仕事も自由な発想で進め、誰にダメだしされても全くぶれないタイプです。いつも、楽しそうに、他人を上手に巻きこみながら仕事をしています。
私は、Aさんの考え方に共感しているので彼女のやり方を全面支持する姿勢を鮮明にしています。
Bさんについての知識はほとんどありませんが、Aさんを非難する手紙の文面を見たところ、Aさんとは真逆のタイプなのでしょう。
人間関係の構図はこんな感じですが、私が恐怖を感じたのは、内容よりも、速達の手紙のその「長さ」、「面識のない人間に手紙」を送りつけるという行為、【疑問】【不安】という「マイナスな言葉」がたくさん散りばめられた、そのなんともいえない、切迫した雰囲気です。
言うことを聞かないと、何かされる?
そんな感じを私に抱かせる何かがあったのです。
Aさんに話したら、あっけらかんと「大丈夫だよ。私という人間を知らないんだなぁって思ったけどね。あなたは、何もしなくても大丈夫よ」と、ほとんど反応せず。
えっ?それだけ?
この雰囲気にほとんど反応しない人と、反応する私。
何が違うんだろう。
Aさんは、人の悪意とか、闇とか、そんなものをハナから受け取らない。だから、Bさんは矛先を変えたのかな。
それを受け取る私に。そう、私は、受け取る。私は人の悪意や闇、特に傷ついている人の心の叫びを受信するのです。
なぜ、受信するのかというと、そういう気持ちをわかってあげよう、わかってあげなくてはと、過剰に思ってしまうから。
援助職の落とし穴でもあるでしょう。仕事を通して、そうした叫びをたくさん、たくさん受信しつづけてきた私が、私生活でもそれをやってしまう。思えば仕事だけでもなく、私の周りの友達には、特に傷ついている人も多かった。そして、彼女たちの力になりたいと思い、一緒に悩んできました。
おそらく私も、なんらかの傷を、悪意を、闇を、人よりも余分に抱えてきた人間なのかもしれません。でも、「もう、それをやめよう」とここ数年は、意図的に違う自分に舵を切ってきたのです。
でも舵を切りすぎた?だから、相手に過剰反応する?あなたは間違っている、と私も相手に無意識で言っている?
ここまできてようやく、これは私の問題でもあると気づいたのです。
逆に舵を切った時、私は、かつての自分を排除したのかもしれない。相手の声を聞いて、聞きすぎて、苦しんだ自分を。そして、もしかして、そうした相手の叫び声すら排除しようとしてしまったのかもしれない。
かつての自分も、自分とは違うタイプの相手も排除しなくていいんだと決めて、もう一度Bさんの手紙を読み直しました。
自然と恐怖が消えて、BさんがAさんの批判を通して言いたい、本当の声が、素直に聞こえました。
お願いだから、私のやり方を認めて欲しい。
お願いだから、私の頑張りを見て欲しい。
お願いだから、私の苦しさをわかってほしい。
お願い、お願い、お願いだから。
そんな、悲痛な叫び声でした。
そして、私の中からは、こんな声が聞こえました。
わかりました。
あなたのやり方、あなたの頑張り、あなたの苦しさは、わかりました。
ただ、わたしは、あなたと同じではないのです。
それだけはお伝えします。
あなたはあなたでいい、わたしはわたしでいい。
わたしはそう思っています。
最初は返事を書くことも躊躇しましたが、その叫び声を受信した人間の務めとして、この思いを、全く違う表現のなかに込めて、短い文章の手紙を返信しました。
送ってみたら、やっと排除した自分の一部が戻ってきたようで、少し気持ちが楽になりました。
相手には、届いたのか、届いてないのか。
それは、もう、どちらでもいいや。
かつて、多くの人が私に言いました。
もう生きていても仕方ない。死にたいんです。
手首を切らないと、辛い気持ちをやり過ごせないんです。
あの人のこと、殺してやりたいくらい嫌いなんです。
身の毛もよだつような言葉を、かつての私は、援助者として「なんとかしてあげたい」という緊張のスタンスで聞いていました。今の私なら、相手が本当に言いたいことをただ「わかったよ」と、もう少し落ち着いた気持ちで聞ける気がします。