辛いとき、悲しいとき、苦しいとき、落ち込んでいるとき、力強い励ましの言葉で持ち直すことはある。
ただ励ましすら痛いときというのもあって、そういう時には、その落ちている自分、暗くて惨めな自分と同種の波長を持つ音楽とか詩とか絵とか、説明に依らない、そんな何かに静かに寄り添ってもらうことで回復していくこともある。
ひたすら暗かった記者時代、取材と称して、ファミリー向けの「宮沢賢治作品の読み聞かせ会」に参加した。会場は、当時暮らしていた地方の県の中でも、取材で出向くこともめったにないような小さな町。県の中心部から車を走らせると、2時間くらいだった。
ファミリー向けの会なのになぜが夜の開催で、不安な気持ちに駆られながら暗いトンネル、それに続く長い山道を抜けていった。「来た道間違えた?」とさらに不安になった時に、オレンジ色の間接照明に照らされた、木造の、まだ出来たばかりの公民館にたどり着いた。
小さな子供たちが会場を駆け回るような、そんなほのぼのとした雰囲気の中で始まった読み聞かせ会。金沢の語り部の女性の語る「注文の多い料理店」と「風の又三郎」。その郷愁をそそる抒情的な語り口が、自分の心にあったかすり傷をなでてくれるようで心地よかった。
そして、フィナーレで聞いたのが東北訛りの「雨ニモマケズ」。
瞬時に、涙腺決壊だった。学校の教材で、詩集で、テレビで、何度となく聞いた、読んだ「雨ニモマケズ」なのに、何が違うんだろう。家族連れが集う温かい雰囲気の中で、若い女性記者一人、嗚咽しているという不思議な絵。嗚咽しながら、どこか冷静に、この詩の内容、一言一句に共感するわけでもないのに、この魂を揺さぶられる感じは、一体なんだろう、と思った。
帰り道は、同じ暗い山道なのに、なんだか晴れ晴れとして、恐怖なんて感じなかったってことも覚えている。
この話を、後日友人に話したら、自分も全く同じ経験をしたという。医師をしている彼女、家族の事、仕事の事、自分自身の事、いろんなことにもがいている時期に、図らずも「雨ニモマケズ」にやられたという。
そうなんだ。その時気づいた。私も友人も激しい葛藤の中にいて、「雨ニモマケズ」の内容に惹かれたというわけじゃないんだ。そこから立ち上ってくる宮沢賢治の心情、この詩を書いた時に賢治が抱えていたであろう葛藤に激しく共感してしまったということなんだろう。
そう、実は、今の私はやや暗くて、明るい人に会いたくないくらいに落ちている。励ましが少しうっとおしい。
心屋さんの言うところの、小さな「パカーン」を経験はしたけれども、その揺り戻しにあっている時期なのだと思う。
でも、これがフツーだと。当たり前だと。パカーンで掴んだものは宝物だけれど、パカーン以前の私はそれを簡単には納得したくないはずなんだ。以前の私、長く慣れ親しんできた私に少しずつお別れをする時間、それがもしかして今の時間で、それこそが生きる醍醐味なのかもしれないと思ったりもする。
だって、今の私は、そう、宮沢賢治でなくても、いろんなことが心にしみる。テレビ、音楽、誰かの何気ない言葉。順調な時には感じられなかったことが感じられる。見えなかったことが見えるんだもん。あらゆる芸術作品というのは、こういう時のためにあるのだと、改めて気づいたり。
精神的にも肉体的にもボロボロになって記者の仕事を辞めた時。少し問題のあった結婚を決めた時。二人目を作らない自分を認めた時。そのどれもがパカーンではあったけれど、でも振り返れば、何度も揺り戻しが来て、軌道修正して、そしてある程度時間がたって初めて「あの時勇気を出してよかった」ってことになったもの。パカーンのあと揺り戻しがこない葛藤なんて、私にはなかったのだから。
だから、うん、今のパカーンをしっかりと根付かせるためにも、ここはしっかり暗く、落ち込んでおこうと思う。
ひたすら暗かった過去のおかげで、今の私を慰めてくれるツールがたくさんあるというのも、これまたありがたし。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/96/30ca1380b26778d19cf30833201b5428.jpg)
こんなのもまた、読み返そう。(谷川さんのあとがきもまた、圧巻。)
ただ励ましすら痛いときというのもあって、そういう時には、その落ちている自分、暗くて惨めな自分と同種の波長を持つ音楽とか詩とか絵とか、説明に依らない、そんな何かに静かに寄り添ってもらうことで回復していくこともある。
ひたすら暗かった記者時代、取材と称して、ファミリー向けの「宮沢賢治作品の読み聞かせ会」に参加した。会場は、当時暮らしていた地方の県の中でも、取材で出向くこともめったにないような小さな町。県の中心部から車を走らせると、2時間くらいだった。
ファミリー向けの会なのになぜが夜の開催で、不安な気持ちに駆られながら暗いトンネル、それに続く長い山道を抜けていった。「来た道間違えた?」とさらに不安になった時に、オレンジ色の間接照明に照らされた、木造の、まだ出来たばかりの公民館にたどり着いた。
小さな子供たちが会場を駆け回るような、そんなほのぼのとした雰囲気の中で始まった読み聞かせ会。金沢の語り部の女性の語る「注文の多い料理店」と「風の又三郎」。その郷愁をそそる抒情的な語り口が、自分の心にあったかすり傷をなでてくれるようで心地よかった。
そして、フィナーレで聞いたのが東北訛りの「雨ニモマケズ」。
瞬時に、涙腺決壊だった。学校の教材で、詩集で、テレビで、何度となく聞いた、読んだ「雨ニモマケズ」なのに、何が違うんだろう。家族連れが集う温かい雰囲気の中で、若い女性記者一人、嗚咽しているという不思議な絵。嗚咽しながら、どこか冷静に、この詩の内容、一言一句に共感するわけでもないのに、この魂を揺さぶられる感じは、一体なんだろう、と思った。
帰り道は、同じ暗い山道なのに、なんだか晴れ晴れとして、恐怖なんて感じなかったってことも覚えている。
この話を、後日友人に話したら、自分も全く同じ経験をしたという。医師をしている彼女、家族の事、仕事の事、自分自身の事、いろんなことにもがいている時期に、図らずも「雨ニモマケズ」にやられたという。
そうなんだ。その時気づいた。私も友人も激しい葛藤の中にいて、「雨ニモマケズ」の内容に惹かれたというわけじゃないんだ。そこから立ち上ってくる宮沢賢治の心情、この詩を書いた時に賢治が抱えていたであろう葛藤に激しく共感してしまったということなんだろう。
そう、実は、今の私はやや暗くて、明るい人に会いたくないくらいに落ちている。励ましが少しうっとおしい。
心屋さんの言うところの、小さな「パカーン」を経験はしたけれども、その揺り戻しにあっている時期なのだと思う。
でも、これがフツーだと。当たり前だと。パカーンで掴んだものは宝物だけれど、パカーン以前の私はそれを簡単には納得したくないはずなんだ。以前の私、長く慣れ親しんできた私に少しずつお別れをする時間、それがもしかして今の時間で、それこそが生きる醍醐味なのかもしれないと思ったりもする。
だって、今の私は、そう、宮沢賢治でなくても、いろんなことが心にしみる。テレビ、音楽、誰かの何気ない言葉。順調な時には感じられなかったことが感じられる。見えなかったことが見えるんだもん。あらゆる芸術作品というのは、こういう時のためにあるのだと、改めて気づいたり。
精神的にも肉体的にもボロボロになって記者の仕事を辞めた時。少し問題のあった結婚を決めた時。二人目を作らない自分を認めた時。そのどれもがパカーンではあったけれど、でも振り返れば、何度も揺り戻しが来て、軌道修正して、そしてある程度時間がたって初めて「あの時勇気を出してよかった」ってことになったもの。パカーンのあと揺り戻しがこない葛藤なんて、私にはなかったのだから。
だから、うん、今のパカーンをしっかりと根付かせるためにも、ここはしっかり暗く、落ち込んでおこうと思う。
ひたすら暗かった過去のおかげで、今の私を慰めてくれるツールがたくさんあるというのも、これまたありがたし。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/96/30ca1380b26778d19cf30833201b5428.jpg)
こんなのもまた、読み返そう。(谷川さんのあとがきもまた、圧巻。)