すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

年末と掃除とダンナ。

2014-12-25 11:46:49 | ひとりごと
年末年始の大掃除は、ここ数年、ダンナの仕事になっている。台所まわり、お風呂、窓拭き、その他もろもろ。お願いするまでもなく次々やってのける。

仕上がりは多分完璧ではないのだろうけど、まあ、我が家的には十分なレベルだ。

私は、脇でおせちを作る、わけでもない。トイレ掃除だけやって、あとは、スマホ見たり、テレビ見たり、本読んだり。ソファでゴロゴロしながら、夫の掃除が終わるのを待っている。

息子は、時々、夫の手伝いをしたり、邪魔したり、私とじゃれあったりしている。


心屋さんのブログのこの記事を読んで、これ、まるきりあたしのことだ、と思った。

私、妻としても、嫁としても、かなり偏差値低い。

家事も掃除も、あんまり好きではない。甲斐甲斐しい奥さんとはほど遠い。40才を超えて体調の揺れも結構あって、面倒くさがり屋に拍車がかかっている。時々馬鹿みたいに張り切る事はあるけれど、それもブームの類にすぎない。

だいたいはダンナより早く寝て、ダンナより遅く起きて、毎日の朝食の準備も、いつからかダンナが担当するように。私は、幼稚園の手抜き弁当で、ひと仕事した気分でいる。

ダンナの家事力と甲斐甲斐しさ力はますます上がり、それに比例して私はどんどん面倒くさがり屋のダメ主婦になっていく。

まだ、結婚が具体化してなかった頃、

「奥さんは、別に家事とかしなくてもいいって思うけどね」

なんて、ダンナは言ってた。

一般論として言ってる風を装い、まさに私に言ってるのは理解して、「そんな話を真に受けるほどバカではないぞ」と、苦笑いして聞いていた。

新婚時代は、優秀な奥さんとは、家事がしっかりできて、働き者で、ダンナさんに甲斐甲斐しくする人のことを言うんだ、という常識を元に、優秀な奥さんをめざした。かな?!

家事も、仕事も、一生懸命やった。私なりにだけれども。

でも、振り返れば、私が一生懸命だった時代は、夫婦の間によく問題が起きた。問題を起こすのは常にダンナで、私は正義や常識を振りかざし、徹底的にダンナを責めた。

責められる担当のダンナに、数えきれないくらいの回数謝られたけど、その謝罪に満足したことはなかった。

問題を起こしたのはダンナだけれど、その問題を問題としてわざわざ問題視して、過剰反応したのは私だったな、と今になるとわかる。

最近、ようやく、息苦しい夫婦のあり方が、少し緩んだ。

夫自身も多分、緩みつつある。独身時代には人並みにあった物欲を「結婚」のために諦めたみたいだったけど、少し復活した。

実用的ではない、10万もするカメラが欲しいから、お小遣いを貯めて買うのだとか。家計から出してあげても、と一瞬思ったけれど、「貯めて買う」体験を楽しんでいる感じなので口を噤んだ。

そして、数年は横ばいだったり下降気味だったボーナスや給料が、ここに来て不思議と少し上向いた。

これも、私が、自分の義務を思い切って減らして、私が緩んだおかげ、なんて勝手に思っている。


大掃除に忙しいダンナに、

「あたし、やっぱりあんまり家事好きじゃないんだよね。どんどん面倒くさくなるよ」

と言うと、ダンナのやつ、

「ま、俺の方が長生きできたら、やってあげられるからいいけどなー。先に死んだら困るよな」

だって。

笑った。

できない妻を地でやると、なぜかダンナが元気になって張り切るのが笑える。

この人、本当に、奥さんは何にもしなくていいって思ってて、それ嘘じゃなかってこと?

まあ、どっちでもいいや。私が楽なら。ただね、私、一人になったらそれはそれでちゃんとやれるんだよね。これは、内緒にしとくけど。


私が子どもの頃、亡くなった父がよく言っていた。

「お前のダンナになる人は大変だぞ。気分屋で面倒くさがり屋で。なーんも文句言わない人じゃないとダメだな」

お父さん、私、どうやらその予言通りの人と結婚したみたいです。


少し、ノロケも入った今日のひとりごとでした。

メリークリスマス(*^^*)