帰省中です。
大学時代の親友と、5年ぶりくらいに再会。彼女のおうちを、息子と2人で訪ねました。
私の昔からの友だちには、プチマイノリティーというか、世間的にはさまざまな負い目や障壁を持っている人、心理的葛藤を抱えている人が結構多いのですが、彼女は異例。
20代後半で大学時代の先輩と結婚して、早々と2人の子どもを設けた彼女。今は、好きな仕事をしながら、「ほったらかし」という愛情を子どもたちに注いでいます。
4歳のうちの息子を見て「かわいい。なつかしいな」と目を細めながらも、決して「こんなときが一番いいよ」なんてことも言わない。
大きくなった自分の子ども達との「今」の関係を素直に楽しんでいるのがわかります。
彼女の人生、結婚生活に、それなりに波風がたった時期はあるのですが、それらはすべて彼女をぶっ壊すレベルのものでもなかった。すべてがちゃんと、もとあった彼女の人生の定位置に、より良いものになって戻っていきました。
今年は、なぜかそんな彼女に会いたくなって、彼女との再会の約束を取り付けたのでした。
大学時代は親友だったのに、しばらくは彼女との付き合いに積極的ではなかった自分に気付きました。
彼女の安定感と、力の抜けた感じが、私にはしっくりとこなかったということかもしれません。
それが、やっと、しっくり来るレベルまでに、私が安定し、脱力したのだということかな。いわば、私が彼女に少しだけ追いついたということなのでしょう。
5年ぶりに会ったというのに、お互いの近況報告はものすごく簡潔で、子どもたちが盛り上がるゲームの話をしたり、愛犬の話をしたり、出してもらったおやつの話で盛り上がったり。
もちろん、お互い何かを隠していたり、遠慮している、という感じでもない。
ただ、目の前にあるものを話題にして、ただ一緒に時間を過ごすというだけでした。こんな時間を友だちと過ごす自分に、それが平気になっている自分に、ただただ驚くばかりでした。
友だちの愚痴を聞く。友だちの悩みを聞く。友だちにいい時間だったと満足してもらう。そして、相手に見合うように、自分の愚痴も言う。
いつもいつもではないけれど、友だちと会うのに、私にはそんな理由が必要なのだと思い込んでいたのかもしれません。無意識に。
疲れるはずですよね。身構えるはずですよね。こんな理由が必要だと思っていたら。
彼女のおうちを後にして、一緒にいるだけで心地よい関係というものがあるのだなあ、ということにしみじみ思いを馳せました。彼女は私にとって、そういう友だちだったのです。
彼女の前ではただ、自分が楽しめば、それだけでよかった。友だちを満足させようとする必要なんて、偽悪的に振舞う必要なんて、なかったのです。
共通の話題とか趣味とか、似通った境遇とか、そんなものを必ずしも必要としない、心の同調作用によってつながる関係、その安らぎ。
今の私が、強く彼女に会いたくなったのは、そんなことを確かめたかったからなのだな、と思ったりしています。
photo by pakutaso.com
大学時代の親友と、5年ぶりくらいに再会。彼女のおうちを、息子と2人で訪ねました。
私の昔からの友だちには、プチマイノリティーというか、世間的にはさまざまな負い目や障壁を持っている人、心理的葛藤を抱えている人が結構多いのですが、彼女は異例。
20代後半で大学時代の先輩と結婚して、早々と2人の子どもを設けた彼女。今は、好きな仕事をしながら、「ほったらかし」という愛情を子どもたちに注いでいます。
4歳のうちの息子を見て「かわいい。なつかしいな」と目を細めながらも、決して「こんなときが一番いいよ」なんてことも言わない。
大きくなった自分の子ども達との「今」の関係を素直に楽しんでいるのがわかります。
彼女の人生、結婚生活に、それなりに波風がたった時期はあるのですが、それらはすべて彼女をぶっ壊すレベルのものでもなかった。すべてがちゃんと、もとあった彼女の人生の定位置に、より良いものになって戻っていきました。
今年は、なぜかそんな彼女に会いたくなって、彼女との再会の約束を取り付けたのでした。
大学時代は親友だったのに、しばらくは彼女との付き合いに積極的ではなかった自分に気付きました。
彼女の安定感と、力の抜けた感じが、私にはしっくりとこなかったということかもしれません。
それが、やっと、しっくり来るレベルまでに、私が安定し、脱力したのだということかな。いわば、私が彼女に少しだけ追いついたということなのでしょう。
5年ぶりに会ったというのに、お互いの近況報告はものすごく簡潔で、子どもたちが盛り上がるゲームの話をしたり、愛犬の話をしたり、出してもらったおやつの話で盛り上がったり。
もちろん、お互い何かを隠していたり、遠慮している、という感じでもない。
ただ、目の前にあるものを話題にして、ただ一緒に時間を過ごすというだけでした。こんな時間を友だちと過ごす自分に、それが平気になっている自分に、ただただ驚くばかりでした。
友だちの愚痴を聞く。友だちの悩みを聞く。友だちにいい時間だったと満足してもらう。そして、相手に見合うように、自分の愚痴も言う。
いつもいつもではないけれど、友だちと会うのに、私にはそんな理由が必要なのだと思い込んでいたのかもしれません。無意識に。
疲れるはずですよね。身構えるはずですよね。こんな理由が必要だと思っていたら。
彼女のおうちを後にして、一緒にいるだけで心地よい関係というものがあるのだなあ、ということにしみじみ思いを馳せました。彼女は私にとって、そういう友だちだったのです。
彼女の前ではただ、自分が楽しめば、それだけでよかった。友だちを満足させようとする必要なんて、偽悪的に振舞う必要なんて、なかったのです。
共通の話題とか趣味とか、似通った境遇とか、そんなものを必ずしも必要としない、心の同調作用によってつながる関係、その安らぎ。
今の私が、強く彼女に会いたくなったのは、そんなことを確かめたかったからなのだな、と思ったりしています。
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