木下まこと氏のメッセージ
ブログ転載http://ameblo.jp/kinoshita-makoto/day-20110726.html
言霊(ことだま)ってありますね。お聞きになられたことはあるかと存じます。
言葉に宿る霊力ですが、これは例えば、美味しいステーキがあったとして、
あったとして、、、明りのあるところでは、まず視覚的にその美味しそうなステーキを認識することができます。
そしてさらに、人間には嗅覚がありますから、真っ暗闇でもその発する香りで「あ、おいしそうだな」などと
味覚を先行的に判断することができます。
香りの正体というものを簡単に言うと、例えばステーキならステーキ本体の微粒な分子です。
言霊にはこの香りの分子に似た側面もあり、言霊の発する香りといいますか色彩といいますか、
そういうものから本体の正体を探ることも可能です。
それは、ある人の思想的な部分を、その発される言葉の端々にやどる言霊を嗅ぎ分けて探ることができるということです。
ですから、たとえば菅総理の発する言葉、そこに宿る言霊の香りを嗅ぎ取って、
味わう前に先行的な判断を行うことができます。そして菅総理誕生のもっと前に、
民主党さんの発する臭いをかぎ分けて、、、
これは大変だ!このまま政権交代がなされれば日本に国難が訪れる!
といって全国的に立ち上がったのが私ども幸福党です(^∇^)
ところが急ごしらえの政党で力及ばず、
現在の政治体制に移行してしまったわけですが、、、(ノ_-。)
その結果徐々に国民全員で辛酸を舐め味わうかのような事態に突入しつつあると、
今なお、警鐘を鳴らしつづけています。
突入しつつある、と書きました。
この方を放置しておけば、さらなる国難を招きます。
それはもはや、今までに個別に発された政策レベルの問題を言っているのではありません。
私どもがある意味しつこいほどに菅総理退陣のデモや街宣活動を繰り返している理由は、
彼の人に国民を不幸に導く思想的な間違いがあることを、強烈に感じとり、
見抜いているからなのです。
ただ、それをそのまま演説で言ってもなかなか伝わりずらいこともありますから、
個別の政策について一つ一つ批判をする作業を行っています。
しかし、本質的なところの危機感としては、もっと大きなものを感じています。
さて、思想によって人を差別することは憲法で禁じられています。
しかし、どんな思想を持った人間も差別されないかといえば、
現実的にはケース・バイ・ケースです。
たとえばテロ行為などを働くことをもよしとする思想の持ち主が、
差別された!といってまかり通る範囲は無限ではありません。
その表現行動については実質的には別の法律で制限されています。
他者の自由を侵害するところの狭間で、それは別途制限されます。
政治家について言えば、その思想によっては当該人物を差別することは禁じられていますが、
選挙において思想を持った政治家を選別する自由、ふるいにかける自由は束縛されていません。
これは、国民が主権を行使する権利であり義務でもあります。
先の予算委で示されました
「民主党マニフェストやっぱりできないよ答弁」に象徴されますが、
これからは私たち国民は、政策とあわせてさらにその根本の「政治思想」を見抜いた選挙投票を
行わなければならない時代に突入しました。
それは奇しくも、政策選挙を標榜した民主党さんが「マニフェスト」ならぬ
「詐欺フェスト」で国民を欺いた事実によって、
表向きの政策のみならず政治思想にまで踏み込んだ政治選択がいかほどまでに重要であるか
ということを示した「政権交代」の果実であるかもしれません。
幸福実現党と木下まことは今後も、
国益向上と国民の真なる幸福実現の思想を主柱とした政策を皆様方にお訴えし続けて参ります!
それでは、また!
ブログ転載http://ameblo.jp/kinoshita-makoto/day-20110726.html
言霊(ことだま)ってありますね。お聞きになられたことはあるかと存じます。
言葉に宿る霊力ですが、これは例えば、美味しいステーキがあったとして、
あったとして、、、明りのあるところでは、まず視覚的にその美味しそうなステーキを認識することができます。
そしてさらに、人間には嗅覚がありますから、真っ暗闇でもその発する香りで「あ、おいしそうだな」などと
味覚を先行的に判断することができます。
香りの正体というものを簡単に言うと、例えばステーキならステーキ本体の微粒な分子です。
言霊にはこの香りの分子に似た側面もあり、言霊の発する香りといいますか色彩といいますか、
そういうものから本体の正体を探ることも可能です。
それは、ある人の思想的な部分を、その発される言葉の端々にやどる言霊を嗅ぎ分けて探ることができるということです。
ですから、たとえば菅総理の発する言葉、そこに宿る言霊の香りを嗅ぎ取って、
味わう前に先行的な判断を行うことができます。そして菅総理誕生のもっと前に、
民主党さんの発する臭いをかぎ分けて、、、
これは大変だ!このまま政権交代がなされれば日本に国難が訪れる!
といって全国的に立ち上がったのが私ども幸福党です(^∇^)
ところが急ごしらえの政党で力及ばず、
現在の政治体制に移行してしまったわけですが、、、(ノ_-。)
その結果徐々に国民全員で辛酸を舐め味わうかのような事態に突入しつつあると、
今なお、警鐘を鳴らしつづけています。
突入しつつある、と書きました。
この方を放置しておけば、さらなる国難を招きます。
それはもはや、今までに個別に発された政策レベルの問題を言っているのではありません。
私どもがある意味しつこいほどに菅総理退陣のデモや街宣活動を繰り返している理由は、
彼の人に国民を不幸に導く思想的な間違いがあることを、強烈に感じとり、
見抜いているからなのです。
ただ、それをそのまま演説で言ってもなかなか伝わりずらいこともありますから、
個別の政策について一つ一つ批判をする作業を行っています。
しかし、本質的なところの危機感としては、もっと大きなものを感じています。
さて、思想によって人を差別することは憲法で禁じられています。
しかし、どんな思想を持った人間も差別されないかといえば、
現実的にはケース・バイ・ケースです。
たとえばテロ行為などを働くことをもよしとする思想の持ち主が、
差別された!といってまかり通る範囲は無限ではありません。
その表現行動については実質的には別の法律で制限されています。
他者の自由を侵害するところの狭間で、それは別途制限されます。
政治家について言えば、その思想によっては当該人物を差別することは禁じられていますが、
選挙において思想を持った政治家を選別する自由、ふるいにかける自由は束縛されていません。
これは、国民が主権を行使する権利であり義務でもあります。
先の予算委で示されました
「民主党マニフェストやっぱりできないよ答弁」に象徴されますが、
これからは私たち国民は、政策とあわせてさらにその根本の「政治思想」を見抜いた選挙投票を
行わなければならない時代に突入しました。
それは奇しくも、政策選挙を標榜した民主党さんが「マニフェスト」ならぬ
「詐欺フェスト」で国民を欺いた事実によって、
表向きの政策のみならず政治思想にまで踏み込んだ政治選択がいかほどまでに重要であるか
ということを示した「政権交代」の果実であるかもしれません。
幸福実現党と木下まことは今後も、
国益向上と国民の真なる幸福実現の思想を主柱とした政策を皆様方にお訴えし続けて参ります!
それでは、また!