理想国家日本の条件 さんより転載です。
なぜ「鬼滅の刃」の感想記事を取り下げたか?~ホントにあるぞ、憑依のこわい話~
https://note.com/boysoprano/n/n42fdca3210ba
2020/11/22 11:24 抜粋
今や邦画の興行収入ランキング堂々の上位に勢いよく突っ込んでゆく大ヒット作品になりました「鬼滅の刃」。
この「鬼滅の刃」を切り口にして、今回はお読み下さる方々にお伝えしたいことがあります。
さて、お知らせにも短くご報告しておりますが、私は以前「鬼滅の刃」を見た感想をとても楽しく
ひとつの記事にまとめ、こちらのアカウントで公開させていただきました。その際、お読み下さった方もおられるかもしれません。
「もしもスピリチュアルおばさんが『鬼滅の刃』を読んだら」というややおふざけのタイトルでしたね。
書くのも楽しかったですし、考察も夢中になりました。
ところが、私はその後の思わぬ展開によりこの記事を取り下げざるを得なくなりました。
とにもかくにも、まずはこちらをお読みいただきたい。
\ ドン /
『鬼滅の刃』ブームとスピリチュアルな背景|無限列車編の流行
リンクにつきましては、「宇宙の兄弟たちへ」さんよりありがたくもご許可いただきました。洪正幸先生ありがとうございます。
「鬼滅の刃」ファンの皆様にとっては、なかなかに衝撃的な記事だったのではないでしょうか。
実は私にとっても相当衝撃的でした。
私はとにかく正直者で慈悲深い主人公の炭治郎がとても好きで、それだけで鬼滅が好きになったと言っても過言ではありません。ですから、炭治郎の言動の端々から色んなことを考え、ポジティブに解釈したものでした。
なので「どんな作品にもポジティブな読み方はある!」を信条にしていた私にとって「低級霊界に通じている」という霊視はとても悲しくショックだったのです。
特に、記事をお読み下さるとコメント欄が非常に盛り上がっているのがお分かりになりますよね。話題の作品ですからとても注目度が高く、否定的な意見から肯定的な意見まで非常に様々でした。ですが私は記事の内容はさることながら、このコメント欄での意見の相違が無闇やたらと心痛む有様に見えて余計に悲しくなってしまったのです。
けれど、頭のどこかで冷静な自分もいました。
「なんでそこまで過剰に感情的に反応しているの?」と。
「いやいや!なるべく冷静に記事を読もうとしているよ!?決して感情的な感想を抱こうなんてつもりはないし…」
「『なるべく冷静』にならなきゃいけない時点で既に動揺してるじゃん。なんで?」
「…動揺してるかな?」
「してるしてる。
一度ちゃんと、どうしてそこまで悲しくなるのか確かめてみてよ。何か理由があるはずだよ」
脳内自分会議(と自分で命名)の結果、私は一度自分の内面をよく感覚的に観察してみることにしました。
いわゆる「瞑想」のようなものです。理屈だと簡単に自己弁護に置き換わってしまう為、自分の本心を確かめるには頭を鎮めて心の感覚だけを頼りに自分自身を観察してみる必要がありました。
その結果、私は自分が本当に憑依されていたことに気付いたのです。
感覚の世界のことですから、うまく言葉にはなりません。
しかし、私のなかから黒い不気味なナマコのような異物が現れ「なんで見破った」「どうして気付いた」「悔しい」などと唸りながら正体を現した時の恐怖と言ったら、その辺のホラー映画の比ではありませんでした……
自分のなかに「自分じゃない何か」が棲みついて、長い間好き放題やっていたんですよ!!??
怖いやら悔しいやら、敢えてお行儀悪くなりますけれど「テメ~~~~!!!二度と来んなよコノヤロー!!!」くらいのことは言わせていただきました。
物理的に証明できる話ではありません。そこは申し訳ありません。霊的な話なので仕方がない。
けれど体験した側から言わせていただくと
「憑依は現実にあります」
「エンターテイメント作品を通じて入ってくるれっきとした仕組みがあります」
このあたりをどうももう少したくさんの方に知っていただく必要があるのではないかと思います。
①そもそも憑依とは?
「自分自身の悪い部分と共通する『他存在』が、引き寄せられて入ってくること」
「自分の心身に入り込んだ『他存在』に影響され、自分本来の思考や感情のコントロールが奪われること」
極力シンプルに説明すると、これが憑依です。
人間は元々肉体という物質というよりは、もっと霊的な存在になります。
魂という核があり、それが肉体という入れ物に入り、魂の想いと肉体の本能を両手に抱えている精神があります。
そして肉体が絶えず他の動植物をいただくことで成り立っているように、精神もものすごくたくさんの干渉を受けて生きているのです。
干渉と書くと少々怖いですが、良い干渉を受けるか悪い干渉を受けるかは自分で選ぶことができます。
肉体の健康のために栄養があって新鮮なものを食べるか、インスタント三昧になるかはお財布と相談のうえで選択できますよね。精神も同じなのです。
「波長同通の法則」という言葉があります。これは全てのものを「波動」という目に見えない振動でできているという精神世界の理解の仕方を元にした考え方になりますが…
私たちの想いは全て波長となってあらゆるところへ届いています。
そして、軽くて暖かく明るい波動は素敵な出来事や環境を招き、重くて冷たく暗い波動は悲しく辛い現象や存在を招き寄せてしまうのです。
私たち人間はかなり不安定な存在ですし、生きているこの世界も不安定です。
なので常にハッピーでいるなんてことは相当修行を積まなければ難しいのですが、習慣的な思考や好んで接する人々やモノ、そして音楽や映像などの作品などからはかなり継続的に波動の影響を受けているようなのです。
つまり「習慣や好むモノが私たちの精神状態に大きく影響する」わけですね。(まあ、クラシックや西洋絵画が好きざぁ~ますと言いながら意地悪なことばかり考えていてもダメでしょうし、俺ァヘヴィーメタルしか聴かないぜヒャッハー!なおっちゃんが捨て猫を拾ってしまったりもするでしょうから一面だけ見て他人の判断をするのは危険ですが)
そこでちょっと最近の流行作品などに目を向けてみてください。
新感覚の映画として非常に話題となったゾンビ映画「カメラをとめるな!」
人間を食らう巨人を倒しながら世界の大きな謎に迫っていく「進撃の巨人」
私たちは食料として育てられた!?自由を求めて戦う子供たちの物語「約束のネバーランド」
そして、歴史的上位に食い込むほどの単行本売り上げ・興行収入を記録しつつある「鬼滅の刃」………
これらは全てかなり最近ヒットした作品ばかりですが、何らかの共通点…といいますか、流行するタイプの傾向が見えてきますね。
―――私たちの日常に潤いを与えてくれるはずのエンターテイメントに、いつからこれほど「食人」などの過激な描写や不浄の存在が溢れるようになったのでしょう?
②作品から憑依を受ける仕組み
作家が世界への悪意をもって作品に取り組むことなんて、恐らく99.9%はないはずです。
どの作者様も、感性を研ぎ澄ませ自分の人間性を最大限に練り上げて世に名作を残してきたわけで、我が子のように手塩にかけたであろうことは想像に難くありません。
ですが、霊的に言えば「100%自力で」造られたものもまたありません。
①で言及した通り、私たち人間は霊的存在であり非常に多くの他存在から常に干渉を受け続けています。守護霊さまが後ろにいてお母さんの如く24時間365日見守ってくれていたり、はたまたちょっと仲違いした知人から延々と恨みのエネルギーを送られていたり、人生けっこうそんなんばかりのようですね。
作品を世に生み出す際にもインスピレーションや原動力など、一人の作家にたくさんのエネルギーが干渉していることと思います。
ざっくりとしたイメージですが、クラシック音楽や名画を見た時神聖な想いに満たされるのは恐らく天界や高級霊界からのエネルギーが込められているからであり、ちょっと荒んだ音楽や不気味な絵を見たあと嫌な夢を見たり気分が落ち込むのは低級霊界からの波動を作品経由で受け取ってしまったのでしょう。
ここで表題の「鬼滅の刃」に話を戻しますが、ではなぜ私が鬼滅からの縁で憑依を受けたと確信できたかを説明します。
リンク先記事やコメント欄、その他いただいた情報からは「日本の歴史において恨みを募らせた<黒鬼>が現代社会に取り入ろうとして作品にインスピレーションを与えている」という概要が分かってきました。
鬼にも様々あるようですが、この<黒鬼>は恨みや無念を募らせたかなり恐ろしいものだそうで私が内観で憑依に気付いた際「黒くて怨嗟の想いに満ちたモノ」が発見された為、かなり共通していると思いました。
また、憑依を見破る直前に私は強く感情を揺さぶられたことから違和感に気付きました。感情を揺さぶられる理由が「作品についての評価をめぐる多数の言葉」によるものでしたから、明らかに「この作品」について「受け入れさせよう」と強く働きかける憑依存在の意図がそこに働いていたのです。
では、どうやってその<黒鬼>が私のなかに入ってきたのか?
困ったことですが、なんと「感動」「同情」を通じて入ってきたのです。
~~ここから具体例~~(「鬼滅の刃」アニメ19・20話 那田蜘蛛山編からエピソードをお借りします)
☆那田蜘蛛山編あらすじ☆
大勢の鬼殺隊員がとある山の任務で行方不明になっていることから、新人隊士である主人公たちにも現場に直行するよう指示が下ります。
そこで出会ったのは蜘蛛の鬼の家族でした。非常に強力な鬼の「累」は、重い病気に苦しんでいたところを付け入られ鬼に変化してしまい、家族まで殺めてしまいます。その深い苦しみから、累は手下の鬼たちに偽物の家族を演じさせていたのです。
そこへ現れたのは主人公の炭治郎と、鬼と化しながら人の心を保ち共に戦う禰豆子の兄妹。信頼し合う本物の家族の絆を欲しがる累に追い詰められますが、どうにかギリギリのところで助太刀も入り撃退します。
炭治郎は、家族への後悔と無念に苛まれる累に同情し、消滅の際に背を撫でてやります。累は朦朧とした意識の中、自分を許し共に地獄へでも行くと励ましてくれる両親に謝りながら消滅したのでした。
あえてアニメ版を参考にご説明したのは、アニメ版ならではの演出があまりにも見事(…な憑依のウェルカムゲート)だったので具体例として分かりやすいと思った為です。
このシーン、引きずられない自信がお有りなら…ですが、ご覧いただくといかに人情が揺さぶられるかよくご理解いただけると思います。
原作もさることながら、声がつき表情が動くと鬼の過去があまりにも憐れに感じられ、その鬼の哀しみを汲み取ってやろうとする主人公の優しさをとても尊いものに感じられます。
ですが、ここが危ない。
ここで敢えて一切の豊かな表現を削ぎ落して、原因と結果だけをまとめてみましょう。
☆原因☆
病気が治らないところ、怪しげな男に怪しげな治療を進められた<悲しいが家族ぐるみの判断ミス>
↓
<<<鬼化>>>
↓
鬼と化した子供が食人衝動を持つようになる→親、責任をもって心中を決意<判断ミスによる悲壮な結果>
↓
逆上して親を殺害<親殺しという最大級の罪>
↓
罪の意識を正当化する怪しげな男の部下になり、完全に鬼の道へ<罪の清算を拒み、悪の価値観を選ぶ>
↓
征伐される際、両親とともに地獄へ<なんと自分のみならず両親までも低級霊界へ道連れに>
☆結果☆ 死後の世界にまで罪を塗り重ねてしまう事態に……
冷静に見ると「やっちまったなァ~~~」ということばかりなのですが、このシーンを視聴者は感動の涙を流してみているわけなのです。なぜなら、鬼が憐れだから。そして、鬼をも憐れむ主人公の優しさに共感するから。
ここで明らかにしますと、恨みや無念を募らせた低級霊存在たちが私たちに取り入ろうとする時に使う手段は
「同情」「憐れみ」「恐怖」
この辺を主に使うようです。
「鬼滅の刃」の最も特徴的なところは、鬼たちの背景も登場人物と同じくらいのウエイトを割いて丁寧に描写し、そのドラマに深みを与えているところです。
それ以外は、清く正しい主人公が努力によって強くなり、世の中を救うというジャンプ漫画の正統なテンプレートを踏んだ王道の作品であるわけです。そして、親しみやすく応援したくなる主人公たちのなかに、鬼たちへの理解や憐れみが生まれているとしたら…?
低級霊界からのインスピレーションや、闘争本能を煽り荒々しい心を励起してしまうような作品なんてものは昔からあるのです。
ゾンビをヘッドショットしながら進むようなゲームも有名なナンバリング作品が幾つかあるでしょうし、テレビやネットの画面を見れば武器をもったヒーローの姿が幾らでも目に入ります。
そうして日々の楽しみのなかに身を潜めた低級霊界は「力によって憂さを晴らしたい」「後ろめたいことでも同情して受け入れてもらいたい」などの割と誰の心にもありそうな窓口を叩いてはどうにか私たちの意識の中に食い込もうとしてきました。それこそ何年も、何十年もかけて。そして、残酷さや不気味な世界を描いた作品が巷に溢れる現代に至った今、「鬼滅の刃」という大ヒット作が生まれました。
子供たちが日輪刀(仮)を振り回して呼吸の型を使い、大人たちはそんな子供らを連れて映画館に出かけ血がたくさん出る映画を一緒に興奮しながら鑑賞する。たくさんの無垢な目にも、「子供の頃の思い出」に不気味な鬼たちの姿が「同情できる背景を持った相手」として刻まれてゆくのであります。
その内のどれだけの人が憑依に至るほど影響を受けるかは勿論分かりませんが、何も知らずに無防備に受け入れて良いものかどうか、少しばかり疑問を持っていただける図ではないでしょうか。
③憑依を受けてどうなった
「人間は霊的存在であり、良い影響も悪い影響も常に受けている」
「アートやサブカルチャーなどからも大いにエネルギーをもらう」
ここまではご理解いただきやすい範囲かと思います。しかし、
「憑依なんて気のせいじゃない?見たものに影響される程度で何だっていうのさ。」
という疑問が胸をかすめる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
では、憑依がどれほど現実に影響を及ぼすか。どれほど人を変えてしまうのか。参考になれば良いのですが、私が憑依を受けている間の変化についてお話します。
私が「鬼滅の刃」を喜んで購読・視聴するようになりしばらくが経っていました。
日常は表面上、何の変哲もなく流れていきました。しかし、あまりに「変哲もない」ことに違和感も感じていました。
何を見ても、何を食べても、何を体験していても、ラップが張られたものを触っているかのように現実感が薄く、感情の起伏がなくなっていたのです。子供がどんなに可愛い仕草をしてくれても、どんなに感動的な言葉を読んでも、理性の部分ではそれを喜んでいるのですが肝心の感情や感覚が麻痺しかけていたのです。
身体的にはしつこい疲労感に苛まれていました。元々疲れやすい体質ではありましたが、少しの時間でもあれば休みたい。肩から背中にかけて重たく固い肩コリがあり、重力が強くなったかのような感じが常にありました。
一番自分でも戸惑ったのは、人格に変化が出たことです。
せっかちで粗雑なところは元々ありましたし、子供がよくないことをすればつい怒ってしまうこともありました。しかし、「時間を守らない」「約束通りのことができない」など、ルールにやたらと厳しくなって一度叱る際に何回もネチネチとしつこい叱り方をするようになっていたのです。どうしてこんな粘着質な物言いが出てくるんだ!?と内心自分でも驚くシーンがありました。
甘やかし過ぎていたほどの仲良しの娘が、一度だけとうとう「ママ、こわい」と後退りしてしまったことすらありました。
その時は自分でも内心ショックで、「やってはいけないことを教えたいだけなのに、どうしてこうなってしまうの?」とその場から動けなくなってしまいました。
ちょうど、その頃だったのです。
冒頭でリンクを張らせていただいた、あの「鬼滅の刃」への警告を載せた記事を読んだのは。
そうして自分でも危機感を抱き、深く内観した私は自分の精神のなかに居座る黒いナマコのような異物を見つけ、恐怖しながらも敢えて意思を固くし「みつけたぞ」と宣言すると、その黒いものは一度引き下がっていったのです。
その後、憑依存在を追い返した正にその夜から私の生活はいきなり元のテンポを取り戻しました。
五感が戻り、風の匂いや視野の明るさが繊細に感じられるようになりました。子供が可愛くていとおしくて仕方がなくなり、抱っこが止まらなくなりました。あのしつこかった疲労感や肩こりですら、突然スッと軽くなったのです。
「何をやってもつまらない、楽しくない」つい先ほどまでの時間をこうして振り返ってみると、あまりの違いにゾッとしてしまいました。本当に、私はあの憑依存在に自分の人生をコントロールされかけていたのです。
自殺やうつ病は、憑依が原因のものも多くあると聞きます。
いまの私は、その説は現実味が大いにあると思っています。あまりにも自分の様々なマイナス感情(恨み・疲れ・嫉妬・無力感・不満……etc.)や欲望(金銭欲・色欲・承認欲求・名誉欲…etc.)などを募らせたり、もしくは低級霊界からのインスピレーションが入り込んでしまった作品ばかりからエネルギーを受け取り続けると、現実の生活に具体的な支障が出てくるのです。
ですから、身を守る為には二つのことが非常に重要だと思います。
以下略 続き
④自分や身の回りの人たちを守るために~付録・クリーンチェックシート
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