母と、医師と、妹と過ごしてきたこの何年間が終わったら、きっと私は壊れる・・と思っていました。
誰も力にはなってくれない、自分しかいないと思う日々もありました。
だから、終わったとき、私はどこかに消えてしまおう、あれもこれも捨てて、一人になろう・・・と思っていました。
しかし、現実は厳然とあるわけで。
病院への支払い、透析の医師へお礼に伺ったり。
溜まった洗濯物をしたり、野菜を収穫したり。
今日は、斎場へ支払いに行ったり。花かご、生花など上げて頂いた親戚へ領収証を郵送したり。
することが後から後からあって、消えるどころではありません。
私の嫁いだ先の親戚や、主人の兄弟。
母方の親戚、父方の親戚。そして、地域のかたがたのお世話を頂き無事にお見送りできました。
一同に会した、縁あっても疎遠にしている者達が集まって、それぞれがそれぞれの身内を擁護する。
しみじみ思うのは・・・・
姉妹・兄弟の強さ。
多い兄弟であればあるほど、いろんな話があるもので。
私の知らない母がたくさん居ました。
お互い他人だったのに、2人が繋げて親戚ができあがる。
生きているときは、文句や嫉妬があったのに、ふっと・・・・息を引き取ると、慰めの言葉に代わる。
あちらの世界に行っても、また結婚するだろうよ。と大恋愛の末の結婚だったことを話す父方の兄弟。
生きているうちに言って欲しかったなぁ・・。
死んでしまったあとのことは誰も分からない。
それぞれ生まれてきた時のように、千差万別。亡くなるときもまた、同じ人は2人といない。
誰か、何か特別な存在があって、どんな人も亡くなったら仏になるという定義でもしているかのように、亡くなった者は、みな聖人になる。
怨みごとひとつも言わないで、にこやかになるのだろうか。。
生きていた時の性格は変わるのだろうか。
慈悲深く、菩薩のように優しく全てを受け止めてくれるのだろうか。
そして、真っ白な命で次の生を受ける。
生まれ堕ちて、人との縁を重ねてまた人格が仕上がっていく。
でも・・・・
もしかして、これから先の未来、情の深い、頑張りやに出会えたら、それはきっと母だと思う。
私はそう思う。
母は気が付いてくれるだろうか。
母の亡くなったあと、頑張った私に気づいてくれるだろうか。
その日まで、悔いのない日々を送っていかなければ・・・いけないね。恥じることのないように。