今日1日ずっと不安定でした。
洗濯物も出せずに部屋干し。気温は30度を下回っていました。
内職三昧と言いたいところですが、若干残って夕刻。
そんな空模様。
まるで、くじらのお腹の中に入ったピノキオの気分。
遠くは目があるような形ですが、刻々と姿を変えていきました。
長い距離もこのように渦を巻くような雲が南北に続いていました。
いつもの、白鷺も。
この雲を見ながら、進んでいきました。
そして、ほんの僅かな光を受けて、虹も。
いつのまにやら、9月に入っていました。
まだプー太朗の主人と、ため息の日々の三男。
昭和生まれの世代は、年金が老後の命綱だというのが、常識です。
そのために、国民年金よりは、きちんと会社勤めをして、老後に備えようと。
若い頃は、そんなものを手にする日が来ることすら想像もしなかったこと。
しかし、今、その年代に近づいていると、やっぱり、きちんとした務めが肝心だと思うのです。
でも、この混沌とした時代になり、年金というものがある種形を変えて、これから何十年もの後の日本には存在するのではないだろうか。
ただ形式にしがみついて、心痛めて生きるより、自由に、思うように羽を広げられるのなら、それを試しても良いんじゃないか・・と、ふと、そんな思いも沸いてきます。
ただ、どんなところでも、誠実であれ、実直であれ・・とは、思います。
お金はあとから付いてくるものだと思うし、信頼は1日では作れるものじゃない。
大金持ちになんてならなくて良い。
少しの贅沢ができて、元気で、みんながにこやかな生活が一番良い。
じゃあ、その少しの贅沢というのが曲者になってくる。
1人1人、贅沢の基準が違う。
結句。
母は、妻は、大らかな気持ちでいよう。
自分自身のためにも、深呼吸をしよう。笑顔でいよう。