171201 花と禅その3 <自分に合う仕事はどこかにある?>
今朝の平井住職のことば「自分に合う仕事があるわけではありません」を取り上げようと思います。
どんな職業、仕事でも、ほんとに自分に合うかどうかは、真剣に考えれば悩み苦しむ事柄かもしれません。そうしないですむ人は幸せな心の処遇をされている方でしょうね、やっとこさその仕事についているのかもしれません。
若いビジネスパースンが大卒後などで仕事をついた途端に辞めてしまう例が多いと言われるようになったのはいつ頃からでしょう。われわれの時代でもあったように思いますが、最近はその比率が増大してかなり高くなっているのでしょう。
平井住職は「あなたは、どこかに楽しい仕事、おもしろい仕事が、あると思っているのですか?」と問いかけます。
その後続けて、「たしかに楽しそうに仕事をしている人はいます。おもしろさを見出している人もいるでしょう。しかし、それは、仕事がそうさせてくれているのではありません。その人自身がその仕事を楽しんでいる、おもしろくしているのです。」と、仕事なり職業が当然におもしろかったりするのではなく、その人自身の力、心持ちで、面白さを生み出しているというのです。
あの高杉晋作の辞世の歌とされる
「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは こころなりけり」を援用して、彼の革新的な偉業を背景に、その意味を間接的に表しているのでしょうか。
要は、「心を変えてみませんか。」と提案しています。そして<「合わないな」「つまんないな」というところにとどまっていないで、何か楽しいこと、おもしろいことを見つけてやる、という気持ちで仕事をしてみてください。>と積極的な心への働きかけを奨めています。
さらに最後の言葉もいいですね。
「その仕事を外側から見てあれこれ判断するのをやめて、うでしょう口合う、合わない、楽しい、遅くはないのです。まるごと飛び込んでみたらどつまらない・・・を決めるのは、それからだって遅くはないのです。」と。
私自身、弁護士という仕事を選んで、35年以上が経ちました。弁護士は医師やいわゆる専門職といわれる仕事と同様、自由で面白い職業と思われる方が大半かもしれません。私はそう思いません。会社や工場に勤める人とそれほど大差がないと思っています。それぞれに束縛なり仕事上の軋轢が必須です。面白いと思えるかはやはりその人の心だと思うのです。
私の場合、紆余曲折の連続で、仕事をいかに面白く、意義のあるものにするか、悩むことばかりです。逆に言うと嫌な思い苦しい思いの連続かもしれません。でも考え方次第で、自分なりの道を少しだけ開けたかもしれないと思うことで、一歩前進二歩後退みたいな、脱線を繰り返しながらも、軌道に再び舞い戻る生き方だったようにも思います。
その中で、国立大学通り景観訴訟といった景観訴訟群も、一つの価値運動でした。また杉並病という大気中の多種類化学物質汚染の原因裁定や、散骨という自然葬運動など、私なりに模索しつつ、この仕事の面白くない部分を面白くする選択をしてきたように思います。
いまは農林業など一次産業の心豊かさに傾注しつつあるように思います。面白くないところを見つければ世の中はあふれかえっているように思います。でも、その中で、わずかに自分の琴線に触れる部分があれば、底に沈んでいた心意気が再びわき上がってくるように思えます。
その繰り返しでしょうか。平井住職の言葉、大事にしながらこれからも、その時々の生を楽しみたいと思うのです。
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