たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

「山のきもち」考その5 <「見直される木の力」と「自然資本の考え方」>  

2017-12-15 | 農林業のあり方

171215 「山のきもち」考その5 <「見直される木の力」と「自然資本の考え方」>

 

『山のきもち』で著者山本悟氏が山をどのようにとらえているか、注視しながら読んでいます。きもちを思いやる人がどのような場合でも前提ですね。人といっても多様ですね、木が社会の中で活かされるというとき、いわゆる川上から川下まではもちろん、エンドユーザーからその廃棄ないしは代替利用まで視野に入っています。

 

とはいえ、やはり木が中核でしょうか。木の持つ価値をどうみるか、長い歴史があり、その一部をうまく整理して切り取っているようにも見えます。それは「木の力」という形で力強く指摘されています。他方で、木という一つの個体に注目する以上に、木を取り巻く生態系全体を含んだ自然について、「自然資本」という括りで、いわゆる経済的価値を中心にしつつ、非経済的価値にも目配りした視点を用意しています。ではそのような理解で、今回は2つのメガネでみてみようかと思います。

 

山本悟氏は、「木の力」あるいは「木の底力」として、従来の常識的な見方を正す形で、その実力や多面的に機能を取り上げています。

 

まず、従来の常識的な見方としては「①弱い、②腐る、③燃える、④くるう」をあげてつつ、それらは今見直されつつあることを指摘します。

 

その弱さという面では、「木材は鋼鉄の4倍の強度がある」ということです。伏谷 賢美著『木材の物理』(文永堂出版刊)によると、「木材とコンクリート、鋼について、圧縮力を示す圧縮強さ(kgf/c を比較すると、木材は、1 c㎡当たり380kgfで、コンクリート(704kgf) の半分、鋼(8,160kgf)の約20分の1の強さしか持たない。我々の感覚通りの結果だ。」と単純比較というか、面積単位で比較すると、弱いと言えるわけです。

 

両者の比重は違いますね。それで今度は「材料を、同じ比重で比較する必要がある。そこで、圧縮強さを比重で比較(比圧縮強さ)するとどうなるか。木材は826で、鋼(1030) には及ばなかったものの、コンクリート(282) 3倍の強さがあった。」

 

鋼は用途的には競合しないともいえますので、競合するコンクリートと比較すると木材が3倍の強さがあるというのですから、これは驚いてもいいように思います。なんか義務教育の教科書もこのような実際に応用できるような視点がもう少し欲しいですね。余分な事ですが。

 

これは圧縮力ですが、こんどは引張り力を試すと、面白い結果が出ています。面積単位で比較しても、「引張強さ(kgf/c) は、木材は、1㎡当たり1,060kgfで、コンクリート(41kgf)

26倍の強さがあったものの、鋼(4,680kgf) 4分の1しかなかった。」とコンクリートよりも格段の引張り強さはあるわけですね。しかも比重で比較すると、「木材(2,300) は、鋼(592) 4倍、コンクリート(16) に至っては、144倍の強さがあった。」驚くべき数字ですね。

 

つまりは「軽いわりに強い」という特徴を木材が持っていると言うことですね。それでこれを応用すれば、「例えば、木造の建築物をより高層にした場合、上部の建築物の重量を支える基礎は上部が軽い分だけ規模が小さくてすむ、というのだ。基礎を設けるために、それほど深く掘らなくてもよく、コストが削減できる。」ということになります。

 

カナダ滞在の20年以上前、中高層の木造建築が次々と建てられていたのを思い出します。カナダは自然資源が豊かで、木材もその一つ。それを早い時期から戸建て住宅だけでなく、中高層の集合住宅やビル建築にも活用してきた歴史があります。建築現場の人はよく木材の力を知っていて、中高層化に地元木材を活用してきたわけですね。

 

わが国の民家もそういった木材の性質をうまく活用して明治以降の建築でかなりの規模の建築物にも大工さんがうまく活用して耐震性のある木造をしっかり作ってきた伝統があったのでしょう。それがいつの間にか、法令の制限もあって、木材の有効活用がされてこなかったように思います。

 

また、「丸太は腐らず、液状化を防ぐ」と山本氏が指摘していますが、一定の条件の下で極めて利用価値が高いわけです。一般的には、たとえば倒木がいい例ですが、木は微生物により分解して物質循環を通して生態系を維持している一員ですね。ところが、最近よく話題の木簡は700年以上も前のものがそのままで残っていて、考古学や歴史がの常識を変える発見が話題となっているように、腐らないというのですね。「水に漬けると」の条件ですね。この表現もちょっと綾がありそうですね、一定の水分条件下でしょうか。

 

山本氏は東京駅や新潟駅に打ち込まれたカラマツの杭のおかげで、液状化の被害を受けていないことを指摘しています。これは軟弱地盤対策だけでなく、護岸防御や沢をわたる道路法敷などにも疲れてきた木材利用の歴史からは、昔から常識だったのでしょう。だいたい、大畑才蔵が行った灌漑事業の要諦の一つ、取水口はまさに河川の中に木製で作っていたわけで、木種によってはどれだけ耐水性があるか、昔の人はよくわかっていたのだと思います。

 

環境保全機能で言えば、茨城のアサザプロジェクトは、霞ヶ関護岸対策として粗朶を間伐対策との一石二鳥ということで、90年代から実施しています。これはたしか国交省も支援していて、緑の公共事業とも言える内容かと思います。

 

ところで、こういった丸太杭の液状化対策への活用はひろがっているようですね。東日本大震災では、浦安など東京湾岸の埋め立て地は液状化による被害で大変だったわけです。当時私の知人の自宅があることから心配して連絡したら、トイレが使えない状況が長く続いたそうです。なんどか泊まらせてもらいましたが環境の良いところですが、埋め立て地はやはり注意が必要だと痛感しました。

 

木杭の効用がわかってか、一部では直径15cmの細いスギ・カラマツを13000本以上を分譲地1.3haに打ち込んで地盤強化したとか、利用促進が進められているようです。まだ全体には浸透していないようですね。

 

この丸太杭の活用が本格的になれば、通常はこの径くらいだと、C材以下の扱いでしょうから、バイオマスとかチップに使われるより、有効活用になるように思うのです。

 

「木は燃えやすいか」と言われると、当たり前との返事があちこちから上がってきそうです。最近話題になった新潟県糸魚川市大規模火災などを見れば肯けますね。政府がしきりに木造密集地帯の解消をと音頭をとってその解消策を何十年も前から言ってきたのも、木は燃えやすいとの理解からですね。

 

しかし、昔、風呂焚きをした経験があったり、今では暖炉や薪ストーブの経験があると、まず生木は燃えにくいというのは常識ですね。熱帯林の焼き畑でも、焼き終わった後を見ると、結構、枝葉がなくなったものの、木がしっかり立ち残っている光景を見ることができます。火に強いのですね。では、アメリカで毎年各地で起こっている大規模森林火災はなぜというのは、話すとながくなるでしょうし、いい加減な記憶なので、簡単にしておきますが、乾燥しすぎているのと、元々水分が少ないところに植林して降雨も少ないところで起こっているように思います。とはいえ、木の種類によって燃えることにより発芽更新が起こるので、自然の循環として放置される場合もあるようです。

 

どうも余談が続き、一向に終わりません。今日はもう一時間経過してしまいました。

中途ですが、この辺でこのテーマは今日のおしまいとします。続きは明日以降です。

 

 


NHKの公共性とは <NHK受信料「合憲」判決 押し付けられた「公共」>などを読んで

2017-12-14 | 知る権利・プライバシー保護と情報収集・管理の適正化

171214 NHKの公共性とは <NHK受信料「合憲」判決 押し付けられた「公共」>などを読んで

 

午前中、伊方原発差止抗告審決定についての朝のNHKニュースを公共性の観点から疑問を投げかけました。ちょうど見出しの記事を読んでいたときでしたので、余計、気になりました。

 

伊方原発3号機の安全性高裁で改めて判断へ>というニュース見だしだったと思います。繰り返して恐縮ですが、大事なことなので容赦ください。

 

このタイトルはその点で確かに客観的事実を取り上げていますが、高裁段階で初めて原発の危険性を認定した判断の重要性を掘り下げないまま、「安全性」を改めて判断として、さらに<世耕経産相「政府方針は不変」>と司法判断を軽視するかのような、政府寄りとも思える内容には疑問符を禁じ得ません。

 

たしかにこれまでの司法判断では大勢は、政府と同じ考え方で、規制委が安全と判断していることに異を述べるのは少数の地裁判断のみでした。しかし、今回は高裁で地裁判断を覆して安全ではないとしたのです。その意義は大きいですし、その内容も影響が大きいものです。それを政府と同じ目線で、淡々と「高裁で改めて判断へ」というのはいかがかと思うのです。

 

むろん視聴者の多数はNHKのこのような取り扱いに疑問を抱かないかもしれません。しかし、今回の広島高裁は、福島第一原発事故で原発の安全性に対して大きく意識変革があった原点に立ち返り、鋭く原子炉等規制法と新規制基準の趣旨を追求して、安全性に疑義を示したのです。それをなんでもないかのように、一時的な判断かのように見越して、その安全性(疑義)の判断を見直すような意味合いのタイトルと内容はいかがなものでしょう。

 

さて、毎日記事では先の最高裁大法廷判決を踏まえて<ジャーナリズムウオッチNHK受信料「合憲」判決 押し付けられた「公共」=山田健太>と、NHKに公共性のあり方を問うています。

 

受信料支払い義務の合憲根拠として、<最高裁は「公共放送事業体としての日本放送協会(NHK)」>と判示しています。しかし、<放送法をはじめとするあらゆる法は「公共放送」なるものを規定していない。>と、その公共性とは何かがNHKに突きつけられているというのです。

 

また、<最高裁はさらに「公共の福祉のための放送」をNHKに求めた。この表現は放送法1条にもあるし、憲法や数多くの法にも使われているが、具体的に何を指すかは不明だ。>

 

そうですね、公共と政府が言えば公共だとなりかねませんね。

 

そういったことに対する抵抗権としての支払拒否という手法は、この最高裁判決によってとれなくなりました。ではどうするか。

 

<はかない抵抗であった「支払わない自由」を奪われることで、放送番組に対して異議申し立てをする機会は事実上失われることになる。本来なら、視聴者代表である経営委員会や、国民の代表である国会による予算承認権が、政治家の「道具」に利用されている実態の中で、司法から「みんなで支えるように」と諭されても、素直に従う気持ちになれないだろう。>

 

山田氏は<「公共」は押し付けられるものでも、与えられるものでもなく、NHKの不断の努力によって作り出すべきものだ。政府からの独立を目に見える形で示し、現行制度を自ら改革して自身の「見える化」を進めることでしか、公共放送の道はないだろう。>と述べています。

 

たしかに「見える化」は重要な一手です。まずその見える化の中身を充実必要があるでしょう。番組編成の見える化という意味では、事前アセスメントは検閲になりかねませんので、慎重な対応が必要でしょう。少なくとも事後アセスメントという形での検証は見える化の対象として徹底してみてはどうかと思うのです。

 

事前アセスでも、番組編成等について、さまざまなアプローチが外部から、また内部の上層部からありうるわけですが、そのアプローチは基本、すべて記録され、一定の条件の下で開示され、検討される対象となるべきではないでしょうか。

 

また公共性という抽象的で漠然とした内容について、それぞれの番組の制作目的として具象化し、それがどのような意味で公共性を持つかを制作理由の重要な一つとして常に表現することを求めて良いと思うのです。また、その制作目的が実際番組自体、また視聴者の意見を踏まえて、そういえるかも検証対象として良いのではないかと思うのです。

 

こういったアセスメントは、すべての番組を対象にしつつ、簡易なチェックリストで絞り込み、問題のある番組については公開で議論・審査するとか、いくつかの審査レベルを用意することもコスト・時間を無駄にしないで、公共性の実現を果たすことになり得るように思うのです。

 

なお、関連して<社説NHK受信料に合憲判決 公共放送の自覚を新たに>でも公共性の中身について言及し、次のように述べています。

 

<放送法は、NHKの目的を、あまねく全国で受信できる、豊かで良い番組を放送するとうたう。NHKの倫理・行動憲章は冒頭に、自主自律を堅持し、健全な民主主義の発展に役立つ放送を掲げている。

 つまり公共放送は、国の言い分を伝えるのではなく、多くの角度から論点を明らかにするなど、多様性の確保が期待されているのである。>

 

多様性というキーワードは重要です。ただ、その内容をより中身にあるものにする具体的な仕組みが提言され、実現されないと、これまた絵に描いた餅、あるいは批判だけに終わりかねないおそれがあります。

 

その点社説が指摘する<NHKには例えば地方や少数者に配慮する番組が求められるのではないか。>といった視点は重要な意味をもつと思います。

 

<NHKではテレビ離れが進む中、ネット業務の範囲や負担のあり方も検討されている。公共放送としての役割をもっと議論し、人々の理解を得るよう努めてほしい。>これもきわめて大きな問題の一つですが、どのように議論して、将来を見通した制度設計を行うか、待ったなしでしょう。

 

今日はこれから会議があり、この辺でおしまいとします。また明日。


AIを考える <AI弁護士?><AI歩き方鑑定><AI兵器>を読んで

2017-12-14 | AI IT IoT

171214AIを考える <AI弁護士?><AI歩き方鑑定><AI兵器>を読んで

 

NHKウェブ情報を見ていたら、つい<特集“AI弁護士”は何を変える?>というのが眼に入りました。ちょうど今朝の毎日記事でAIが特集されていたので、一緒に考えてみようかと思った次第です。

 

上記NHK記事では、最初に次のように紹介しています。<企業の命運をも握る契約書の作成をAIが担えるのか? 弁護士の仕事を奪うことにはならないのか? このサービスを運営するベンチャー企業の経営者で、弁護士でもある笹原健太さん(34)に聞きました。(経済部記者 加藤 誠)>

 

ではAI弁護士とはなんでしょう。

 

<ことし8月、IBMが開発したAI「ワトソン」を活用したITサービス「ホームズ」が日本で始まりました。何万円という手数料を支払って弁護士に依頼していた契約書の作成を月額980円の固定料金で、クラウド上で簡単に作成・管理できるというものです。>

 

具体的な使い方は次の通りです。

<ホームズで作成できる契約書類は多岐にわたります。不動産の売買や、業務の受発注、従業員の雇用や秘密保持など、内容に応じてWEB上で検索。AIがおよそ300種類の中から最適な「ひな型」を選び出します。

 

ひな型の空欄に、必要な事柄を入力していくだけで、5分ほどで契約書が作成できる仕組みです。売買したモノに欠陥が見つかった場合、売り主がどこまで責任を負うかという「瑕疵担保責任」のような複雑な条文もワンクリックで、表現を切り替えながら選ぶことができます。>

 

だいぶ以前から市販されている契約書ソフトとどの程度違うのか、これだけではよくわかりませんね。最初に紹介された笹原氏が作成したようですので、たとえばキーワードを打ち込めばそれに応じた契約類型がいくつかピックアップされ、そのうち、さらに絞り込みで特定の契約書を選ぶことができるといった配慮はあるのかもしれません。

 

でもこれだけだとAIとはほど遠い印象ですね。AI弁護士というぐらいですから、文裕本因坊のも打ち勝つほどのAIの能力からすると、笹原さんはもっと高い機能を考えているのでしょう。

 

その将来性について、<AI弁護士のホームズは、その未来に可能性を感じたアメリカのベンチャーキャピタルから投資を受け、来年中のスタートを目指し、新たな機能の開発を進めています。既存の契約書をチェックして、顧客にとって不利益な条項がないかを洗い出すというサービスです。>とのこと。

 

具体的な例として笹原さんは次のようなM&Aの事例を紹介しています。

 

<笹原:例えば、企業買収の事前手続きでは、日常のメールや取引きまでチェックし、暴力団との関係や情報漏洩がないかなど膨大な量を人手で調べます。大手の事務所では、時間当たりの料金=タイムチャージがかかり、弁護士費用が多額に上ります。

 

しかし、AIを使えば、明らかに正常なものと異常なものは素早くチェックできるので、企業側は、AIが判断できないグレーな部分だけを弁護士に頼むということができます。>

 

たしかに渉外事務所といわれる弁護士法人などではタイムチャージ制ですし、その作業の中で調査が占める時間が大きいと思われますので、この分野はとりわけAI機能が代替できるのではないかと思うのです。

 

でもその程度ではすまないのが現在のAI能力ではないでしょうか。この弁護士分野に関するAIの魅力についてはもう少し情報を整理していつか書いてみようかと思います。

 

ただ、個人でベンチャーキャピタルと提携して魅力的なサービスを提供する時代かどうかも疑念が残ります。日弁連が組織的にこの分野に参入して、AI機能を会員サービスとして提供してはどうかと思うのです。それも甘いかもしれません。AIビジネス自体が独立して弁護士向けより、企業向けおよび個人向けサービスとしてAIサービスを提供して、弁護士、司法書士、行政書士をはじめ、その他多く士業に取って代わる可能性すら、アメリカでは現実味を帯びているような話しもありますね。ま、頑張ってもらいましょう。

 

犯罪捜査分野でのAIについては、<科学の森AIで「歩き方」を鑑定 映像比較、犯罪捜査の武器に>がAI鑑定の研究が進んでいるようです。

 

<防犯カメラなどに映った人間の歩き方を分析し、容疑者に迫る「歩容認証」という鑑定技術が犯罪捜査に貢献している。最近は人工知能(AI)によるシステムの改善が進み、より正確で迅速な鑑定が可能になった。AIによる新しい犯罪捜査の可能性を追った。【鳥井真平】>

 

この防犯カメラ映像を利用すると道が開けそうな話しですね。

<八木教授は、この防犯カメラ映像をコンピューターに入力。複数の人物の腕の振り方や歩幅、姿勢などの特徴について、別に提供された容疑者とみられる人物の映像と比較して鑑定した結果、「防犯カメラに映っている特定の人物が、容疑者と一致する可能性が高い」と結論付け、逮捕につながった。「歩き方の特徴が分かれば、2歩でも分析できる」と八木教授。50メートル離れた映像でも分析可能だ。>

 

実際に鑑定技術の一つとして定着しているようです。

<こうした鑑定技術は「歩容認証」と言われ、新たな個人識別法の一つとして14年の警察白書に掲載された。人が歩いている映像を入力すれば、データベースに登録された膨大な映像から歩き方の特徴が似ている人物を選び出し、何%一致するか判定することができる。警察庁の科学警察研究所で活用されている。>

 

とはいえ従来の方式には課題があったそうです。これまた理解しやすい話しです。

<両者の向きの差が大きいほど誤認率が上がり、特に差が90度の場合、人物の「正面」と「真横」の比較になるため誤認率は4割近くに達した。>

 

そこで登場するのがいまはやりのディープランニング。

<八木教授らはAIを使った新しい認証システムを開発した。15年から1年かけて、日本科学未来館(東京都江東区)でのイベントに参加した1万人から同意を得たうえで、歩く様子を14方向から撮影し、従来の認証技術と同様に2歩分の映像資料としてデータベースに蓄積。それを基に、撮影角度が異なっていても、歩き方が似ている映像同士を選択するようAIに深層学習(ディープラーニング)させた。深層学習はAIが膨大なデータを自ら繰り返し学習し、理解を深める技術だ。

 特定の人物をデータベースの映像から絞り込む実験の結果、撮影角度の差がない場合の誤認率は1%で、30度は2%、90度は4・2%と格段に精度が上がった。>

 

こういった捜査の人海戦術の中で、大いに軽減効果が見られたようです。が課題というかまだ限界があるのですね。

<容疑者の特定では、捜査員の目や足を使った人海戦術が頼りだったが、効率化も期待できるという。ただ、歩行者が荷物を持っていたり、全身を覆うコートなどを着ていたりする場合は、体の重心が傾いたり足の動きが隠れたりするため精度が下がる。最終的な容疑者の絞り込みには、証拠の積み重ねが前提になることは今後も変わらない。>

 

八木教授は犯罪捜査だけでなく<商業施設の利用調査などといったビジネス面にも応用できる可能性がある>というのです。

 

ところで、最近NHKだったかどこかで放送していたニュースでは、中国のこの種の防犯カメラは性能が格段に良く、また膨大な量でいわゆる監視体制が確立しているそうで、しかもAI機能も格段に優れていて、個人識別能力は抜群のようですね。その点では、わが国のAI技術は後れをとっているかもしれません。中国は監視体制の確立と同時に、軍事技術としても巨額の費用をかけていると思われるので、当然と言えば当然かもしれません。

 

最後にそのAI兵器そのものをとりあげた<PICKUP「AI兵器」規制に難題 国連で初公式会合 各国の溝目立つ>も今後注視しておく必要があるでしょう。

 

<人工知能(AI)を搭載し、機械の判断で敵を殺傷する「自律型致死兵器システム(LAWS)」と呼ばれる兵器の国際規制を議論する国連の政府専門家会合が先月、スイス・ジュネーブで開かれた。初めての公式会合となったが、規制の対象や方法を巡り多くの難題が浮かんだ。>

 

「自律型致死兵器システム(LAWS)」とはまさにSFの世界というか、そういえばターミネーターはまさにそれですね。しかもその略称がLAWSというのですから、笑えますね。自分で支配する法秩序を持ち兵器をも活用するということでしょうか。

 

<LAWSは「キラーロボット」とも呼ばれ、AIが自ら標的を識別するなどして攻撃する兵器。人間が途中の判断に全く関与しない完全な自律型の兵器はまだ実戦配備されていないとされるが、米国やロシア、イスラエルなど少なくとも6カ国が開発中とみられる。自国兵が危険な地域や任務を回避でき、被害が減るといった利点が挙げられている。>

ますますターミネーターの世界に入り込みそうです。

 

当然ながら、核に続く、あるいは代わる驚異となっています。

<AI兵器は火薬と核兵器に次いで戦争の様相を変える「第3の革命」になるとして規制を求めている。>

 

両者の対立はなかなか溝が埋まらず、開発が先行しそうな感じでしょうか。

 

最後に<AIなどの開発に関わる世界の企業経営者らが、AI兵器の禁止を求める書簡(8月公開)をまとめる際、日本から署名したロボット企業「ハイボット」社長の広瀬茂男・東京工業大名誉教授は「衝突回避など自動車の先進安全技術にもAIが使われるが、逆に使えば自律走行で人を狙うテロや犯罪もできるということ。研究者も対策の議論を深める必要がある」と訴える。【千葉紀和】>との点も通常のビジネスサイドも注意する必要があるでしょう。

 

そうなると、EVと自動運転といった流れを単純に喜んでばかりいられないことになりますね。人間のやることはいずれも一歩前進二歩後退といった感覚を大事にしたいとおもうのです。


原発の危険性その2 <伊方原発差止仮処分即時抗告審決定要旨>などを読みながら

2017-12-14 | 原子力・エネルギー・地球環境

171214 原発の危険性その2 <伊方原発差止仮処分即時抗告審決定要旨>などを読みながら

 

今日は「木のきもち」を休止して、昨日に続いて伊方原発差止仮処分を認めた広島高裁決定を考えてみたいと思います。

 

興味深いのはNHKの今朝のニュースタイトルです。<伊方原発3号機の安全性高裁で改めて判断へ>とウェブ情報ですが、TVでも同じような見出しだった記憶です。できれば午後にNHKの公共性を書いてみようと思っています。

 

このタイトルはその点で確かに客観的事実を取り上げていますが、高裁段階で初めて原発の危険性を認定した判断の重要性を掘り下げないまま、「安全性」を改めて判断として、さらに<世耕経産相「政府方針は不変」>と司法判断を軽視するかのような、政府寄りとも思える内容には疑問符を禁じ得ません。

 

さて本論の伊方原発訴訟と原発の危険性ですが、毎日朝刊は、詳細に掲載しています。まず<愛媛・伊方原発運転差し止め 阿蘇噴火「過小評価」 高裁で初、運転再開困難に 広島>と差止理由を解説的に記事にしています。そして、<愛媛・伊方原発運転差し止め 広島高裁決定(要旨)>などが掲載されています。

 

なお、<脱原発弁護団全国連絡会>のHPでは、決定文要旨自体、決定文全文(ただし債権者マスキング)がアップされていて、決定文自体は400pを超える仮処分抗告審決定としてはきわめて膨大な量となっています。それだけでもこの仮処分の異例さを示しているといえるでしょう。

 

ところで、内容に入る前(といっても短時間で要旨のみ読んだだけですのでこの後の見方も概括的になります)、いくつか興味深い点を指摘しておきたいと思います。

 

伊方原発は愛媛県という犬型形状の尻尾に当たる佐田岬半島の付け根部分に位置します。むろんその伊方原発にメルトダウンなどの重大事態が発生し放射性物質が外部に放出した場合、愛媛県民がもろに影響を受けるわけですから、通常松山地裁での仮処分なり差止訴訟なりが提起されるわけです。それは現在、<愛媛・伊方原発運転差し止め訴訟・即時抗告審 判断、来年5月以降に /香川>の記事で取り上げられていますように、高松高裁で係属中です。

 

しかし東電福島第一原発事故で明らかになったように、重大事態となれば、その被害は愛媛県民にとどまらないことは実証済みです。その点、原告団(申立人団が正確ですが)・弁護団がよく広島地裁に手続きをしたなと、感心します。これこそある種、住民版・環境戦略訴訟(Strategic Lawsuit Against Public Participation)といってもよいのではと思うのです。通常、スラップ訴訟(SLAPP)と呼ばれ、北米で80年代後半から90年代初頭にかけて頻発するように、その後州レベルで規制する法律できています。それは大企業などが市民参加を抑圧する目的で戦略的に提起する訴訟で、その訴訟コスト負担を忌避して、企業に対抗する運動を抑圧させようとしてきたと言われています。

 

北米の環境訴訟では、90年代よく言われたことは、裁判所、裁判官を選ぶことが一つの戦略手段と言われていました。環境への配慮がしっかりしている裁判官のいる、配転された裁判所に訴え提起をするという手法ですね。環境法の多くの条項にだれでもが訴えて遺棄できるという市民訴訟条項があったり、自然に原告適格を認める傾向が一時流行したことも一因でしょうか、裁判管轄をかなり柔軟に対応できる制度をうまく利用した訴訟方法ともいえるのでしょう。

 

わが国ではそのような手法はあまり有効ではありませんでした。ただ、原発が重大事態になったときの影響は少なくとも県境を越えることは確かで、場合により西日本、中部日本、東日本が視野に入るほど広範囲に及ぶ可能性もありますね。そうだとすると、裁判所は原発立地の裁判所に限らない事になります。

 

伊方原発では松山地裁、高松高裁という一つのルートが常識化して、その判断もある種従来通りのように見えるとき、影響の及ぶ範囲内にある裁判所で、適切な裁判官がいるところを選択することも現実的な選択かもしれません。

 

今回広島高裁の野々上友之裁判長は、<伊方運転差し止め広島高裁の野々上裁判長、今月退官へ>の記事によれば、過去被爆者手帳交付を求めた集団訴訟で、原告勝訴の判決をしたとのことに加えて、退官を目前にしているとなれば、言葉は適切でないですが、憲法に基づき「良心に従い」思い切った判断もできるともいえますね。

 

弁護団がそのような選択をしたかはわかりませんが、私の狭い経験上、退官間近の裁判官は見事に良心のみにしたがって訴訟を指揮し判断するように感じています。むろん若手の裁判官も、またベテランで退官を前にしなくても、基本的に良心に従って判断している方がほとんどだと信じていますが。

 

さて余談が長くなりました。本論の決定理由に移ります。

 

広島高裁の差止理由は、昨日のブログで書きましたが、火山爆発による影響に対する事業者側や規制委員会の判断を疑問視して危険性を免れないとしているものです。

 

まず、要旨からその詳細を見ましょう。

 

広島高裁も原発の立地評価について、独自の判断基準を用いたのではなく、規制委員会の「火山影響評価ガイド」によっています。

 

ではそのガイドはどうなっているかについて要旨は

<(1)原発から半径160キロ圏内の活動可能性のある火山が、原発の運用期間中に活動する可能性が十分小さいかどうかを判断(2)十分小さいと判断できない場合、運用期間中に起きる噴火規模を推定(3)推定できない場合、過去最大の噴火規模を想定し、火砕流が原発に到達する可能性が十分小さいかどうかを評価(4)十分小さいと評価できない場合、原発の立地は不適となり、当該敷地に立地することは認められない-と定める。>としています。

 

このガイドを援用しつつ、火山活動の可能性を広島高裁は規制委員会とは別の判断をしています。

 

<伊方原発から約130キロ離れ、活動可能性のある火山である熊本県・阿蘇カルデラは、現在の火山学の知見では、伊方原発の運用期間中に活動可能性が十分に小さいと判断できず、噴火規模を推定することもできない。>

 

この<活動可能性が十分に小さいと判断できず、噴火規模を推定することもできない>という判断ですが、微妙な言い回しですね。<十分に小さい>といった数値的なもので閾値的なものを示さない判断がどこまで支持されるかは微妙かもしれません。

 

より具体的な決定の指摘では<約9万年前に発生した過去最大の噴火規模を想定すると、四国電が行った伊方原発周辺の地質調査や火砕流シミュレーションでは、火砕流が伊方原発の敷地に到達した可能性が十分小さいと評価できない。立地は不適で、敷地内に原発を立地することは認められない。>となっていますが、9万年前といった日本人の起源を優に超える時間軸、火砕流シミュレーションの科学的合理性など議論のあるところでしょう。

 

この点、<広島地裁決定は、破局的噴火については、原発の運用期間中に発生する可能性が相応の根拠をもって示されない限り、原発の安全性確保の上で、自然災害として想定しなくても、安全性に欠けないと示した。>と広島地裁は、破局的噴火の可能性の立証を申して人側に求めておりますね。それ自体、無理な相談ですが、それがこれまでの裁判所のスタンスだったと思います。また通常の開発案件であればおそらくどの裁判官でも疑義を呼ばないように思われます。しかし、原発となると違うのではないか、それが広島高裁の立場であったように思うのです。それは東電福島第一原発事故があり、その影響が今なお重くのしかかっていることを考えれば首肯できるといないでしょうか。

 

この点決定要旨は<現在の火山学の知見では、破局的噴火の発生頻度は国内で1万年に1回程度とされ、仮に阿蘇で起きた場合、周辺100キロ程度が火砕流で壊滅状態になり、国土の大半が10センチ以上の火山灰で覆われるなどと予測されている>と指摘しつつ、<そのような災害を想定した法規制はない。>とことわります。現在の法体系の基では規制の根拠とならないことを自認しているようにも見えます。

 

しかも法令だけでなく社会通念もそうだというのです。<発生頻度が著しく小さく、破局的被害をもたらす噴火で生じるリスクは無視できるものとして容認するのが日本の社会通念とも考えられる。>これはおそらく原発の危険性を知った多くの日本人ですら、同様の意識を抱いているように現代の世相を見ると感じます。

 

ところが、広島高裁は、ここで思い切った、ま、断崖から飛び降りるような決断をします。<高裁の考える社会通念に関する評価と、火山ガイドの立地評価の方法・考え方の一部に開きがあることを理由に、地裁決定のように、火山ガイドが考慮すべきだと定めた自然災害について、限定解釈をして判断基準の枠組みを変更することは原子炉等規制法と新規制基準の趣旨に反し、許されない。>すごいですね。最後は<原子炉等規制法と新規制基準の趣旨>に根拠を求めているのです。

 

まだこの広島高裁の判断がよく理解できていませんが、実際の要旨を援用して、もう少し検討してみたいと思います。記号は私が振りました。

 

「①現在の火山学の知見では, VE 17以上の破局的噴火の発生頻度は日本の火山全体で1万年に1回程度とされている一方,

「②仮に阿蘇において同規模の破局的噴火が起きた場合には,周辺100km程度が火砕流のために壊滅状態になり,更に国土の大半が10 cm以上の火山灰で覆われるなどと予測されているところ,

「③わが国においては,このようにひとたび起きると破局的被害(福島第一原発事故の被害を遥かに超えた国家存亡の危機)をもたらす一方で,

「④発生頻度が著しく小さい自然災害については,火山ガイドを除きそのような自然災害を想定した法規制は行われておらず,国もそのような自然災害を想定した対策は(火山活動のモニタリング以外は)策定しておらず,

「⑤にもかかわらず,これに対する目立った国民の不安や疑問も呈されていない現状を見れば,前記のような発生頻度が著しく小さくしかも破局的被害をもたらす噴火によって生じるリスクは無視し得るものとして容認するというのが我が国の社会通念ではないかとの疑いがないではなく,

「⑥このような観点からすると,火山ガイドが立地評価にいう設計対応不可能な火山事象に,何らの限定を付すことなく破局的噴火(VE 1 7以上)による火砕流を含めていると解することには,少なからぬ疑問がないではない。」

 

ここまでが地裁決定の「限定解釈」にも一定の理由を認めつつ、結局、広島高裁は、やはりこれを否定するのです。

 

「⑦しかし,前述したとおり,原子炉等規制法は,原子力発電所の安全性審査の基準の策定について,原子力利用における安全の確保に関する各専門分野の学識経験者等を擁する原子力規制委員会の科学的専門技術的知見に基づく合理的な判断に委ねる趣旨と解されるから,」

「⑧当裁判所としては,当裁判所の考える社会通念に関する評価と,原子力規制委員会が最新の科学的技術的知見に基づき専門技術的裁量により策定した火山ガイドの立地評価の方法・考え方の一部との聞に乖離があることをもって原決定のように火山ガイドが考慮すべきと定めた自然災害について原決定判示のような限定解釈をして判断基準の枠組みを変更することは,原子炉等規制法及びその委任を受けて制定された新規制基準の趣旨に反し,許されないと考える。」

 

⑥の判断が揺れている印象を受けます。①②は9万年前に起こった阿蘇山噴火との関係でその可能性をどうみるのか広島高裁の判断が判然としませんが、限定解釈すべきでないとの理解に一度でも発生していることから可能性から除かれるべきでないとの結論となるのでしょうか。

 

⑦は誰もが認める判断と思いますが、結論の⑧になると、そこまでいえるかは価値観にかかわることかもしれません。原発の危険性とその甚大な被害影響を考えると、法解釈の是非は別にして、広島高裁の判断を支持したいと思います。

 

なお、「影響評価(設計対応可能な火山事象が原子力発電所の運用期間中に影響を及ぼす可能性の評価)」についても、火山学の知見をもとに、地裁決定を覆していますが、これは割愛します。

 

仕事の打合せがあり、中断して、中途半端になりましたが、中身が濃いので、今日はこの程度にします。


原発の危険性 <伊方原発運転差し止め、高裁レベル初判断 広島高裁>を読んで

2017-12-13 | 原子力・エネルギー・地球環境

171213 原発の危険性 <伊方原発運転差し止め、高裁レベル初判断 広島高裁>を読んで

 

今日は午後一杯、打合せが詰まっていて、今年2件目の国選事件が入りブログを書き終えたら帰途に面会に立ち寄る予定ですので、今日も簡潔にまとめようと思っています。テーマを美術館の会話OKの日という、結構マイナーな紛議が起こっているようで、これにしようと思っていましたら、ウェブニュースに上記が飛び込んできました。これはこのニュースを取り上げないといけないなと、はたして短い時間で整理できるかわかりませんが、記事内容に依存して書いてみようかと思います。

 

伊方原発訴訟は長い歴史があり、過去に重要な判断もされています。とはいえ同原発としては初めての差止判断、しかも原発のある松山地裁でも高松高裁でもなく、瀬戸内海の反対側、広島高裁でということで、驚いています。

 

<四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを広島、愛媛両県の住民が求めた仮処分申請の即時抗告審で、広島高裁(野々上友之裁判長)は13日、申し立てを却下した今年3月の広島地裁の判断を取り消し、四電に運転差し止めを命じる決定を出した。>

 

しかも差止理由がこれまで問題となった地震・津波ではなく火山噴火というのも驚きますが、火山国日本であり、活火山ランクAの阿蘇山を考えれば、その危険性はきわめて高度といえるでしょう。

 

<野々上裁判長は「阿蘇山(熊本県)の噴火で火砕流が原発敷地に到達する可能性が十分小さいと評価できない」などとし、火山災害による重大事故のリスクを指摘した。高裁レベルの差し止め判断は初めて。>

 

これまでの原子力規制委員会の審査や住民の動きについては、<伊方3号機は2015年7月、原子力規制委員会が東日本大震災後に策定した新規制基準による安全審査に合格し、昨年8月に再稼働した。住民側は、四電の安全対策は不十分で、事故で住民の生命や生活に深刻な被害が起きるなどとして広島地裁に仮処分を申請。地裁は今年3月に申し立てを却下し、住民側が即時抗告していた。>

 

広島高裁が何を持って危険性を認定したかですが、規制委自身の内規「火山ガイド」によりつつ、過去最大の9万年前の噴火による火砕流の到達可能性を基準にしたようです。なぜ9万年前の噴火を基礎にしたか。そこはさらに確認したいですね。

 

<野々上裁判長は決定で、規制委が作成した安全審査の内規「火山ガイド」が、火山の噴火規模が推定できない場合、過去最大の噴火を想定して評価すると定めていることを指摘。その上で、伊方原発から約130キロ離れた阿蘇山について「四電の地質調査やシミュレーションでは、過去最大の約9万年前の噴火で火砕流が原発敷地の場所に到達した可能性が十分小さいとは評価できない」などと述べ、原発の立地として不適と断じた。>

 

ただ、仮処分とは別に本案訴訟が広島地裁で係属中していて、その判断が異なる可能性にまで言及しているのは余分な気がしますが、一般向けに丁寧にしたのでしょうか。そして仮処分による影響を考慮したのか、差止の期限を切っていますね。

 

<運転差し止めの期限を巡って野々上裁判長は、広島地裁で別途審理している差し止め訴訟の判決で「仮処分決定と異なる判断をする可能性もある」などと述べ、来年9月30日までとした。>

 

四国電力としては、差止仮処分自体、許容できないでしょうから、期限をまつまでもなく、<近く決定の取り消しを求める保全異議と、仮処分の執行停止の申し立てを広島高裁に行う方針だ。>とのこと。

 

東電福島第一原発事故以来、裁判所の判断も慎重になり、科学的な可能性を幅広くとるようになった、ある意味で予測可能な範囲をできるだけ広くしようとしているようにも思えます。

 

ただ、この記事に書かれた内容だけだと、差止仮処分といえども、原発推進派はもちろん、原子力規制委員会においても、なかなか納得できないでしょうね。

 

明日の朝刊ではより詳細な仮処分決定文が、あるいはその骨子が報じられるのでしょう。それを参考にしたいと思います。

 

今日はそろそろ警察署に出かけないといけないので、この辺で終わりにします。30分もかけていないので、記事をなぞっただけに終わりました。また明日。