バリ島 KAZUYAママの今日の閃き

誰かが言った。
人生における3大言語。
「頼らない」
「期待しない」
「あてにしない」

迷ったら...

2018-06-17 15:21:03 | Weblog

 

何かを決める時、どんな基準で決めますか?

たとえば、たくさんの種類があるケーキを選ぶ時、

レストランに入って、メニューの中から、注文したいものを

選ぶ時、こういう時は、写真があれば、美味しそうに見えるものを

選びますか?

一緒にいる友達、家族に選んでもらいますか?

値段を見て、選びますか?

神様の言うとおり!?と言いながら選びますか?

 

では、自分の進路を決めることになると、

どうでしょうか?

 

人生の選択、「結婚」となると???

 

選択方法は、たくさんありますが

どの方法を選ぶかは、自分次第です。

友達に決めてもらうのも、神様の言うとおり...と、歌うのも、

方法を選んでいるのは、自分なのです。

近道するのも、遠回りするのも、自分が決めているんです。

悩んで、なかなか、答えを出さない方法を選んでいるのも自分なんですね。

 

すべて、自分が決めていると思えば、

失敗した時に、それが、失敗と思わないで済むのです。

失敗は、何かの始まりかもしれないと、逆にワクワクするものです。

 

迷ったら、どんな方法でも構わない、

でも、自分が決めたんだ、と、解釈すること。

そうすれば、どんな結果にも納得がいき、

次のステップへ進めると、ワクワク感で満たされることでしょう。

 

 

 


すべては、自分で決める。

2018-06-10 13:34:23 | Weblog

 

 昨日、お盆が終わりました。

12日間続くお盆。昨日の午前中、ご先祖様たちは、光の世界へお帰りになり、

また、私たちに光をあてて、見守ってくださることででしょう。

感謝です。

 

 今日は、皆様へご報告しなければならないことがあり、久しぶりの投稿です。

 

4月28日 02:02 去年からバリで一緒に暮らしていた、私の母が旅立ちました。

突然のことで、ただただ、信じられない・・・今も・・・

心の整理がつくまで、バリに移住した母を応援してきてくださった皆様に

どのように報告していいのか?

ブログのページを開く意欲も出ませんでした。

 

ただただ、後悔、後悔、後悔、この言葉につきます。

移住して、たったの一年、果たして、母は、幸せだったのだろうか?

そのことだけが、頭から離れず、どうしても自分を責めることばかり

浮かんでしまいます。

でも、不思議なことに、その問いかけに、必ず、答えがあるんです。

それは、周りの人たちからの言葉だったり、テレビからの画像だったり、

夢でみたことだったり、いろんな場面で、

最期に娘と一緒にいられたことが一番幸せだった・・・と、いう答え。

母があの手この手と、私に一生懸命、伝えようとしてくれているんですね。

きっと・・・

 

ある日、朝から、悲しくて、悲しくて、涙が止まらない日がありました、

その日の夕方、帰宅したところを犬に思いっきり、太ももを噛まれました。

泣きっ面に犬でしたよ。

 

そして、思い出しました。

私が、弱気なことを言うと、母は、よく、私の太ももをつねりました。

母が、私の目を覚ますように、そうしてくれたのかもしれません。

でも、犬を使わなくても・・って、感じです・・・

 

そして、今、少しずつ、わかったような気がします。

母は、最期の場所を自分で決めたんだと思います。

母は、信仰する宗教はありませんでしたが、神様は信じていました。

バリは、あちらこちらに神様がいる島なので、

散歩するとき、ドライブするときは、

あっちにこっちに、手を合わせ、お辞儀をしていました。

 

亡くなる、2週間ほど前に、

私に「もう、いいよ」といいました。

もちろん、私は、聞かない振りをしました。

でも、母は、自分の最期が近いことがわかっていたのでしょう。

その2日後に高熱が出ました。

病院に入院していましたが、良くなることがなく、

坊さんになった、三男兄ちゃんが、

母の周りをたくさんのロウソクが囲んだ映像を見たそうです。

いよいよ、ご先祖様がお迎えに来たのか?

日本に住む、父を呼びました。

父は、すぐに飛んできました。

老衰状態だった母は、2日後に目を開け、半日以上、父と目で会話しました。

それから、2日後、私だけが、母を見送りました。

父には、その姿を見せたくなかったんですね。

3日後、バリで火葬しました。

バリの家族、親戚、私の友人たち、たくさんの人たちに見送られて、

沖永良部民謡のBGMと大好きだったユリの花を抱えて、旅立ちました。

散骨は、サヌールビーチで、分骨は、父が連れて帰りました。

今日、6月10日、父の住む、神戸で、たくさんの親戚たちによる

偲ぶ会が行われていることでしょう。

それも、グッドタイミングなのですが、

昨日、バリは、お盆の最後、ご先祖様たちが母を連れて光の

世界へお帰りになったところでした。

母は、すべて、旅立ちの計画まで立てていたのでしょう。

自分の最期を自分で決めるということは、こういうことなんですね。

母から、教わりました。

これからも、私たちを見守ってください。

そして、応援してくださった皆様に感謝いたします。

ありがとうございました。