バリ島 KAZUYAママの今日の閃き

誰かが言った。
人生における3大言語。
「頼らない」
「期待しない」
「あてにしない」

バリ人は踊りが好き!!

2005-10-27 12:25:24 | Weblog
バリ行事で一番多い儀式、「オダラン」(それぞれの寺の創立記念日しかも210日周期)その日はお寺を着飾って、お供え物をして儀式をする。その時に女性達は
ガムラン(バリの楽器)に合わせてペンデットという踊りを披露する。
踊る人は踊りに自信のある人や容姿に自信がある人、ほとんど決った人たちが
前に出て踊る。(私も家のオダランでは踊るが村のお寺のオダランは、恥ずかしいし下手だし遠慮する。)
ある時、村の寺のオダランで私達のバンジャールが当番に当たった。儀式は夜行われ
そのペンデットを踊る頃は、9時過ぎていることが多い。その時間になると
昼間の疲れがドォーーーっと出て、座りながら眠ることさえある。
ガムランの音がまるで子守唄のよう・・・と、その時、おばちゃんたちが一斉に立ち上がりザワザワと騒ぎ始めた。ペンデットは初めに3~4人の上手な人が踊り
それに続いて大勢の人たちが順番に踊る。
そのトップバッターに、あのケメ子が踊っているではありませんか・・・
(ケメ子:10月26日のブログ参照)
「うっそでしょーー!?」踊り終わるとまた順番待ちして踊っている。
頭を振って、腰を振って、優雅に踊る。でも体系はドラム缶・・・
さて、それから2日後、近所の小さなお寺でもオダランがあり、手伝いに行った。
ここでもペンデットを踊る。「今日は踊りなョ!!」おばちゃんに言われると
イヤと言えず、順番待ちしていた私・・・ガムランの曲に合わせて
第1歩を踏み出そうとした瞬間、私は誰かに吹っ飛ばされた・・・で、前方を見ると
ケメ子が颯爽と出て行くところだった。
おばちゃんたち大笑い。
ガムラン演奏の男たちは、のりにのって、オマケに1曲追加した。
(神への儀式なのにアドリブが出来るバリ人が好き!!)
ケメ子もノルノル!!
オマケの1曲は彼女の独り舞台でした。

ブラックマジックと思いきや・・・

2005-10-26 12:49:38 | Weblog
バリ嫁になった頃、長男の嫁に「近所のおばちゃんたちに肩叩かれたら
左手で叩き返すのよ。」と忠告を受けた。「何で?」「ブラックマジック
(黒魔術)にかからないように・・・」
(親切そうな長男の嫁が一番怪しい・・・って!!)
初めの頃、バンジャール(町内会の仕事)があるたびに、いろんなおばちゃんから
叩かれたものだ・・・左手で叩き返すなんて出来ない。(勇気がない)
仕方なく左手で叩かれた所を払ってたっけ!!
それから2年、次々に若い奥さん達がバンジャールに入ってきました。
その中で、ドラム缶体系で色黒くなったケメ子似の奥さんがいた。
(私よりも10歳以上も年下だろう???でも、見えない・・・)
態度もでかいし、話し方もがさつなので、一気におばちゃんたちの標的になった。
それでも彼女は気にしない様子だった。
半年ぐらいたって、バンジャールの仕事に参加中の出来事。そのケメ子が
「ねぇ~ちょっと話がある。こっち来て・・・」と私に言う。
私は、一瞬ブラックマジックが頭をよぎり
「えっ?今忙しい。」と誤魔化した。また、数分後「こっち来て!!」
怒った様子。「怖い・・・」三男の嫁に訴えると、「無視してな。」と言われた。
そうしようと思ったが、解散後捕まってしまった。私にべったり近寄り
お腹のところから何かを取り出す。(ブラックマジックは小道具を使うとも
聞いていたので本当に怖かった!!)
「なんなのよ!?」「これ・・・」って見せられたのが、銀色の硬貨だった。
「これ・・・ルピアでいくら?両替して・・・」だって・・・
でも良く見たら、その硬貨に「TIME ZONE」と書いてある。
「ゲームセンターのコインじゃん!!誰に貰ったの?」
「白人からチップ貰った」
「えっ?」
笑いをこらえるのに必死な私・・・
ショックのあまり声が出ず、その場にたたずむケメ子であった。



愛車との思い出

2005-10-25 12:13:58 | Weblog
私のバリ生活で車を運転することは欠かせない。
最近、つくづく運転できて良かった!!と思う。
バリに2回目の旅行で既にレンタカーで島内めぐりをした。あの頃は車の
数も少なく良かった。
住み始めて何年かは、バイク(カブ)で行動していたが、雨にも降られるし
体力ももたなくなり、思いきって激安のホンダのセダンを購入した。(1996年に
既に8年落ち)、安いだけあって故障の連続。信号待ちすると、エンスト。
サイドブレーキの効きが悪く、急な坂道で止まると、下まで一気に下がる。
大雨だと雨が車内へ・・・修理して乗ろうか?「そこまでしてまだ乗るか?」と
周りに言われ、売却することに決定・・・個人には売れず修理工場やが買い取ってくれると言ってくれた。そこへ行く途中でも、ハプニング発生!!
後部でペタペタと音がする。おかしいな~~~と思い、止まって見てみると
タイヤがパンク・・・ではなく破れていた。途中、タイヤ交換。やっとのこと買主の
ところへ・・・それでも、¥80,000で売れました。手放すときはウルってきちゃいました。それだけ、思い出(2年間)の詰まった車だったのです。

果たしてバリの将来は???

2005-10-20 14:29:43 | Weblog
今月4日~16日まで、ガルンガン・クニンガンといって、BALIのお盆があった。
ガルンガンで先祖を迎え、クニンガンで送り帰す。普段のお供え物よりも
もっと豪華に・・・屋敷の中だけではなく、村のお寺にもお供えものを持って行き
お祈りをする。10月1日、あの悲しいテロ直後・・・ショックを隠し切れないまま
お盆へ突入・・・がしかし、バリ人はいつものようにガルンガンを迎えたのであった。
豚をさばき、サテやラワール(バリ料理)を作り準備をする。お金がかからないわけではない。あのテロが今後のバリの経済にどのような影響を及ぼすのか?3年前のテロで
体験しているはずなのだが、先祖を迎えるのにケチるわけにはいかないのである。
では、何を省くか?子供達へのお小遣いだったり、洋服を新調することだったり、
家族で出かけることだったり・・・
実家に戻ると、甥っ子・姪っ子・うちの子、合わせて8人。
今回は、お小遣いもお出かけすることも自粛した。幸いおねだりする子たちでは
ないので助かる。子供たちは、手作りの凧を上げたり、かくれんぼをしたり、
手作りのバスケットゴールを作って遊んだり、サッカーをしたり、ほのぼのと毎日を過ごしていた。
お盆休みもラスト3日。大人たちは村の行事にくりだし大忙しであった。
村の寺に朝8時から夜8時まで・・・
お昼頃、家に戻った隣の主婦が「大変!!子供達が15人位でバロン(獅子舞)と
ドラを持って御さい銭集めに周ってるよ。」「ジャパンの子も一緒よ・・・」
「えっ?うちの子???」状況がわからないまま、夜8時に実家に戻ると
バロンのお面と布がかかったカゴが2つ置いてあった。
次の日も大人たちは朝からくりだし、この日は夕方戻った。うちの実家に15~20人位の子供達(6歳~10歳)がドラを鳴らしながら数を数えている。「6万ルピアーーー!!イエ~~~イ!!」(約¥700)ドンドン・パフパフ・ピ~ヒョロロ・・・てな具合・・・私の姿を見るなり、近所の子供たちは、シラ~~っと各家に戻っていった。
うちの子や甥っ子たちに聞いても何も答えない・・・。
そして次の日、同じく大人たちは朝からくりだし、夕方戻ると実家の庭は
お菓子のカラ袋のゴミの山・・・どうやら子供達はお盆休みの最終日、宴会を開いたらしい・・・バリの将来は心配なさそうだ!!