とりあえず、一度家にもどりました。
あせって (本人は冷静のつもりでしたが) 出て行ったので必要とするものが多多あり、帰宅しました。
ご心配かけましたが、母は発見が早くとりあえず、命は取り留めました。
姉の話によると、病院から緊急の呼び出しがあったのは、午後7時頃、急いで病院に駆けつけて見ると、全く無反応の母がベットに横たわっていて
医者は病室で、本人の目の前で、「どうしますか?」と聞いたらしい。
姉は「どうするって、先生早く何とかして下さい!!」 「家族で相談しなくていいですか?」 「早くしてください!!」
そんなやり取りがあったらしい。
医者にはタイムリミットまで、時間があることは、分かっていたらしいが、姉は、睫毛にさわってもピクリとも動かない母に
ものすごく動揺したらしい。
母は年が年なのと、長引く入院生活に、家族が自然死を望む場合もあるらしく、
とりあえず医者は、そのことを確認してから、治療に入ったらしい。
「GO!」の、サイン後の医者をはじめとする医療スタッフの行動は早っかったらしい。
流れるような機敏さで、姉が「さっきまでの緩い感じは何処行ったの?」と思う程だったと、話ていた。
母の病院は整形外科なので、近くの脳外科へ、姉も一緒に救急車に、乗り込み、搬送され医療スタッフにひきわたされ、
あれよあれよと言う感じで、私への連絡は、「高圧酸素カプセルに入った後だったの」ということで、
結局、私が姉から連絡をもらったのが午後10時頃だから、姉にしてみると激動の数時間だったのだと思う。
姉に、「とりあえず今、高圧酸素をかけてるの、だから今すぐどうかなるわけではないから、もう遅いし、明日おいで」
と言われたけど、
「ハイ」ってな訳には 行くはずもなく、とりあえず、火の用心、ガス、電気、数人への連絡、など思いつくことやって
家を飛び出したのです。
丁度家には私の他、誰もいなくて・・・。
上の娘は海外へフライト中、下の娘は、友達と京都へ旅行中、夫はどこかへ出張中・・・あれっ?どこだったか・・・
普段は家から高速道路入り口まで35分位なのに50分かかって・・・イライラ
でも高速に入ってからは120~140キロと、ちょっとぶっ飛び過ぎの運転で、所々に
凍結 スピード運転ひかえて
と書いてあるのを見て、気を鎮めて~~と思いながらも、ややもするとまた、スピードが出てたりで・・・。
この所、母との想い出を思い出すことが多くて、 悪い虫のしらせだったんだ・・・。 とか
友達のお見舞いを優先したり、雪が降っておっくうがっていたから罰があったたんだ~ とか考えながら、
気持ちは急いて、スピードも上がって。
でも、着いたら真夜中の1時近くで、当然、病院へは行けず、結局、朝行っても同じに事になってしまって・・・。
しかも、集中治療室なので面会時間も制限され、午前11時まで面会もできずでした。
2日後に意識は戻ったのですが、握った手を握り返してくれた時は、思わず姉と泣いてしまいました。
今の状態は、 私が誰であるかは、認識出来るけど、言葉が、声がまるっきり発することが、できず、
どうもシナプスがキチンと繋がっていなくて、言葉を発すると言う行為が思いのほか大変なことなんだと、痛感しました。
今、治療は高圧酸素を一日1時間半かけるのを1週間して 様子を見るらしいので、一旦私は自宅へ帰って来たのですが、
しばらくは、母の所へ行ったり来たりの生活になりそうです。
そんなわけで、ブログは、更新したりしなかったりで、のんびりやらせてもらおうと、思います。
皆様からのはげまし、温かいコメント有難うございます。
いつもいつも励まされてばかりで申し訳なく思います。
でも、おかげ様で、気持ちがとても楽で、今こうしてブログを記していても、悲壮感はまるでありません。
本当に有難うございます。
気づきましたか?
『とりあえず』と言う言葉、何回も使いました。便利な日本語です。
あせって (本人は冷静のつもりでしたが) 出て行ったので必要とするものが多多あり、帰宅しました。
ご心配かけましたが、母は発見が早くとりあえず、命は取り留めました。
姉の話によると、病院から緊急の呼び出しがあったのは、午後7時頃、急いで病院に駆けつけて見ると、全く無反応の母がベットに横たわっていて
医者は病室で、本人の目の前で、「どうしますか?」と聞いたらしい。
姉は「どうするって、先生早く何とかして下さい!!」 「家族で相談しなくていいですか?」 「早くしてください!!」
そんなやり取りがあったらしい。
医者にはタイムリミットまで、時間があることは、分かっていたらしいが、姉は、睫毛にさわってもピクリとも動かない母に
ものすごく動揺したらしい。
母は年が年なのと、長引く入院生活に、家族が自然死を望む場合もあるらしく、
とりあえず医者は、そのことを確認してから、治療に入ったらしい。
「GO!」の、サイン後の医者をはじめとする医療スタッフの行動は早っかったらしい。
流れるような機敏さで、姉が「さっきまでの緩い感じは何処行ったの?」と思う程だったと、話ていた。
母の病院は整形外科なので、近くの脳外科へ、姉も一緒に救急車に、乗り込み、搬送され医療スタッフにひきわたされ、
あれよあれよと言う感じで、私への連絡は、「高圧酸素カプセルに入った後だったの」ということで、
結局、私が姉から連絡をもらったのが午後10時頃だから、姉にしてみると激動の数時間だったのだと思う。
姉に、「とりあえず今、高圧酸素をかけてるの、だから今すぐどうかなるわけではないから、もう遅いし、明日おいで」
と言われたけど、
「ハイ」ってな訳には 行くはずもなく、とりあえず、火の用心、ガス、電気、数人への連絡、など思いつくことやって
家を飛び出したのです。
丁度家には私の他、誰もいなくて・・・。
上の娘は海外へフライト中、下の娘は、友達と京都へ旅行中、夫はどこかへ出張中・・・あれっ?どこだったか・・・
普段は家から高速道路入り口まで35分位なのに50分かかって・・・イライラ
でも高速に入ってからは120~140キロと、ちょっとぶっ飛び過ぎの運転で、所々に
凍結 スピード運転ひかえて
と書いてあるのを見て、気を鎮めて~~と思いながらも、ややもするとまた、スピードが出てたりで・・・。
この所、母との想い出を思い出すことが多くて、 悪い虫のしらせだったんだ・・・。 とか
友達のお見舞いを優先したり、雪が降っておっくうがっていたから罰があったたんだ~ とか考えながら、
気持ちは急いて、スピードも上がって。
でも、着いたら真夜中の1時近くで、当然、病院へは行けず、結局、朝行っても同じに事になってしまって・・・。
しかも、集中治療室なので面会時間も制限され、午前11時まで面会もできずでした。
2日後に意識は戻ったのですが、握った手を握り返してくれた時は、思わず姉と泣いてしまいました。
今の状態は、 私が誰であるかは、認識出来るけど、言葉が、声がまるっきり発することが、できず、
どうもシナプスがキチンと繋がっていなくて、言葉を発すると言う行為が思いのほか大変なことなんだと、痛感しました。
今、治療は高圧酸素を一日1時間半かけるのを1週間して 様子を見るらしいので、一旦私は自宅へ帰って来たのですが、
しばらくは、母の所へ行ったり来たりの生活になりそうです。
そんなわけで、ブログは、更新したりしなかったりで、のんびりやらせてもらおうと、思います。
皆様からのはげまし、温かいコメント有難うございます。
いつもいつも励まされてばかりで申し訳なく思います。
でも、おかげ様で、気持ちがとても楽で、今こうしてブログを記していても、悲壮感はまるでありません。
本当に有難うございます。
気づきましたか?
『とりあえず』と言う言葉、何回も使いました。便利な日本語です。