母の病院から自宅に帰ってきて、まる一日経ってしまいました。
なんにもせず・・・疲れて寝てばかり・・・。
かと言って姉も最近は疲れ来てるのが、わかる。
母に回復の兆しが見れないのが分かって、看病しているのはとてもつらい。
【いつ抜け出れるかもわからないトンネルの中】なんて小説の一節見たいな言葉がうかんでくる。
なんか楽しい話をと、思うのだがなんにも思い浮かばない。
あっ、テンプレート 替えました
母の病院へ通う国道沿い、こんな感じの雪景色なんですよ、 滑るし・・。
てっ、どうでもいいことですね?
最近姉と良く話すようになって、(あたりまえなんですけどね、四六時中一緒ですから、)
だから、姉の話を、もうひとつ。
ものすごく寒い北国で、ものすごく遠い南の国のおはなし。
姉と昔話をしていて、思いだした事があります。
姉は海南島(はいなん島と読みます)で生まれています。
場所は地図でみると香港の右側にある小さな南の島です。
ちなみに、姉の名前は 南の南の子と書いて南々子、「 な な こ 」といいます。
何でそんな南の島に、住んでかなんて全然わかりませんが、
その島では、その頃の父母と姉の写真をみると、ものすごく、ぜいたくな暮らしをしていたのが、わかります。
姉などは、ヤシの木の下で、立派なベッド様の高台にふかふかな布団を敷いて
原住民に大きなうちわ(?)で、仰がれている写真があったりします。
まだ2歳にもならない姉がドイツからとりよせた子供のおもちゃのジープ( 本物そっくり )に乗って原住民に押してもらっている写真などみると、
悪い日本人の代表みたいですが、 こんな話はタダの自慢に聞こえちゃうでしょう?
でも話はここからなのです。
父に聞いたのです。 この手の話が私は大好きで、父にいつもせがんだものです。
日本が戦争に負けて、いざ引き挙げて来る段になった時、小さな子供は船に乗せれないと言うお達しが来て、
年齢制限があったかで、姉は船には乗れない事になったらしいのです。
それで、父は家財を一切がっさい処分して、たくさんのお金で船役人を買収して、大きなトランクに姉を入れて連れもどったのだそうです。
トランクの大きさは120cm×90cm×30cm位の革製のがっちりとしたもので
一円玉くらいの穴が、何か所かにあいていました。 空気穴だったそうです。
もうそのトランクは有りませんが、記憶よりもう少し大きかったかも知れません。
今あったら、ヴィトンよりも高かったりして・・・。
船は出発まで、乗りこんでから、何日もあり、大変だったようです。
そして最後の検閲(?)に兵隊が乗り込んできて子供が乗っていないか、調べて歩き、
子どもが声を出したりして見つかると、海にポ~ンとほうり投げるのだそうです。
まるで、地獄絵図のようであったと・・・。
母親が狂ったのようになり、後を追って飛び込む人もあったとか・・・。
そこで父はいうのです。 「 お姉ちゃんは偉かったんだぞう 」 と ( 毎回 )
「一言も、カサリとも言わなっかたんだ~」 と、
兵隊が、父のそばにも来て、イライラとしていたが 、父はトランクの上に腰かけて、
「中を改めるから、トランクを開けろ! 」 と、言われても、聞こえないふりして、悠々と煙草を吸っていたらしく、知らんぷりしてたら、
それ以上は、父には声をかけず、別の人たちの所に行ってしまったらしいけど
父も内心はドキドキだったのだろうな~と思います。
なぜ子供はダメかと言うと 長い船旅ですからね、酔ったり 騒いだり 病気になったりと 色々な理由なんでしようね?
詳しくは聞いたことないのでわかりませんが・・・。
船が出発してからは、何処に隠れていたんだ?と言う位、子どもたちが出てきたらしいのですが・・・。
父はあまりお酒に強い人ではなっかたのですが、昔は、酔うと、この話になり、
「 お姉ちゃんは偉かったんだぞう 」と言う所では決まって、姉を呼び 膝に乗せ、頭を撫ぜてました。
きっと父の人生で、ものすごく、衝撃的な、出来事だったのかも知れません。
でも今回この話をしていて、姉はまるっきり憶えていないんです。
いくら私がこうだったでしよう? あ~だったんでしょう? と言ってもまるっきり、記憶にないみたいで
父との記憶も「そんな話したことない」と言うんですよね~。
すごく ふ し ぎ
全く不思議な姉の、頭の中です。
記憶とは、嫌な想いでを消去してしまものなのでしようか?
下のブログは、母の所に行った24日に 携帯にメモした、記事です。
なんにもせず・・・疲れて寝てばかり・・・。
かと言って姉も最近は疲れ来てるのが、わかる。
母に回復の兆しが見れないのが分かって、看病しているのはとてもつらい。
【いつ抜け出れるかもわからないトンネルの中】なんて小説の一節見たいな言葉がうかんでくる。
なんか楽しい話をと、思うのだがなんにも思い浮かばない。
あっ、テンプレート 替えました
母の病院へ通う国道沿い、こんな感じの雪景色なんですよ、 滑るし・・。
てっ、どうでもいいことですね?
最近姉と良く話すようになって、(あたりまえなんですけどね、四六時中一緒ですから、)
だから、姉の話を、もうひとつ。
ものすごく寒い北国で、ものすごく遠い南の国のおはなし。
姉と昔話をしていて、思いだした事があります。
姉は海南島(はいなん島と読みます)で生まれています。
場所は地図でみると香港の右側にある小さな南の島です。
ちなみに、姉の名前は 南の南の子と書いて南々子、「 な な こ 」といいます。
何でそんな南の島に、住んでかなんて全然わかりませんが、
その島では、その頃の父母と姉の写真をみると、ものすごく、ぜいたくな暮らしをしていたのが、わかります。
姉などは、ヤシの木の下で、立派なベッド様の高台にふかふかな布団を敷いて
原住民に大きなうちわ(?)で、仰がれている写真があったりします。
まだ2歳にもならない姉がドイツからとりよせた子供のおもちゃのジープ( 本物そっくり )に乗って原住民に押してもらっている写真などみると、
悪い日本人の代表みたいですが、 こんな話はタダの自慢に聞こえちゃうでしょう?
でも話はここからなのです。
父に聞いたのです。 この手の話が私は大好きで、父にいつもせがんだものです。
日本が戦争に負けて、いざ引き挙げて来る段になった時、小さな子供は船に乗せれないと言うお達しが来て、
年齢制限があったかで、姉は船には乗れない事になったらしいのです。
それで、父は家財を一切がっさい処分して、たくさんのお金で船役人を買収して、大きなトランクに姉を入れて連れもどったのだそうです。
トランクの大きさは120cm×90cm×30cm位の革製のがっちりとしたもので
一円玉くらいの穴が、何か所かにあいていました。 空気穴だったそうです。
もうそのトランクは有りませんが、記憶よりもう少し大きかったかも知れません。
今あったら、ヴィトンよりも高かったりして・・・。
船は出発まで、乗りこんでから、何日もあり、大変だったようです。
そして最後の検閲(?)に兵隊が乗り込んできて子供が乗っていないか、調べて歩き、
子どもが声を出したりして見つかると、海にポ~ンとほうり投げるのだそうです。
まるで、地獄絵図のようであったと・・・。
母親が狂ったのようになり、後を追って飛び込む人もあったとか・・・。
そこで父はいうのです。 「 お姉ちゃんは偉かったんだぞう 」 と ( 毎回 )
「一言も、カサリとも言わなっかたんだ~」 と、
兵隊が、父のそばにも来て、イライラとしていたが 、父はトランクの上に腰かけて、
「中を改めるから、トランクを開けろ! 」 と、言われても、聞こえないふりして、悠々と煙草を吸っていたらしく、知らんぷりしてたら、
それ以上は、父には声をかけず、別の人たちの所に行ってしまったらしいけど
父も内心はドキドキだったのだろうな~と思います。
なぜ子供はダメかと言うと 長い船旅ですからね、酔ったり 騒いだり 病気になったりと 色々な理由なんでしようね?
詳しくは聞いたことないのでわかりませんが・・・。
船が出発してからは、何処に隠れていたんだ?と言う位、子どもたちが出てきたらしいのですが・・・。
父はあまりお酒に強い人ではなっかたのですが、昔は、酔うと、この話になり、
「 お姉ちゃんは偉かったんだぞう 」と言う所では決まって、姉を呼び 膝に乗せ、頭を撫ぜてました。
きっと父の人生で、ものすごく、衝撃的な、出来事だったのかも知れません。
でも今回この話をしていて、姉はまるっきり憶えていないんです。
いくら私がこうだったでしよう? あ~だったんでしょう? と言ってもまるっきり、記憶にないみたいで
父との記憶も「そんな話したことない」と言うんですよね~。
すごく ふ し ぎ
全く不思議な姉の、頭の中です。
記憶とは、嫌な想いでを消去してしまものなのでしようか?
下のブログは、母の所に行った24日に 携帯にメモした、記事です。