雨の中どこまでも実によく歩きました。
この日の長崎の雨は土砂降りと言う程ではなく
さらさらと、流れるような雨でした。
北海道ではこんな風な雨にはなかなか出合えないような雨なんです。

大浦天主堂。

長崎には6つの天主堂があるそうです。
そのあと、お昼からは平和公園に行ってみました。

平和公園へ。
やはり日本が平和宣言した原点でもあることだし ここを除いては長崎を語れないと思ったのです。
平和公園に娘達は正面の階段を上がって
私は横の方にある 緩やかな坂道を上がって公園の中に入りました。

娘が固まったように、動きません。

丁度、娘のいる噴水の間からはこの像が見えてるはずです。
私は坂道から来てるので、丁度この地点に立ってるので 娘の見ている景色は見えていないのです。
だから、何故娘が固まってしまったのか分からなかったのですが、
後で聞くと、その全貌が見える所と噴水の傍に詩が書いてあったらしく、
とても厳粛な気持ちになったらしいです。
公園の中には

あらゆる国からのオベリスクや

母子像や

記念碑など

色んな像が寄贈されていて
まだまだ沢山の国からのモニュメントがあったのですが

でも不思議とアメリカからのはなかったのですよね。



反対側から、平和公園の丘を下りて行くと、階段から

浦上天主堂がみえます。
新しく建設された浦上天主堂です。
そこまで歩いていきます。

これは、爆心地からここまで距離にして1キロ位離れているでしょうか。

浦上天主堂の鐘楼がここまで吹き飛ばされてきたそうです。
もうすっかり風化されてしまってたけど
娘たちと鳥肌が立ってきて絶句してしました。

新しく建設された浦上天主堂。
今日はお日柄が良いのでしょうか。
幼稚園の先生の結婚式をとり行なわれてました。


この後 爆心地にも行ってみましたが

きれいに整備され美しく花々が咲き誇ってました。

でも公園の隅に、1945年8月9日午前11時2分。
毎年この時間には、長崎はサイレンが鳴り響き、一分間の黙とうを捧げるのだと
スズランさんもおっしゃってました。
公園の外では今日も普通に時間が流れ

普通に人々が行きかい、道路には車が流れてる…。
これって当たり前のことだけど、とても平和で有難い事。
長崎は、とても都会的な街で、人々はどこまでも明るく、屈託がなく…。
でも二人の娘が、「これだけ外国人が早くから開国を目指しててやってきて
本当はもっと栄えていたはずなのに、ある時点で、歴史がストップしたんだね。
それが原爆だったのかもしれない…。」と
「でも高々、60年ちょっとでここまで復興した日本人ってすごいよね?
きっと東日本大震災も必ず復興するよね。 絶対。」
爆心地の写真はショックで 誰も写せなかったけど
娘達の心には何かをとめ置いた気がします。
今日のありがとう 
こうやって旅行出来る自分たちに、感謝です。
自分のことですが、ずいぶん疲れを感じずに動けるようになりました。
これは誰のおかげなのかと思います。
家族の私への思いやり。労わり。
そしてブログを始めて、気持ちが前向きになり、旅先でブログのお仲間に会えると言う事も
私を元気にしてくれているのだと思います。
みんなに感謝です。
ありがとう。
また、旅行に行ったつもりで、東日本大震災に寄付することも考えました。
でも世界各国から集まった、膨大な寄付金の使い道がまだ決まっていないと言う中で、
ひょっとしたら正しく使われていないのではないかと、疑問に思ってるのは私だけでしょうか?
管総理の退陣はいつかなんてやってる暇が有ったら
後手後手に回ってる福島第一原発の問題など、
政府が一丸となり、早く解決できるよう、協力してやって下さい。と言いたい。
被災地の人たちが幸せになるための努力をしてほしいと思います。
この優柔不断さは、世界のわらいものです。