数日前に高校の同級生からお電話をいただきました。
最近の電話による 悪質なセールス攻勢に
すっかり 家の電話がいやになってる私は、
彼女からの電話にもうんざりしながら無愛想に出てしまいました(^_^;)
お会いする約束をして、
今日、ホテルでランチを頂きながらおしゃべりです。
同じ札幌に住んでいて
彼女は札幌の北東方面、私は南西方面と言うことで
大体中心になるファクトリーのアトリウムのエレベーターホールでお会いすることにしました。
何せ50年近く昔のことです。
どんな風に変化してるのか・・・。
お顔がわかりません。
11時と言う待ち合わせ時間・・・。 なぜか来ません。
場所を間違えたのだろうかとか、ⅠFと言ったけどひょっとして
ⅡFに行ったんだろうかとか、だんだん不安になってきました。
電話をかけても留守電になっていて・・・。
そんな~・・・。
11時半、やってきました。(^_^;)
彼女って こんなにのんびり屋だったかな~?
再会、最初の印象
うわ~~、おばさん その辺ですれ違っても・・・絶対わからない
あのいつも『赤毛のアン』を持ってセーラ服で
長い髪をさらさら風にそよがせながら校庭の芝生の上を、歩いていた
あの時の彼女は・・・どこ行っちゃったの??
・・・・・・・・・・・・・・・
でもね~~、彼女も同じこと感じたのでしょうし、
これが半世紀の時間の流れと言うものなんですよね。
ホテルは去年私の誕生日を家族と祝った
とても素敵なホテルのレストランです。
でも正直ランチはもういいかなって気がしました。
でも彼女とは、おしゃべりが目的でしたから、
その目的は果たせました。
彼女は、看護学校を卒業したのち、
神奈川県の柴里大学病院の看護婦として長く勤めていたようです。
ご主人を45歳の時に、 解離性大動脈瘤破裂と言う病気で失っていました。
心臓の壁に有る大動脈が剥がれ落ちると言う事で、見てられない苦しみで、
救急病院に搬送されてからあっという間に亡くなったと言ってました。
確か石原 裕次郎さんも罹った病気ですよね。
何の前触れもなく、やってくるものなのですね~~。
その後、北海道に帰ってきて、看護学校の教官を長くやりながら
3人のお子さんを育てたと言ってました。
今は3人のお子さんもそれぞれ結婚なさっていてお孫さんも2人いらっしゃるとか。
札幌の北東に住んでいて今は週に3回くらい近くの個人病院で
お仕事してると話していました。
なんで今頃連絡を下さったのかと言うと、
私たちの高校は、南北の高校が統合されて一つになったのです。
それを記念して同窓会名簿が新しく出来あがったのですが
他の学校のや、違う学年のも 必要ないし私は希望していなかったのです。
でも彼女は希望していてその名簿が10日ほど前に届いたらしいです。
彼女が曰くには、私の事はずっと気になっていたって。
そして名簿を見たら、名前は変わってるけど同じ札幌に住んでるのがわかり
矢も楯もたまらず、お電話してみたということでした。
所が無愛想な男(?)の人が出たので、もうどぎまぎしてしまって・・・。
名前を名乗ってもわからないだろうし、どうしようと思ったらしいです。
「私の声、男の人と思ったの?
私は今日はこの無愛想っぽい声で、うまくいったと思っていたのよ」って
二人で大笑い。
とにかく2時間半、いろんな話をして、またの再会を約束して別れました。
楽しかった~~。
半世紀経ても、顔は皺くちゃになっても、夢見る夢子さんのままの彼女でした。
写真はカメラを持って行かなかったし・・・。
でも私のお話で、素敵な彼女は想像できますよね?